第四話「狸憑キノ帝都ヲ騒ガスノ事」/其の三

 引きずられるようにしてやってきた先は、東京は銀座にある四国屋百貨店です。

 五階建てのモダン建築で、中には多種多様な売り場が並んでおり、最奥には美術館が併設されています。今回の標的「大猫のまなこ」はそこに展示されているらしいのです。

 百貨店に着いた私たちを出迎えたのは、たくさんの黒服の護衛に守られた一人の男性でした。


「やあやあ、ようやくおいでになりましたか。待ちくたびれましたぞ」


 はて。まるで私たちがここに来ることが分かっていたかのような口ぶりです。


「私立探偵の綿貫です。……やはり、予告状に私の名前がありましたか」


「ええ、ええ。あなたの他にも二人の探偵さんの名前もありましたよ。噂によれば、怪盗ムジナは毎回あなた方を指名して呼び出しているのでしょう?」


「はい、その通りです。……ところで、あなたは?」


「ああ、申し遅れました。私、この四国屋のオーナーの四国豪三郎と申します」


 オーナーさんはそう言うと、綿貫さんに握手を求めました。その手を握り返し、綿貫さんは私を指しました。


「こっちは薮内あおいくん。私の……まあ、助手のようなものです」


 私はぺこりと頭を下げました。


「薮内あおいです」


「おや、愛らしいお嬢さんだ。こんなに若いうちから現場に出て勉強しているとは感心感心。将来、さぞ良い探偵になるでしょうな」


「あはは……」


 別に探偵になりたいわけじゃないんですけどね。


「さあ、皆さんお待ちかねですぞ。標的となった「大猫のまなこ」の間に行きましょうか」


 オーナーさんはそう言うと、私たちを百貨店の奥、美術館のフロアへと連れていきました。

 てっきり美術館フロアは人払いがしてあるものと思っていたのですが、予想に反してそこは、大勢のお客さんであふれていました。


「す、すごい人ですね」


 思わずそうこぼすと、オーナーさんはにっこりと笑いました。


「怪盗に狙われるだなんて滅多にあることではありませんからな。逆に考えれば絶好の商機ですよ。はっはっは」


 な、なるほど。商売に貪欲なこの姿勢が四国屋をここまで大きくしたのかもしれませんね。

 怪盗ムジナの予告につられて集まった人々を護衛さんたちがかきわけ、私たちが通る道を作ります。私は多少の申し訳なさを感じながら、作られた道を通って、美術館の中に入りました。


 入ってすぐの通用口を通り、鍵のかかったいくつかの扉を通り抜けると、私たちは大きな広間に出ました。

 その広間の天井は高く、四階ぐらいの高さはありそうに見えます。広間の中央はまるで丸い舞台のように階段のついた高台になっていて、その舞台を見下ろすように、四方の壁の高い位置には、ぐるりとバルコニーがついています。


「展示が行われていないときは、ここでショーを行うこともあるのですよ。まあ今宵行われるのもある意味ではショーですがな。はっはっは!」


 高笑いをしながら、オーナーさんは私たちを高台の中央に連れていきます。そこにはガラスケースの中に閉じ込められた一つの宝石がありました。


 大きさはおおよそ二センチほど。球形で色は黒みがかった赤色。特徴的なのは明かりに照らされたその宝石の真ん中に、ちょうど猫の目のように一筋の光が走っていることでした。


「これが世界最大級の猫目石。「大猫のまなこ」です。どうです、美しいでしょう?」


「すごい……」


 思わずかぶりつきで見てしまっていた私を、綿貫さんが、ごほん、と咳ばらいをして正気に戻します。

 はっ、いけないいけない。つい任務を忘れるところでした。


「それでこちらの警備はどのようにされているんです? 念のため確認しておきたいのですが」


「ああ、それなら……、おおい! 谷川くん!」


 オーナーさんに呼ばれてやってきたのは、護衛さんたちに指示を出していた男性でした。


「護衛たちの隊長を任せている谷川信二くんです。この美術館の警備はこれに一任しております」


「谷川です。よろしくお願いします、探偵さん」


「どうも、早速ですが谷川さん。警備の配置について確認を……」


 声を潜めての打ち合わせに入ってしまった綿貫さんから距離を置いて、私は辺りを見渡しました。私のような素人が警備配置について聞いてもきっと力になれませんし、それならいっそ私にしかできないことを探すべきだと考えたのです。

 そうしていると、壁際にたたずむ一人の女性と目が合いました。


「どうも……」


 会釈すると、向こうも会釈を返してくださいました。和服を着た、四、五十代の方です。


「ああ、あれは妻の邦子です。怪盗ムジナを一目見たいというので連れてきたのですよ」


「そうなんですね」


 オーナーさんとそんな会話をしているうちに、綿貫さんたちの打ち合わせは終わったようでした。


「なるほど。これならば警備の穴はなさそうですね。……ただ一つ穴を挙げるとするなら、あのステンドグラス」


 言いながら綿貫さんは、広場の丁度向かい側の壁の上方にはまっている大きなステンドグラスを指しました。


「あのステンドグラスを破って奴が現れるということは考えられませんか?」


「いいえ、ありえません。あの外には足場もありませんし、加えてあの高さです。人が昇るのは不可能でしょう」


「……それもそうですね。忘れてください」


 護衛の谷川さんは図面をしまい、綿貫さんはオーナーさんに向き直りました。


「ご安心ください、豪三郎さん。「大猫のまなこ」はこの私が必ずや守ってみせますよ」


「その必要はないぞ、綿貫くん!」


 綿貫が格好良く宣言した直後、どこからともなく偉そうな声が大音声で響きました。


「箕輪節夫……!」


 苦々しい表情で綿貫さんが睨みつける先には、鹿撃帽をかぶりケープ付きの外套を着た――一言で言ってしまえば、ものすごく探偵っぽい服装をした探偵さんが立っていました。


「君の助けなど必要ない。この事件、この名探偵、箕輪節夫がすべて解決してみせよう! はっはっは」


 わあ、すごい自信です。

 そんな心の声をいつの間にか口に出してしまっていたようで、箕輪さんは私ににんまりと笑いかけました。


「ははは、実力に裏打ちされた自信だよ。ワトソンくん」


 いや、ワトソンくんじゃないんですが。


「あらあら。実力も運もない子狐たちがコンコンとうるさいこと」


「なにぃ!?」


「なんだとお!?」


 箕輪さんの後ろから現れたのは、体の線の出るワンピースを着て、帽子をかぶった、妙齢の女性でした。


「あら、そこの子は初顔ね」


 こつこつと踵を鳴らして歩み寄ってくるその女性に若干気圧されます。仕方がない話です。気の強そうなつりあがった目で見られたら、誰でもそうなります。


「私は藤上とみ子。座りながらにして事件を解決する安楽椅子探偵よ。あなたは?」


「や、薮内あおいです。今日は一応、綿貫さんの助手ということで来ています」


「そう、じゃあライバルね。お互い最善を尽くしましょう」


「え、は、はい! こちらこそ!」


 なんだ、すごくいい人じゃないですか。怖がってしまったのが申し訳ないぐらいです。

 オーナーさんは探偵三人を見渡して、こう提案しました。


「三人集まったことですし、ここで一つ、情報共有をしてみてはいかがですかな?」


「じ、情報共有……」


 三人は一様にものすごく嫌そうな顔をしました。

 しかしオーナーの意向とあっては無視できないと判断したのか、三人は小声でひそひそと話し始めました。今度は私もこっそりと参加します。


「会場の警備だが、確認した限り穴は無いようだ」


「となると、やはり今回も会場内の誰かを「狸憑き」にして侵入するつもりだろうね、ワトソンくん」


「誰がワトソンくんよ、このホームズかぶれ。じゃあ会場内にいる人間の関係だけでも頭に入れておくべきでしょうね。怪盗ムジナの「狸憑き」が紛れ込んだら、きっと違和感が出るはずだもの」


「それならば私が調べておいたぞ、ワトソンくん」


 箕輪さんは大きめの手帳を取り出して、話し始めました。


「まず四国豪三郎さん。元々呉服屋だった四国屋を、一代で巨大デパートに成長させた辣腕の持ち主だ。表向きは人格者だが、裏ではかなり強引な手も使ってきたらしい。


 次に四国邦子さん。豪三郎さんの奥さんだ。良妻賢母を絵に描いたような人で、友人も多いらしい。ただ、これは噂にすぎないんだが、どうやら夫の豪三郎さんに暴力をふるわれているそうだ。


 それから……、あそこのコソコソしている男」


 指さした先には、怪盗ムジナを見ようと詰めかけた人たちの中に、一人だけ妙な動きをしている男性がいました。


「あいつは遠木誠。最近、邦子さんにつきまとっている男だ。これも噂なんだが、どうやら奴は邦子さんの初恋の相手で、豪三郎さんの魔の手から邦子さんを救い出そうとしているとかしていないとか。

 それから護衛の谷川信二。あいつは軍隊上がりだな。十年間軍に勤めていたらしいんだが、何か事情があったのか軍を辞め、四国家お抱えの護衛になったらしい。

 ……私の知る情報はこれぐらいだよ、ワトソンくん」


 だからワトソンくんじゃないですって。


「ああ、探偵さんたち、こちらにいらしたんですね!」


 はつらつとした声とともに現れたのは、三十代後半に見える男性でした。警官さんを連れているということは警察の方でしょうか。


「はじめまして、怪盗ムジナ担当の後藤と申します! 階級は警部補です!」


「ど、どうも」


 なんというか、歳の割に挙動が若々しい方です。


「皆さんがいらっしゃるのなら心強い。今回も怪盗ムジナの魔の手から標的を守り切りましょうね!」


「……後藤さんはいつも元気ね……」


 藤上さんが呆れたように言います。申し訳ないですが私もそれに同意です。


「それでは警察の方も交えてもう一度打ち合わせを……」


「宗太、宗太ー!」


「お、お袋!?」


 振り返ると人ごみの中で、美千代さんが手を振っているのが見えました。綿貫さんが慌てて美千代さんに駆け寄ります。


「お袋、どうしてここに!?」


「あらだって予告は夜なんでしょう? 長丁場になると思ってお弁当を用意してきたのよー」


 はい、どうぞ。と大きな風呂敷包みを綿貫さんに手渡します。


「皆さんの分も用意してきたから、一緒に食べてくださいねー」


 にこにこと笑う美千代さんに、探偵の皆さんは微妙な表情を浮かべます。無理もありません。真面目な空気が一瞬で霧散してしまったのですから。


「あら、あおいちゃんじゃない?」


 名前を呼ばれてそちらを見ると、美千代さんの隣に見覚えのある男女が立っているのが見えました。


「い、犬村さんのお父さんとお母さん!?」


 どうしてここに、と尋ねながら歩み寄ると、二人は照れくさそうに笑いました。


「もうすぐ辰敏の誕生日なので、プレゼントを買いに来ましたの」


「そうしたら怪盗ムジナが現れると言うじゃないか。どうにも見てみたくなって、野次馬に来たのです」


「は、はぇー、そうなんですね」


 私は何度か頷きます。大股で探偵さんたちの輪の中に戻っていった綿貫さんを見て、美千代さんは眉を下げました。


「でも心配だわ。あの子ったら、ちゃんとお仕事を全うできるのかしら」


 心配だわ、心配だわ、と繰り返す美千代さんの肩に、犬村さんのお父さんは優しく手を置きました。


「ここは見守ってあげましょう、奥さん。大丈夫、息子さんはきっとうまくやれますよ」


 同感です。綿貫さんは多少三枚目なところもありますが、真面目に取り組んでいさえすれば、結構しっかりした大人ですし。


「そうですかね……」


「そうですよ。子供というのは親の思うよりずうっと早く成長していくものですから」


 そうやって犬村さんのお母さんに言われてもまだ、美千代さんは「そうですかね、そうですかね」と呟いています。

 もう本当に心配性な方ですね。

 異議を唱えようと私が口を開いたその時、美千代さんはふと思い出したかのように手を叩きました。


「あっいけない。私そろそろ帰らなければいけないんでした。それでは皆さん、お先に失礼しますー」


 言うが速いか、美千代さんは身をひるがえして帰っていってしまいました。

 私も、ぺこりと犬村さんのご両親に頭を下げてから、探偵さんたちの輪の中に戻ります。すると、後藤警部補の悲鳴のような声が聞こえてきました。


「ええっ!? ムジナを歓迎するセレモニーを開く!? 正気ですか!?」


「正気も正気だとも。今夜ここで一大セレモニーを開き、観覧料を取るのだ。こっちは四国家の至宝を狙われているのだ。これくらいやってもバチは当たるまい」


 はっはっは、と笑うオーナーに、後藤警部補は泣きそうな顔をしています。そんな派手なことをして怪盗ムジナに逃げられでもしたら始末書ものですもんね。心中お察しいたします。でも、そうしていると本当に子犬か何かのようですね。

 ついで護衛の谷川さんが口を開きました。


「それに利点もあります。ムジナは演出にこだわる大怪盗。となれば、セレモニー中の襲撃をしてくることはまず間違いはないでしょう。いつ攻めてくるか分からないよりも、ずっと守りやすくなります」


「なるほど、一理あるな」


 綿貫さんが頷き、オーナーさんを見ました。


「では、私もセレモニーに出席しますがよろしいですか?」


「ええ、もちろんですとも、綿貫さん。他の皆さんはどうされますかな?」


「私は出席しよう。すぐそばであれば異変に気づきやすいからね、ワトソンくん」


「私は別の場所でムジナが現れるまで待つわ。なにしろ私は安楽椅子探偵。もたらされた情報だけで謎を解くのが私だもの」


 探偵の皆さんがそれぞれ配置を決め、私たちはセレモニーまでこの場で待つことになりました。

 かちこちと時計の針は進み、途中一度だけ箕輪さんがお手洗いに立った以外は何も変化はなく、セレモニーの時間はすぐそこまで迫っていました。

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