第四話「狸憑キノ帝都ヲ騒ガスノ事」/其の二

 翌、五月十三日。

 私は言われたとおりに綿貫さんの探偵事務所までやってきていました。……私がいなくて先生は大丈夫でしょうか。ううん、全てはお金のためですしね、先生には多少の不便は我慢してもらいましょう。


「いいか、あおいくん。捜査の基本は足だ。君には聞き込み捜査の手伝いをしてもらう」


 そう言うと綿貫さんは私をあちらこちらに連れまわし始めました。

 街角、商店街、長屋、大通りからやっと通れるような細い道まで。

 大きな手帳を片手に街行く人に尋ねてまわる姿は、なるほど探偵のそれのようです。ただし尋ねる内容が「アヤカシが出る場所を知らないか?」なので、妙なものを見る視線を向けられていますが。


 そうしてアヤカシが出るという情報を入手した私たちはとある路地裏へとやってきました。


「どうだ? 何か感じるか?」


 綿貫さんが期待のこもった目でこちらを見てきます。

 感じるも何も、私は特別な目を持っているわけではないのですが。

 でも、視界の端に見てしまったんですよね。小さな子供のようなアヤカシさんたちが息を潜めて震えているのが。


「いいえ、ここにはいませんね」


 しれっと嘘をついて、「さあ次に行きましょう」と綿貫さんを急かしました。ちらりと振り返ると、アヤカシさんたちがぺこぺこお辞儀をしているのが見えます。やっぱり嫌がっている方に強制するのはよくないことですからね。

 そんなことを何度か繰り返し、手がかりを失った私たちは仕方なく探偵事務所の近くまで戻ってきていました。

 肩を落として歩く綿貫さんに、ふと私は問いかけました。


「それにしても、どうして綿貫さんはアヤカシの存在を信じているんです?」


 子供ならまだしも、大人で真面目に信じている人なんて珍しいと思いますが。


「俺も最初は信じていなかったんだがな……、集まった情報が「アヤカシはいる」と告げているのだからしょうがないだろう」


「はあ、そんなものなんですか」


「情報収集は探偵の基本だ。確たる情報は決して裏切らない。それが俺の信条だ」


 綿貫さんは丸まりかけていた背筋をぴんと伸ばして答えました。おお、そうしているとかっこいいですね。


「色々と調べたから、アヤカシについてそれなりの知識は持っているぞ。そうだ、何かお題を出してみるといい。俺がきっちり答えて進ぜよう」


 そんなこと言われても咄嗟に思いつきませんよ。と言いながらも私はうーんと考えて、それから指をぴんと立てました。


「ええと、じゃあ鬼とかどうです?」


「鬼か、いいな! 鬼はいい!」


 何がいいんでしょうか。言いかけた言葉を飲み込みます。


「やはり有名なのは大江山の大鬼だな。あおいくんも酒呑童子の名前ぐらいは聞いたことがあるだろう」


 ふむ、聞き覚えがある名前です。本当に名前だけしか知りませんが。


「大江山の酒呑童子は元々美少年でな、たくさんの女性に告白されたが全部断ってきたんだ。酒呑童子に振られて失恋した女性たちは皆、恋煩いで死んでしまった。ここまでならまあよくある話なんだが、そこで酒呑童子のひどいのは、死んだその女性たちからもらった恋文を全部焼いて捨てようとしたんだ。


 しかし焼こうとした恋文からはもうもうと煙が立ち上り、煙は女性たちの怨念になって酒呑童子に襲い掛かった。すると酒呑童子は絶世の美少年から鬼へと変わってしまった。


 鬼へと変わった酒呑童子は大江山という山に住み着き、暴虐の限りを尽くした。美しい少年少女の姿に化けて人をたぶらかし、道行く人から財宝を奪い、人を捕まえ、殺しては喰らった。大酒飲みだったせいで、最後には源頼光と四天王によって退治されたがな」


 酒呑童子。なんてひどくておそろしい鬼でしょう。私はぶるりと体を震わせました。


「他に有名どころで言うと、桃太郎の鬼退治があるな。これには元になった話があるんだ。今の岡山県、吉備という国にある時、鬼がやってきた。元々は外の国の皇子だったらしいんだがとにかく、その鬼は吉備の人々を苦しめ、退治されたのだという。まあ、本当のところは最初からそこに住んでいた人々が侵略された話だ――だなんて説もあるがな。


 んで、吉備に住んでいたというその鬼の名前は――」


「そーちゃん、そーちゃあん」


 突然、間延びした声が綿貫さんの話を遮りました。振り返ると、ちょうど探偵事務所の入っているビルヂングから、一人のふくよかな女性が顔を出しているところでした。


「そーちゃん、こんなのが届いてたわよー?」


「そ、そーちゃんはやめろってお袋!」


 何か小さなものを持って大きく手を振る女性に、綿貫さんは顔を赤らめて叫びました。

 女性は駆け寄ってくると、しょんぼりとした顔になりました。


「そう……じゃあ今日から宗太って呼ぶわね」


「そうしてくれ、恥ずかしい……」


 綿貫さんは額に手を当てて俯きました。ははあ、「お袋」ということはあの方が綿貫さんの――


「申し遅れました。あなたが宗太のお手伝いに来てくれたあおいちゃんね。宗太の母の綿貫美千代ですー」


「どうもはじめまして、薮内あおいです」


 私たちは頭を下げあいます。やっぱり、綿貫さんのお母さんでしたか。でもなんでここにいるんでしょう。


「ああ、私、探偵事務所の隣に住んでいるんです。宗太がちゃんとやっていけるか心配で心配でー」


「な、なるほど」


 随分と過保護な方だということは分かりました。成人男性なんですから、もう立派にやっていけると私は思うんですがね。


「お袋、俺宛てに手紙でも届いてたのか?」


「そうなの。ほら、これよー」


 美千代さんが差し出したのは、一枚のはがきでした。流麗な文字が走り書かれたそのはがきを、綿貫さんが読み上げます。


「えーとなになに? 五月十三日、夜、四国屋百貨店に展示される「大猫のまなこ」を頂きに参上する。止められるものなら止めてみるがいい。怪盗ムジナ」


「怪盗ムジナ!?」


 私は驚愕で一歩後ずさってしまいました。


 こ、これは……怪盗ムジナからの挑戦状じゃないですか!


 綿貫さんは挑戦状を見つめてしばらく硬直した後、肩を震わせて笑い始めました。


「くっくくく、怪盗ムジナめ。その挑戦、この名探偵、綿貫宗太が受けて立つ! 予告はいつだ! 今日か! よし、今からそのデパートに乗り込むぞ、あおいくん!」


「えっ、ええええ!?」


 綿貫さんは私の手を引っ掴むと、高らかにそう宣言しました。

 どうしましょう。聞き込みの手伝いだけのはずだったのに、なんだか想像以上にすごい事態になってきました。


「いざ行くぞ! 四国屋百貨店へ!」

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