第四話「狸憑キノ帝都ヲ騒ガスノ事」

第四話「狸憑キノ帝都ヲ騒ガスノ事」/其の一

 大正二十五年、五月十二日。

 天気は晴天。無邪気な子供であれば、先を競って外を駆けまわるような陽気ですが、生憎と私はそういう年頃は過ぎています。時の流れとは残酷なものですね。

 今は女学生と言う身分にある私、薮内あおいは、事務所の机にコマを並べて、すごろくに興じていました。お相手は人間ではありません。――アヤカシの皆さんです。


「ほいっ、……六! やりやしたよ! 俺が一番乗りです!」


 肉球で器用にサイコロを転がして、大喜びしているのは化け猫事件の時に知り合ったミケさんです。


「あらあら、負けちゃったわねえ」


 その隣で優しく笑っているのは、この前、雷獣の依頼をしにきた河童さん。お名前は岸子さんというそうです。


「ううっ、頭いてぇー」


 我らが先生、裏島正雄先生はいつもの席で頭を抱えています。心なしか顔色も悪く見えます。


「先生、風邪ですか?」


「……いんや、二日酔いだ」


 なんだ、二日酔いですか。


「もう、ちゃんと自制しないとだめですよ」


「何をう。酒は飲まれるまで飲まないと飲んだ気がしないんだよ」


 わあ、駄目な大人です。ああはなりたくないものですね。


「ところでお前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ? 俺は仲間外れか? おじさん寂しいぞ?」


「駄目な大人の先生なんて知りませんよーだ」


「なんだとう?」


「ミケさん、岸子さん。私たち、もうお友達ですもんねー」


「ねー」


「うふふ」


 先生はむすっとふてくされた表情をして、背もたれに体を預けました。そんな表情できたんですね、先生。


「ごめんくださぁい」


 その時、戸口から聞こえてきた女性の声に、ミケさんと岸子さんは顔を見合わせて、事務所の奥へと逃げ去っていきました。何だというのでしょう。


「はいはい、どなた……ああ、お前らか」


「お久しぶりです。ウラさん」


「最近辰敏がお世話になっているようで、ご挨拶にうかがいました」


 先生が開けたドアの向こうには、一組の男女が立っていました。私はぎょっとして思わず彼らに不躾な視線を向けてしまいました。

 だってそこに立っていたのは金髪碧眼の外国の方だったのです。口をぽかんと開けて、私は彼らの服装を上から下まで見てしまいました。

 ……なんというか、奇抜というか、ダサいというか、野暮ったいというか、そんな印象を受ける服装です。いいえ! もしかしたらこれが外国の流行なのかもしれないですしね!


「あおいさんですね? 辰敏がいつもお世話になっております、辰敏の母です」


「父です」


 私は首を傾げました。はて、辰敏さんとはどなただったでしょうか。うーんと考え込んで数秒、私はようやく思い当たりました。


「い、犬村さんのお父さんとお母さんですか!?」


 私はバネのように立ち上がり、深くお辞儀をしました。


「や、薮内あおいです! こちらこそ、いつも犬村さんには大変お世話になっております!」


「あらまあご丁寧にどうも」


 顔を上げながら犬村さんのご両親を窺います。眩しく見えるほど美人さんです。


「お、お若いですね……」


「嫌だわ、そんなお世辞を言っても何も出ませんよ」


 犬村さんのお母さんは、おほほ、と上品に笑いました。後ろに流した金髪がさらさらと揺れます。


 お二人ともどう多く見積もっても三十代前半ぐらいにしか見えません。犬村さんが二十代半ばですから、そんなにお若いなんてことないはずなのですが。


「ウラさん、こちらつまらないものですが」


「これからも辰敏をよろしくお願いします」


 風呂敷包みを渡しながら、ご両親が深々と頭を下げます。先生は面倒そうに頭を掻きました。


「そんな挨拶なんて必要ねーのに……。ほら座って茶でも飲んでけ」


「いえ、この後、用事がありますので」


「……そうか、じゃあ仕方ないな」


 では、と言い残してお二人は早々と帰っていかれました。

 ばたんと音を立てて戸口がしっかり閉まったのを見届けて、私は先生に詰め寄りました。


「先生! 犬村さんって外国の方だったんですか!?」


「ちげーよ、あいつらは憲兵の養い親だ」


 すぱんと返され、私はきょとんとしてしまいます。


「やしない……ってことはえーっと」


 あの方たちは犬村さんの本当のご両親ではないということで、つまり何らかのご事情が――


「……なんか聞いてすみません」


「俺に謝ってどうすんだよ」


 それより、これ開けちまおうぜ。と先生はご両親が置いていかれた風呂敷包みを指します。覗き込んでみると、その中身は高級そうな羊羹でした。


「わあ!」


「いちすけー、茶ぁー」


「いちすけさんじゃなくて一助さんですって」


 るんるん気分で給湯室に入ると、ミケさんと岸子さんが部屋の隅で息を潜めていました。


「も、もうさっきの方は帰られました?」


「はい。どうしたんです突然?」


 苦手な方だったんでしょうか。とてもいい人そうに見えましたが。


「いえ、俺らみたいな小さくて弱いアヤカシは、本来の姿ではあんまり人前には出たくないものなんですよ」


「下手に目立つと捕まえられてしまうかもしれませんからねえ」


「はぇー」


 アヤカシさんたちも大変なのですね。確かにミケさんや岸子さんは人間よりもずっと小さいですもんね。


「それより羊羹切りますよ、一緒に食べましょう!」


「わあ、羊羹ですか!」


「ウラ様、私たちもいただいてもいいんです?」


「おー、くってけくってけ。いちすけー、茶は五つな」


 一助さんが戸棚から湯呑を取り出しながら頷きます。時間も八つ時ですしね。ちょうどよかったです。

 火にかけられたやかんがふつふつと音を立て始めています。私は切り落とされた羊羹の端っこを頂戴しながら、先生に問いかけました。


「そうだ、外国と言えば、先生」


「なんだ?」


 口の中の羊羹をごくりと飲み下します。滑らかな触感と鼻に抜ける甘い香りが最高です。


「外国にもアヤカシっているんですか?」


「そりゃあいるだろうよ。人間のいるところ、どこにだってアヤカシはいるもんだ」


「はぇー。たとえばどんなのがいるんです?」


「そうだな……じゃあ人狼とかどうだ?」


「人狼?」


「人に狼と書いて人狼だ。狼男ともいう」


 狼男。私は狼のような男性を想像しました。こう、毛むくじゃらで狼の頭をしていて……。


「大体その想像で合ってると思うぞ」


「えっ!? 先生、私の心が読めるんですか!?」


「んなわけあるか。大抵のやつが思い浮かべそうな見た目だってだけだ」


 なるほど。びっくりして損しました。


「人狼。英語で言うとワーウルフ。ワーが人間でウルフが狼だ。他にもルー・ガルーだなんて呼び方もあるが……」


 先生が説明を始めようとしたその時、ばたばたばたっと騒々しい音がしたかと思えば、事務所の入口の戸が音を立てて開きました。


「ウラ様! 助けてください!」


 駆け込んできたのは一匹の猫でした。ただし人間の言葉を喋っています。


「トラじゃねえか! どうした!」


 ミケさんが声を上げます。


「へ、変な奴に追われてるんです! 匿ってください!」


 慌ててトラさんを給湯室の隅に迎え入れた直後、ばんと派手な音を立てて事務所の戸が開かれました。


「なあ、今ここにアヤカシがやってこなかったか!?」


 いきなりやってきて不躾にそう叫んだのは縁の細い眼鏡をかけた男性でした。髪はふわふわの猫っ毛で、着ている服はかっちりとした洋服です。二十代前半の若々しい印象を受ける方でした。


「来てねえぞー。ていうか誰だお前」


「俺は私立探偵、綿貫宗太(わたぬきそうた)! 今はある事件を追ってアヤカシへの聞き込み調査中だ! お前こそ誰だ、名を名乗れ!」


 いきなりやってきて名を名乗れも何もないでしょうに。

 先生も同じことを思ったのか眉間にしわを寄せながら、しぶしぶといった風に答えました。


「裏島正雄、新聞記者だ。さあ、分かったら帰ってくれ」


「裏島……?」


 綿貫さんは言葉を切って、先生の顔をじーっと見た後、先生に指を突き付けました。


「ああーっ! お前アヤカシ記者の裏島正雄!?」


 先生の眉間のしわが深まります。


「だったらどうした」


「どうしたもこうしたもない! じゃあやっぱりここにアヤカシがいるんじゃないのか!?」


「いねーよ、帰れよ若造」


「なんだと!?」


 私はあわあわと二人を見比べていましたが、視界の端でぶるぶると震えるトラさんを見て、意を決して声を張り上げました。


「そうですよ! ここにはアヤカシなんていません! 大体なんでアヤカシを追いかけたりしているんですか!」


 もしアヤカシをいじめようとしていたなら許しませんよ!

 すると綿貫さんは思わぬ反撃に面喰ったのか、両手を前に出して弁明を始めました。


「まあ、待て、話を聞いてくれ。そうだ! あんたらにとっても悪い話じゃないぞ!」


 先生はハァーと息を吐いたあと、椅子にどかっと座りながら「聞くだけ聞こう」と言いました。ついで新聞紙を広げ始めたので、どうやら真剣に聞くつもりはないようです。


「俺は私立探偵をやってるんだが、最近ある大物を追っていてな。……盗まれた財宝は数知れず。不可思議な妖術を使い、どんな包囲網もものともせず、警察を嘲笑って夜を駆ける。奴の名は――怪盗ムジナ」


 怪盗ムジナ! 今この東京を騒がせている大泥棒じゃないですか!

 俄然興味が湧いてきた私は一旦警戒を解いて、綿貫さんの話を聞くことにしました。


「これは一部の情報通にしか知られていないことなんだが、奴は毎回犯行現場にいる人間に取り憑き、「狸憑き」にして標的を盗むんだ。犯人でもなんでもない「狸憑き」が、操られて宝を盗み出し、それを怪盗ムジナが受け取るって方法でな。


 俺は何度も奴を追い詰め、その度に宝を取り返してきたんだが……、奴の使う妖術を破る方法は一向に分からないままだった。しかし、俺は気付いたのだ! 餅は餅屋! 妖術のことならアヤカシに聞けばいいってな!」


「それで、アヤカシを追いかけまわしていたんですか?」


「そういうことだ。幸運にも目撃情報のあった場所を張り込んでいたら、猫又と鉢合わせてな。話を聞こうとしただけなのに逃げられてしまったのだ」


 なるほど。でも、あんな勢いで迫ってきたら誰だって逃げると思いますよ。


「もう手がかりはアヤカシに頼るしかないんだ! 頼む! アヤカシ記者! あんたの力を貸してくれ!」


 先生は視線をこちらに向けようともせずに新聞をめくりました。本当に興味がないんですね。


「おい、聞けよ!」


 私は隠れたままのトラさんへと、こっそり視線を向けました。トラさんはぶんぶんと首を横に振ります。

 うん。トラさんは協力したくないようです。ここは帰ってもらいましょう。


「帰ってください、綿貫さん。先生は協力したくないそうです」


「なんでだ!? 相手はあの怪盗ムジナだぞ、興味あるだろ?」


「き、興味は大いにありますが帰ってください!」


 好奇心と良心の板挟みにあいながらも、必死で私は抗います。綿貫さんはそこに特大の爆弾を投下しました。


「あ、言い忘れていた。勿論、金なら出すぞ」


「お金!」


 つい、声が裏返ります。


「なんだったら、君でもいいぞ! 怪盗ムジナ退治に協力してくれないか?」


 私は唸りました。怪盗ムジナには興味があります。その上、お金までもらえるだなんて最高です。


「うー、でも私は先生の助手で……」


 私は真剣に悩みだしました。すると先生は新聞から顔を上げないまま、言い放ちました。


「行けばいいじゃないか、あおい」


「えっ」


「俺は行かないからあおいを連れて行くといい」


 先生はじろりと拗ねたような視線をこちらに向けました。


「何しろそいつにはアヤカシの友達がいるんだからなー」


「おお、なんだって!」


「せ、先生!」


 間違ってはいませんが今言わなくてもいいじゃないですか! さてはさっきのを根に持ってましたね!

 綿貫さんは私の手をがしっと掴みました。


「君、名前は?」


「や、薮内あおいですけど……」


「じゃあ明日の二時にこの探偵事務所に来てくれ! アヤカシ助手の薮内あおいくん!」


 綿貫さんは私に名刺を手渡してにっこりと笑いました。そして咄嗟に返事ができずにいるうちに、綿貫さんはさっさと帰っていってしまいました。

 ばたんと戸が閉まります。


「も、もう、先生!」


 私は抗議の声を上げます。

 すると先生は、ああ、と何かに気付いたような顔をしました。


「いちすけ、トラが来たから茶は六つな」

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