第二話「凌雲閣ニ雷獣ノ落チタルノ事」/其の七(終)

 震太郎さんが空に消えていった後、先生はのたのたと上の階から降りてきました。そして私の隣までやってくると、眺望室の手すりに背中でもたれかかりました。


「なあ、あおい」


「はい」


 いつになく元気のないその様子に、私は少し背筋を正しました。スチームロイドは倒せて、雷獣の震太郎さんは空に帰れたというのに何か悩み事でもあるのでしょうか。

 先生は黒雲が去り、晴れ間の見えてきた空を見上げました。


「上野にさ、動物園ができただろ」


「はい、つい最近できましたね。私も行ってみたいです」


「動物園にさ、雷獣は入れると思うか?」


「動物園に、ですか」


 突然どうしたのでしょう。私は憂鬱そうに目を細める先生の横顔を見つめました。


「……雷獣は正体不明の獣だ。だけど同時にアヤカシだ。語られなければアヤカシは消えちまう。語られるには雷獣は雷と一緒に落ちて、人間に追われなくちゃならない。だけど姿を現して偉い学者先生なんかにどんな動物かだなんて考察されてみろ。雷獣は雷獣以外の何かだってことがバレちまうだろ」


 雷獣は正体不明の獣でアヤカシ。でも正体が分かってしまっては正体不明ではなくなってしまう。


「あいつらは、動物園の獣にはなれないだろうなあ。……かといってアヤカシになるには、あいつらは地味すぎる。何しろ逸話にことごとく知名度がないんだ」


 先生はそこで一度大きく息を吐きました。


「消えちまうだろうなあ、雷獣(あいつら)の存在は」


 恩返しなんてできないくらい近いうちに。言外に先生はそう言っているのだとすぐに気づきました。

 私はそんな先生の目の前に立って、声を張り上げました。


「消えませんよ!」


 先生はびっくりして私を見下ろしました。私は精一杯背伸びをして言いつのりました。


「なぜなら私が覚えています!」


 ぴんと人差し指を立てる私を、先生は珍しく無防備な表情で見下ろしています。


「私が語り伝えていくので、雷獣さんたちは消えません!」


 私はふふんと胸を張りました。先生はふっと小さく笑いながら俯きました。

 どうです、完璧な理論でしょう?

 先生は微笑みながらそんな私の頭の上にぽんと手を置いて、「だったらいいな」とだけ言いました。




 先日、凌雲閣ニ落チタル雷獣ガ、浅草寺ノ見世物ニ供サレタト云フ報ハ、本誌ニテモ伝ヘルトコロデアルガ、コノ雷獣、ドウヤラ雷ト共ニ天ヘト帰ッタラシイ。目撃シタ何某ト云フ人ニヨレバ、見世物小屋カラ凌雲閣マデ逃ゲタ雷獣ハ、追ヒタル人ヲ嘲笑フカノ如ク、凌雲閣ノ天辺カラ黒雲ヘト乗リ去ッタトノ事。サテモサテモ、奇ナル事カナ。(大正二十五年、五月十日刊 東都日日新聞)

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