第二話「凌雲閣ニ雷獣ノ落チタルノ事」/其の五
屋台や見世物小屋の光が消えてしばらく経ったころ、私たちは雷獣小屋の裏手に忍びよっていました。裏口はトタンで作られていて、大きな南京錠がかかっています。
「裏島」
「なんだ犬村」
「こういう仕事はお前の方が得意だろう」
犬村さんは懐から太めの針金を数本取り出しました。おや、憲兵さんがそんな法外な手段を取って許されるのでしょうか。
「やれ」
犬村さんは顎をしゃくって、先生に指示します。しかもやるのは先生ですか。
「そうすれば見つかっても捕まるのはお前だけだ」
わあ、外道。
「はあ? 憲兵様だからってお前、横暴がすぎるだろ!」
「目こぼししてやってるカストリ雑誌、いくつか潰されたいのか」
「卑怯だぞ、この憲兵!」
二人が喧嘩しているのを見ると何故かほっとしますね。少なくとも、さっきのように庇ったり庇われたりしているような姿よりはずっと自然です。調子が戻ってきてよかったですね、犬村さん。
先生はこちらが不利だと察すると、私に目配せをして、顎をしゃくってきました。
「やれ、あおい」
何をすべきかはすぐに分かりました。もう、あとで給金弾んでくださいね。
私は犬村さんのそばにすすっと寄ると、左腕の袖をそっと引っ張って、犬村さんを見上げました。
「犬村さん。あんまり先生をいじめてあげないでください」
「ぐっ」
犬村さんは少し顔を赤らめ、何かを言いたそうに口をぱくぱくと開け閉めしました。どうやら私の色気が効いたものとみえます。
「卑怯だぞ、裏島ァ!」
犬村さんは先生に向かって叫びました。もちろん見つからないように、できるだけ声量を抑えてですが。
でも、一助さんをけしかけなかった分、温情な判断だと思いますよ、犬村さん。
一助さん、後ろでふくれてますし。
「ほら、お前がやれって」
「ぐう……」
渋々といった風に犬村さんは針金を持って、南京錠に近づいていきました。
「苦手なんだよこういうの……」
ぶつぶつ言いながらしゃがみこむ犬村さんの背中には哀愁が漂っています。先生はにやにやしながら言いました。
「相変わらず初心だねえ、昔からああいうところだけは全然変わってないでやんの」
「昔からのお付き合いなんですか?」
私が尋ねると、先生は少し言葉を濁しました。
「ん、まあちょっとな」
秘密だらけですね、先生は。いつか全部教えてくれるときがくるのでしょうか。
そうしているうちにも犬村さんは必死に南京錠と格闘していましたが、やがて我慢の限界に達したのか、針金を投げ捨てました。
「ええい、まどろっこしい!」
犬村さんはその辺りにあった大きめの石を拾ってきて、南京錠がかかっているあたりを殴りつけました。バキッと音を立てて、南京錠がはまっていたドアの金具が破壊されます。
「開いたぞ」
ぜえぜえと息を荒げながら、犬村さんは言いました。
犬村さん。それは開いたとは言いません。
見世物小屋の中は静かなものでした。もっと猛獣たちの鳴き声で満ちていると思ったので、正直意外です。猛獣たちの檻の間を通っていくと足元に、抱えることができそうなほど小さな檻がありました。雷獣の檻です。
「くるるるるう」
雷獣は目を覚まして、警戒するような目でこちらを見て、唸り声を上げていました。先生はそんな雷獣の檻のそばにしゃがみこむと、雷獣に声をかけました。
「あー。そんなに警戒してくれるな。俺たちはお前の事情を知ってるもんだ」
雷獣はまだ疑いの目を先生に向けています。先生は言葉を続けました。
「俺たちはお前に話を聞きたいだけだ。危害を加えるつもりはない」
「くるるる……」
「俺たちの話を聞いてくれれば檻から出してやる。……この話に乗る気があるなら喋ってくれ。どうする?」
先生の顔をじっと見つめた後、雷獣は二本足で立ち上がり、喋りました。
「ほ、本当ですか……?」
「ああ、本当だ」
まだまだ警戒の色はありますが、ひとまず第一関門突破というところでしょうか。
「雷獣。お前、名前は何ていうんだ?」
「ええと、震太郎(しんたろう)といいます旦那」
「そうか、俺は裏島だ」
雷獣の震太郎さんはそこでハッと何かに気付いたような仕草をしました。
「あのぅ、もしかしてウラ様ですか?」
「あー、まあそう呼ぶ奴もいるな」
先生は照れくさそうに頬を掻きました。空の上の雷獣にまで知られているだなんて、先生は本当に顔が広いですね。
「じゃ、震太郎。こっちの奴の質問に答えてやってくれ。まあ素直に答えれば怖くはないはずだ」
「はいっ、お安いご用です、ウラ様」
震太郎さんは前足を使ってびしっと敬礼をしてみせました。犬村さんはそんな震太郎さんの前に座り込みました
「じゃあ質問するが、お前は今日か明日にここから運び出されることは知っているか?」
「……はい、知っています」
「どこに連れていかれるかは?」
「ええと、あそこですよね。自分がこの前落ちた、「りょううんかく」とかいう」
「そうだ。じゃあ最後の質問だ。お前を連れていこうとしている奴らの目的を知らないか?」
「……いいえ、知らないです。その人たちは自分の檻を一度確認しにきただけでしたから」
「どんな些細なことでもいいんだ。思い出してくれ」
「ううん……。雷がどうとか、とは言っていましたが……」
「……そうか、ありがとう。感謝するぞ震太郎」
「へへへ、なんだかむずがゆいですねぇ」
震太郎さんは前足を顔の前に持ってきて顔を覆うような仕草をしました。きっと照れているのでしょう。そして、震太郎さんはハッと気づいて檻の格子を掴みました。
「質問には答えましたよ。ここから出してください」
「おう、そうだな」
先生は檻の鍵に手をかけて、がちゃがちゃと動かし始めました。
「先生、ここから出した後、震太郎さんはどうするんです?」
「どうしようなー。ここから助けた後、どうしてくれとは言われてないからなー。いっそ、鍋にして食っちまうって手も……」
「い、嫌ですよぅ、助けてくださいよウラ様ぁ」
「冗談だよ」
「冗談ですよ」
いやはや震太郎さんはからかいがいのある方です。私たちが笑い合っていると、犬村さんが何かを思いついたという顔で、会話に加わってきました。
「……その雷獣を外に出すの、ちょっと待ってくれないか」
「え?」
振り返ると、犬村さんは人差し指を立てて言いました。
「おとり捜査がしたい」
「おとり捜査……?」
私は聞き返します。先生はむっと難しい顔をして犬村さんを見つめていました。
「このままでは凌雲閣の内部で動く何かを突き止めることができない。だからわざと雷獣くんには凌雲閣へと行ってもらって、その後で俺たちが雷獣くんを助けにいくという形にはできないだろうか」
なるほど、大した情報は得られていないですもんね。震太郎さんには悪いですが、犬村さんの立場からすればそれが最善のように思います。しかし先生はすぱんと言い切りました。
「断る」
「何故だ」
「俺たちが受けた依頼は雷獣の解放。お代はきゅうり一山。……俺は基本、報酬分の仕事しかしねえよ」
「ウラ様……」
震太郎さんはきょろきょろと私たちを見回し、言いました。
「自分はどちらでもいいですよ。ウラ様なら絶対に自分を助けてくれるって分かっていますから」
おお、信頼されていますね先生。ここは一つ本人の意思を尊重するとしましょう。犬村さんにはいつもお世話になっていますしね。
「先生、お願いします。犬村さんに協力してあげましょう?」
今度は先生の袖を引いて、顔を見上げます。私の色気が効いたのでしょう。先生は極めて不機嫌そうな顔をした後に、ハァー、と長くため息を吐きました。
「あーー、面倒臭ぇーー」
がしがしと頭を掻きむしる先生。前にもこんな光景、ありましたね。
先生はひとしきり頭を掻くと、人差し指を犬村さんに突き付けました。
「犬村ァ! 今度、酒でもおごれよ、ボケェ!」
かくして、凌雲閣雷獣おとり捜査大作戦は始まったのです。
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