第二話「凌雲閣ニ雷獣ノ落チタルノ事」/其の四

 雷獣小屋から出てしばらく歩いた頃、一助さんは不意に立ち止まって、先生の服を引っ張りました。


「飴」


「ええー……」


 一助さんの視線の先には飴細工の屋台があります。

 先生は、ポケットから財布を取り出すと、紙幣を一枚、一助さんに渡しました。


「これだけだからな」


 一助さんは頷くと、紙幣を握りしめて屋台の方へ小走りで駆けていきました。

 なるほどこれが目当てだったんですね。一助さんったら意外と食いしん坊さんですね。


「先生、私も私も!」


「お前は焼き鳥でも食ってろ。金ならこの前、給金として渡したのがあるだろ」


 振り返りもせずに先生は言い放ちました。私はむーと唇を尖らせて、自分の財布を取り出しました。無駄遣いはできないので、先生の言うとおり焼き鳥一本にしておきましょう。


 一助さんが買ったのは金魚の形をしたきれいな飾り飴です。膨れた腹に、優美な背びれと尾びれ。背中には真っ赤な紅が入れてあります。その出来は本物と見まがうほどです。職人技が光りますね。


 各々、好きなものを買った私たちは、立ち飲み屋の辺りまで歩いてきました。立ち飲み屋にはカウンターが設置されていて、立ったまま食べ物を食べることができます。私は焼き鳥串から直接、焼き鳥を頬張りました。ええ? 上品じゃないって? いいんですよ、こういうところの食べ物は豪快に食べるのが美味しいんです。

 ほら見てください、一助さんも豪快に……。


 一助さんは大きく口を開けると、飾り飴の金魚を頭から噛み砕きました。


「ひぇっ」


 バリバリ、ボリボリと音を立てて飴を貪り食うその姿はまるで飢えた猛獣のようです。折角の飾り飴だというのに、風情もへったくれもありません。


「あーあー。高いだろうに、ああー……」


 先生も同じ感想を抱いたのか、肩を落として落胆しています。そんな私たちをよそに、一助さんはあっと言う間に飾り飴を食べ終わってしまいました。心なしか残された串から哀愁が漂っているように見えます。

 気を取り直して焼き鳥を食べながら、店内へと視線を向けると、意外な人物の姿を見つけました。


「犬村さん!」


「! あおいちゃん。奇遇だね」


 犬村さんは私服を着て、カウンターにもたれかかっていました。犬村さんの周りにはちらちらと犬村さんの方をうかがう若い女性の姿が見受けられます。そうですよね、一助さんには敵わないとはいえ、犬村さんもなかなかの美丈夫ですもんね。

 そんな視線から逃れるように、犬村さんは私の方へと歩いてきました。逃げ出すダシにされた気もしますが、まあいいでしょう。


「お、憲兵」


「……」


 先生たちも犬村さんに気付いて、こちらに歩み寄ってきました。

 その時です。犬村さんの表情が驚愕と恐怖に歪んだのは。


「シュ、シュテ……」


 犬村さんは先生を見ていました。……いいえ、先生の後ろの一助さんを見ていました。


「なんでこいつがここに!?」


 悲鳴に近い声を上げて、犬村さんは一助さんを指さしました。

 すると一助さんは、指についた飴をぺろりと舐めると、すたすたと犬村さんに歩み寄り、犬村さんのシャツを掴みました。


「酒」


「ひっ」


 怯えた様子で両手を上げる犬村さんに対して、一助さんはもう一度「酒」と繰り返し、カウンターの向こうにつりさげられたお品書きを指さしました。

 ええと、まさかおごれという意味でしょうか。


「ダメに決まってるだろ、お前自分の見た目考えろよー」


 先生は一助さんの頭をべしっと叩きました。

 珍しい。先生が犬村さんに助け船を出すだなんて。犬村さんも犬村さんで、地獄で仏を見たような顔になっていますし、何が何やら。

 ああでも、とりあえずそれよりもこれを指摘しておくべきなんでしょうね、はい。


「犬村さん。シュテさんじゃなくて、一助さんですって」


 焼き鳥を食べ終わって串を捨ててから、私は三人の間に割って入りました。すると先生と犬村さんは私の顔をじっと見つめてきました。私は首を傾げます。


「私の顔に何かついてますか?」


「……ついてるぞ。口元にべったりと焼き鳥のたれが」


「ええっ」


 私はわたわたとハンカチを探し始めました。


「ああもう、こっち向け」


 言われたとおりに先生の方を見上げると、先生は取り出した自分のハンカチで私の口元を拭い始めました。そんな私たちをよそに、犬村さんと一助さんはこう着状態を続けています。


「一助……さん。離してください」


「酒」


「ですから無理ですって」


 いくら断られても一助さんは犬村さんの服から手を離そうとしません。

 と、その時、私は気付いてしまいました。

 もしかして一助さん、指についた飴を犬村さんの服で拭いてません? なかなかに外道ですね。

 渋る一助さんをなんとか先生が自分の後ろへと引き離し、先生は犬村さんと喋りはじめました。


「んで、ここに何の用だよ憲兵。見世物小屋に見物に来るだなんてガラじゃねえだろ」


「……俺が見物に来るのがそんなにおかしいか? まあ今回は仕事だが」


 あと、ここでは憲兵って呼ぶな。憲兵だってバレたくないんだよ、と付け加え、犬村さんはすっかり曲がってしまっていた背筋をなんとか伸ばしました。大変でしたね。お疲れ様です。


「ここで雷獣の興行があるだろう。あの興行、今日で終わるらしい」


「げ、そうなのか?」


 それは初耳です。先生はわざとらしく額を叩きました。


「あーとうとう食われちまうかなあ、雷獣は美味いっていうからなあ」


「そんなあ!」


 私もつられて大げさに嘆いてみました。いえ、空から落っこちて捕まって、そのまま食べられてしまう雷獣に同情する気持ちもありましたが。

 ところでもしかして犬村さんの目当ても雷獣なんでしょうか。奇遇ですね。


「いや、食われない。連れていかれるだけだ。……凌雲閣にな」


 犬村さんは声を潜めて言いました。おや、ここで話がそこに戻ってきましたか。


「凌雲閣? どうしてそんなところに」


「分からない。だが、秘密裏に入手した情報によると、陸軍の一部が何かそこで企てているらしい」


 ここで解説しておくと、犬村さんのような憲兵さんたちは普通の警察官のようなこともしますが、その主な任務は軍内部に対しての警察、軍事警察なのです。軍人さんたちが悪いことをしないように見張る方々ということですね。


「というかお前はまたそうやってべらべら喋って……」


「考えもなく喋るものか」


 犬村さんはにやっと笑いました。


「雷獣といえばアヤカシだろう。協力しろ、アヤカシ記者」


「ええーー……」


 先生は心底嫌そうな顔をして体をのけぞらせました。


「俺の任務は雷獣から情報を聞き出すこと。だが、俺が行ってもきっと奴は喋らないだろう」


 先生が行けば喋るんでしょうか。先生は本当に顔が広いんですね。

 うーんと考えこむ先生を私は見上げます。


「犬村。お前、雷獣に話を聞きたいだけなんだな?」


「ああ、軍の一部の怪しい動きについて何か知っているかもしれないからな」


 先生は、はぁーと長くため息を吐きました。


「だったら当面の目的は俺たちと同じだな。いいさ、一緒に行こうじゃないか」

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