第二話「凌雲閣ニ雷獣ノ落チタルノ事」
第二話「凌雲閣ニ雷獣ノ落チタルノ事」/其の一
大正二十五年、五月七日。
例の化猫騒動から数日が経ちました。猫塚家に許可も取って先生は記事を書けましたし、私は給金の支払いの目途が立って、ほくほくです。
私は上機嫌で事務所への階段を上っていきます。すると、事務所の前に誰かが立っているのに気がつきました。
それはほっかむりをしたおばあさんでした。腰が曲がっているにしても随分と背が低い方です。そうちょうど成長期前の子供に見えるぐらいの。
「では、ウラ様、どうぞよろしくお願い申し上げます」
おばあさんは室内の先生に向かって、深々とお辞儀をしました。そして階段を上ってきている私に気がつくと、軽く会釈をして階段を下りていきました。
私は首を傾げながら、事務所の中を覗きこみました。
「こんにちはー」
「おう」
先生は来客用のソファからよっこらしょと立ち上がったところでした。先生の目の前の机の上に風呂敷包みにされた何かが山積みになっています。私は風呂敷の中を覗きこんで、声を上げました。
「うわ、なんですかこのきゅうりの山」
「ああ、河童だよ」
「河童……ってあの?」
「ああ、きゅうりが大好きで相撲を取るあの河童だ」
ええと、きゅうりの山を河童に貰って、ここに置いてあるということはつまり。
「あ、もしかしてじゃあさっきのおばあさんがその河童だったんですか?」
「そういうこった」
「はぇー、全然気づかなかった……」
一助さんが机の上にあった湯呑を回収していきます。私はいつもの席に戻っていった先生を追いかけました。
「裏島先生ってアヤカシ界隈では結構有名人なんですね」
「あ?」
「だってミケさんも河童さんも先生のこと「ウラ様」って」
「あー、まあな……」
歯切れ悪く先生は答えました。何か事情があるのでしょうか。私は先生についてまだまだ知らないことだらけです。
「それでその河童さんは先生に何の用だったんです?」
先生は自分用のソファに腰を沈め、新聞を取り出しました。
「凌雲閣分かるか凌雲閣」
「はい、一応」
凌雲閣とは浅草にあるとても高いモダン建築のことです。その高さは驚異の十二階建て。内部には上階の眺望室まで繋がるエレベーターが設置されています。
元々は観光用の施設だったらしいですが、現在では浅草付近にエネルギーを供給するための蒸気機関が詰まっているとか、いないとか。
「その凌雲閣にな、雷獣が落ちたらしいんだよ」
「雷獣、ですか」
私はごくりと唾を飲み込みました。
「あの河童が言うには、この前の雷雨の時に、雷に混じって落ちてきた雷獣が、運悪く人間に捕まっちまったらしい。んで、それをたまたま見世物小屋に行った河童が見つけて俺に知らせに来たって成り行きだ。「不憫でならないから助けてやってくれ」ってな」
「ええっと、二、三聞きたいことがあるんですが、とりあえず河童が見世物小屋に行くんですか?」
むしろ見世物にされる側でしょうに。
「ああ、河童のミイラが出品されるってんで見学しにいったんだってよ」
「ミイラを……」
同族のミイラを見て何が楽しいのでしょう。河童の考えることはまるで分かりません。
「言っておくが、ああいうところの河童のミイラは大概偽物だぞ」
「えっ、そうなんですか?」
「いくつかの動物のミイラを繋ぎ合わせて河童みたいな形を作るんだ。詐欺師がよくやる手口だな」
「えー、なんでそんなことを……」
「そりゃ客が見たがるからだろうよ」
先生は興味なさそうに言いました。お金のためにそんなことをするだなんて、人の欲は本当に醜いものですね。私もその人間ですが。
「で、その河童のミイラがどんな出来か、見に行ったんだってよ。趣味悪いよなあ」
「なるほど……。それで先生はその依頼引き受けるんですか?」
「あーそれなあ、うちは便利屋じゃないぞって断ったんだけどなあ……」
先生はちらりと机の上のきゅうりを見ました。
「無理矢理、きゅうり置いていかれちまってなあ……」
先生は心底困ったという風に眉をハの字にしました。そしてしばらくうーんと唸ったかと思えば、持ち上げていた新聞を畳んで、机の上に置きました。
「……仕方ない。きゅうりの分は働くか」
億劫そうに先生は立ち上がりました。私はといえば、取材先が見世物小屋だということに気付いてそわそわしていました。一助さんも興味があるのか、奥の部屋から顔を覗かせています。
先生はふと窓の外を見て、ぼそりと呟きました。
「……また雷か。妙な縁を感じるな」
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