第一話「妖猫ノ足音ヲ追フノ事」/其の六(終)

 翌朝、先生は屋敷の皆さんを依里子さんの部屋に集めました。


「事件の真相が分かったというのは本当なのかね」


「あー、まあはい」


 嫌そうな顔をしながら先生は答えます。怪訝そうな視線を投げかける旦那さんの隣には、一晩経ってなんとか回復した依里子さんもいます。

 先生は、とある人形と、その台座を私たちの前に持ってきました。一体何が始まるのでしょう。隣に立つ犬村さんを見上げましたが、何をするかは犬村さんにも知らされていないらしく、首をひねっています。

 先生はしゃがんだまま私たちを見回すと、ぽんと人形の頭を叩きました。


「こいつが、化け猫が動かした死人の影の正体です」


 私たちは一様に口をあんぐりと開けました。人形が勝手に動いた? そんなの化け猫以上の怪奇現象じゃないですか!


「この人形はこの部屋の向かい側の廊下に設置されていました。ちょうど、動き出したら廊下をまっすぐ歩いていけるような方向で」


「馬鹿馬鹿しい。それはただの人形だろう。人形が勝手に動くはずがない」


 衝撃からいち早く回復した旦那さんが、正論を述べます。


「まあ、ただの人形なら動きませんよね、動力もないですし」


 言いながら先生は人形の土台の背面を開けると、その中から一本のレバーを取り出しました。レバーは二回折れ曲がっていて、ちょうど取っ手を掴んで、ぐるぐる回せるような形状になっています。


「憲兵ー憲兵ー」


「なんだ」


「このレバー回してくれ。できるだけ速くな」


「なんで俺がそんなこと」


「頼むよ憲兵ー、こんな重労働、おじさんにはきついんだよー」


 私にはやる気がないだけに見えますが。

 犬村さんも同じ感想を抱いたらしく、苦々しい顔で先生を睨みつけていましたが、やがて、わかった、と譲歩しました。

 膝を畳につけながら台座のレバーを掴み、犬村さんはレバーを回し始めました。


「? ……重いな?」


 レバーが回されるごとにブーンと謎の音が台座の中から響いてきているように感じます。この音はなんなのでしょうか。

 私たち全員が首をひねって、何が起きるのかを見守っていました。


 ブーン……。


 低い音が部屋の中に響きます。と、その時、人形の体がぎしぎしときしみ、その手足が動き始めました。


「動いた!」


 人形が台座から離れて畳を歩き始めたのです。

 それだけではありません。人形の中からはぶつぶつと老人の声が流れてきています。


「遺書。これは私が突然死んだときのために、遺していく家族へ、そして帝国陸軍の皆様への伝言を録音するものである……」


「お祖父様の声だわ!」


 依里子さんが声を上げます。

 犬村さんはハッとした顔で人形を見ました。


「これは……電気式のカラクリか!」


 先生は頷いてみせました。


「そ。こいつはスチームロイドじゃなく、エレキロイドだったってことです」


「電気(エレキ)? この蒸気のご時世に!?」


 私は驚きから声を上げていました。電気の研究は頓挫したと聞いていましたから。

 猫塚家の皆さんも私と同じような表情をしています。


「こいつが光源の前を横切ったから、障子には人型の影が映ったわけです。例の影が見えた時、謎の光が障子の向こうから入ってきていました。……光源に近ければ近いほど、出来上がる影は大きくなる。人形が歩いたであろう向かい側の廊下を調べたら、すぐそばにこいつがありました」


 先生は拳より二回りほど大きなガラス玉を取り出しました。ガラス玉の下には金属がはめ込んであり、そこからは謎の線が垂れています。


「これは電球と言って、電気を流すことで光り輝くものです。それがこの廊下の向かい側に設置されていた。……多分、先代がこの人形を見つけさせるためにわざと置いたものでしょう。この電球が光り、その近くに設置した人形が歩いていけば向かいの部屋の障子に人間大の影が映し出される。俺たちは先代の大旦那にまんまと化かされたってわけです」


 先生は目頭を揉んで、はーああと息を吐きました。

 そうですよね。アヤカシ絡みの取材だと思って来てみれば、大旦那さんの悪戯だったなんて徒労感が募りますよね。


「本当なら人影が歩き去った後にはこの人形が残されていて、遺された家族は遺言に気付くって仕掛けだったはずなんですがね」


「じゃあなんで人形が元の位置に戻っていたんだ? 人影が動いた翌日、人形なんて廊下にはなかったぞ」


「あー、それも一応分かってますよ。ねえ、滑川さん」


「ええっ、わ、私ですか!?」


 急に話を振られた滑川さんは自分で自分を指さしました。


「あの夜、もしくは次の日の朝、あのあたりに転がっていた人形を片付けませんでしたか? 省悟くんの仕業だと思って」


「……あっ!」


 なるほどそういうことですか。


「そう、電気によって動き出したエレキロイドは廊下の突き当たりにぶつかって転がった。それを見つけた滑川さんが人形を元の位置に片付けていたんです」


 先生がそこまで説明し終わると、旦那さんが我慢ならなくなったという声色で大声を上げました。


「ええい、まどろっこしい! つまりそのレバーを回した奴が犯人ということだろう! それは誰なんだ!」


「あーそっちの犯人も分かってますよ」


 先生は廊下へと出ると、あるものを指さしました。


「あれです」


「屋根……の上の竿?」


 そう、あの竿です。考えてみればあの竿はこの部屋の向かい側の廊下のすぐそばに立っています。

 私はパンと手を叩きました。


「あっ、私分かりました!」


 注目が私に集まります。私はふふんと鼻を鳴らしながら指を立てました。


「六日前の天気も、昨日の天気も雷雨。ということは、あれは避雷針で、人形を動かしたのは雷ですね!」


「ご名答」


 先生はぱちぱちと小さく拍手を送ってくれました。


「人形の元々あった場所には避雷針から導線が繋がっていましたよ。いつかは気付く時限装置だったというわけです」


 猫塚家の皆さんはすっかり毒気を抜かれてしまったようで、額に手を当てたり天井を仰いだりして、やり場のないむなしさをどうにかしようとしています。


 私はといえば、ふと気づいて先生に尋ねました。


「でも先生。それだと猫の足音が解決していませんよ」


「ああ、そっちはだな」


 先生はぴんと指を立てて、天井を指さしました。


「そこの天井板。……ちょっと外して屋根裏見せてもらってもいいですか」




 先生が指さしたのは先日雨漏りを直したという、例の天井でした。

 言われるがままに天井板を外してみると、先生は踏み台を持ってきて、天井の穴に顔を突っ込みました。


「チッチッチッ。そうだこっち来い来い」


 舌を鳴らして何かを招いているようです。それに呼び寄せられるように、トタトタと軽い足音が天井裏から聞こえてきて、私たちの頭上で止まりました。


「後回しになって悪かったな」


 そう言いながら先生が天井裏から下ろしてきたのは、一匹の痩せた三毛猫でした。


「ミケ! ミケじゃないか!」


 滑川さんが驚きの声を上げます。


「雨漏りを直すために天井板を外しているところに、迷い込んでしまったんでしょうね。運の悪いやつです」


 やれやれよいしょ、と言いながらミケさんを手渡してくるので、私は両手でそれを受け取りました。そこで私は首を傾げます。


「ていうか誰も屋根裏を確認しなかったんですね」


 気まずい空気が猫塚家の皆さんの間に満ちます。


「化け猫の足音など気のせいだと思っていたからな……」


「俺もです」


「恐ろしくて屋根裏を覗くなんてとてもとても」


「まさかミケが天井裏にいるだなんて思いませんから……」


 口々に言い訳をしますが、自分たちに非があることは認めているようで、皆さん言葉尻が徐々にしぼんでいきます。

 私は腕の中のミケさんをとんとんと揺らしてあやしました。


「よしよし、怖かったねー」


「にゃあん」


 ミケさんはそう答えました。私たちの間に嫌な沈黙が流れます。先生は慌てて咳払いをすると、話題を変えました。


「あー。慌ててネズミが逃げていったのもこいつの仕業でしょうね。腹が減ってネズミを追いかけまわしたんでしょう」


「そ、そうですね」


「な、なるほどな」


「ねえ、先生、今ミケが」


「馬鹿! 言うな!」


 先生は私の口を塞ぎました。そして猫塚家の皆さんに引きつった笑みを向けました。


「それでは取材はここで終わりということで。この子はその辺に私たちが放しておきますよ」


「え、ええ。それがいいでしょう。そうしてくださいな」


 こうしてぎくしゃくしながらもこの事件は終わりを告げたのです。




 あの後、人形の中の遺書は猫村家の皆さんで聞き、それを書きとめたそうです。とはいっても意味不明な文言が多いらしいですが。

 そしてスチームロイドならぬエレキロイドは、無事犬村さんが持ち帰ることになりました。陸軍への遺言も入っていますしね。任務完了、ご苦労様です。

 さてさて、これにて一件落着というやつです。


「終わってみれば単純な事件でしたね」


「ああ、おかげで貴重な記事のネタを一個逃しちまった」


 先生はミケさんを抱きながら背を丸めました。心なしかその背には哀愁が漂っているようです。

 そうですよね、この事件を解かなければ、無事、化猫騒動を記事にできたんですもんね。

 先生は建物と建物の間の狭い路地に入ると、ミケさんを地面に下ろしました。


「お前も災難だったな」


 そう言って先生はミケさんの頭を優しく撫でてやりました。

 するとミケさんは、二本足で、スクッと立ち上がったのです。


「ウラ様! やっぱりウラ様じゃありやせんか!」


 ミケさんは喜色満面と言った様子で、肉球のある丸い手で裏島先生の膝にすがりつきます。


「サインくだせえ!」


「サインって……、鉛筆でいいか?」


 先生はまんざらでもない様子で、手帳と鉛筆を取り出しました。先生がさらさらとサインを書いている間、ミケさんは私の方も見上げました。


「ウラ様が驚かないのは当然として、お嬢ちゃん、あんたも驚かないんですねぇ」


「いえ、やっぱり化け猫だったんだーと」


「やっぱり!? 俺、二本目の尻尾でも出してやした? おかしいな気を付けてるはずだったんですが」


 いえ、そこではなく。

 私はミケさんの目をまっすぐに見て、どこがいけなかったのかを教えてあげました。


「ミケさん、猫の鳴きまねへたくそですね」


「ええっ!」


「さっきの鳴き声、完全に人間の声でしたよ。依里子さんにも「人間の声のような猫の鳴き声」って言われてましたし」


「そんなぁ!」


 ミケさんは前足で頭を抱えました。そんな様子も可愛いですね。猫ですもんね。


「ほら、サインできたぞ」


「わぁ! ありがとうございやす!」


 手帳の切れ端に書かれたサインを、ミケさんは大切そうに受け取りました。あれ、どうやって物を掴んでいるんでしょうか。


「でもすいやせん、ウラ様。俺のせいで記事のネタを逃してしまったんでしょう?」


「ああ、それなんだがな」


 先生は取材カバンからカメラを取り出しました。


「サインと屋根裏から助けてやったお代といってはなんだが」


 先生はにやりと笑いました。ミケさんはそんな先生を見上げて首を傾げます。


「写真、撮らせてもらってもいいか?」




 東京ハ赤坂ノ何某ノ宅ニテ、化猫騒動アリ。何デモ先日死ニタル、当家ノ主人ノ遺体ヲ猫ガ跨イダラシイトノ事。主人ノ遺体ガ立チ上ガリ、屋根裏デハ化猫ガ、バタバタト走リ回リ、ニャアニャアト鳴ク。蓋ヲ開ケテミレバ、何ノコトハナシ。屋根裏ニハ野良猫ガ紛レ込ミ、死ンダ主人ノ影カト怯エツルハ、只ノ人形ナリ。マコト、怖レハ目ヲ曇ラセルモノナルカナ。シカシ、化猫トイウモノハ実在スルヤウダ。此度ノ騒動、化猫モサゾカシ迷惑デアッタコトダロウ。ココニ記者ガ偶然撮リタル化猫ノ写真ヲ付記スルモノナリ。(五月七日刊 東都日日新聞)

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