第一話「妖猫ノ足音ヲ追フノ事」/其の五
寝ずの番の部屋割りは、私と依里子さん、先生と犬村さんの組み合わせになりました。
こいつと一緒の部屋は嫌だと男性陣から異を唱えられましたが、依里子さんの「殿方がいらっしゃる部屋で寝るのはちょっと……」とのお言葉によってこの部屋割りになりました。当然の采配ですね。
隣の部屋からは一触即発な雰囲気が漂ってきているような気もしますが、私は気にせず、この邸宅へのお泊まりを満喫していました。
出されたお食事はどれも美味しいですし、お部屋も落ち着いた雰囲気で実に快適です。そしてなにより、お風呂の広いこと広いこと。流石に銭湯よりは規模は小さいですが、誰にも邪魔されることなく足を伸ばしてゆったり入れるだけで幸せな私には十分すぎるほどの素晴らしいお風呂です。こんなにすごいお風呂を毎日掃除されているだなんて、お手伝いさんたちの苦労がしのばれます。
「お風呂すごかったですー!」
「うふふ、気に入っていただけてよかったわ」
興奮冷めやらぬまま部屋に戻った私を、寝間着姿の依里子さんはにこにこ笑って出迎えました。ちなみに私が着ているのは寝間着ではありません。なぜならこれから寝ずの番をするからです。
「私がついていますからもう安心ですよ! 依里子さんはゆっくり寝ててください!」
「ふふ、頼もしいわ」
それからほどなくして、依里子さんは寝入ってしまいました。私はつけっぱなしになっていた洋灯(ランプ)の明かりを小さくして、膝を立てて中庭の方の障子を睨みつけました。気分はお姫様を守る騎士です。
がたがた、と障子が揺れます。外では風が強くなり、空気も徐々に湿っぽくなっている気がしました。
「また降るのかな……」
ここのところ雨ばかりです。しかもそのほとんどが雷雨です。今日の昼間は奇跡的に晴れ間が見えましたが、ここからまた天気が崩れていくのでしょうか。
そんなことを考えているうちに、ざあっと音を立てて激しい雨が降り始めました。遠くではごろごろと雷の音が響いています。
とはいえ随分と離れているようです。これなら、この近くに落ちることもないでしょう。
そう思ったその時、
ピシャンッ!
激しい光と音を立てて雷が近くに落ち、私はひゃっと声を上げて飛び上がり、微睡んでいた依里子さんは慌てて跳ね起きました。
「お、落ちましたね」
「近かったですね……」
どくどくと興奮から聞こえてくる鼓動を服の上から押さえながら、私たちは言い合います。雷の衝撃も過ぎ去り、落ち着きかけたその時、その音は聞こえてきました。
バタバタバタバタッ!
突然、頭上から聞こえてきた動物の足音に、私たちは天井を見上げます。
「ま、まさか」
震えながら私は立ち上がりました。このすぐ上にいるのでしょうか、――化け猫が。
私はもつれる足で、先生たちのいる隣の部屋に繋がる襖に走り寄ろうとしました。しかしその時、カッと眩しい光が中庭の方から照らされたのです。
光によって淡く輝く障子の右端から、ゆっくりとそれは現れました。
輪郭のはっきりしない真っ黒な影。ゆらゆらと揺れながら、一歩一歩前に進んでいく足。耳を澄ませると聞こえるぶつぶつと呟く男性の声。私は声を振り絞って叫びました。
「きゃああああ!」
その瞬間、先生と犬村さんが襖を勢いよく開けて、部屋になだれ込んできました。
「大丈夫か、依里子さん、あおいちゃん!」
犬村さんはこちらに駆け寄り、先生は影の揺らめく障子に歩み寄ると、両手でスパンと障子を開けました。ですが、そこには誰もいません。
「見ました! 確かに人影が歩いていきました!」
「ああ、俺たちも見た。あれが件の化け猫か」
「なんだ今の叫び声は!」
ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきて、開かれた障子の向こうに旦那さんが現れました。
「化け猫……化け猫が……」
振り向くと、依里子さんは真っ青な顔でうわごとを呟いていました。そして、ふっと糸が切れるように倒れ、そのまま意識を失ってしまったのです。
「依里子!」
そんな依里子さんに真っ先に抱き着いたのは、意外なことに旦那さんでした。
「医者を! 誰か早く医者を呼べ!」
必死に叫ぶ旦那さんの姿に、私はちょっと安心していました、滑川さんの噂は本当だったと知れたからです。
駆けつけてきた滑川さんに「気を失っているだけです」と教えられ、私はほっと胸を撫で下ろしました。旦那さんもあんなに厳格そうだった顔が焦燥から解放されたことで緩み切っています。
「あの人影と光はなんだったんだ」
犬村さんは苦々しく言います。目の前にいたのに取り逃がしたことが相当悔しかったようです。そんな犬村さんを置いて、先生は影が立っていた場所から辺りを見渡すと、ひょいひょいと廊下を歩いていきました。
なんだかよく分かりませんが現場検証というやつですね。おともします。
先生がやってきたのは、私たちがいた部屋とはちょうど向かい側にある廊下でした。当然ながら廊下には大量の人形が鎮座しています。そのうちの一つを先生は拾い上げました。
「なあ、あおい」
「はい」
「ここ数日、雷雨が続いてたよなー」
「そうですね」
「それって何日前からか分かるか」
「……たしか五日前からずっとです。今日も日中は晴れていましたが、夜には雷雨になっていましたね」
「そうかー」
先生は人形を置いて立ち上がりました。まさかこれだけで何か分かってしまったのでしょうか。先生は来たとき同様にひょこひょこ廊下を戻っていくと、犬村さんに声をかけました。
「おーい憲兵ー」
「なんだ裏島」
「お前、新型スチームロイドの調査に来てるんだよな」
「そうだが」
「それってここの爺さんが開発してたやつか?」
「……そうだ」
二人は顔を近づけてひそひそと話し合っています。どうやら悪だくみをしているようです。私はそっと近づいて耳をすませました。
「それ、回収しなきゃいけないものか?」
「ああ、軍上層部からのお達しだ」
「どうしてもか?」
「どうしてもだ」
先生はうーんと唸りました。その様子に、犬村さんはハッとした顔をします。
「何か分かったのか!」
「分かったというかなー……」
先生はやる気のなさそうな表情をして、天井を見上げました。つられて犬村さんも、こっそり聞いている私も天井を見上げます。しかしそこには何もありません。
「なんだ、天井がどうしたっていうんだ」
先生は天井を睨んだまま、口を真一文字に引き絞り、それから俯いて、頭をガシガシと掻きむしりました。
「あーーもう!」
突然の奇行にびっくりしていると、急に先生は犬村さんを指さして、高らかに言い放ちました。
「一個貸しだからな!」
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