第一話「妖猫ノ足音ヲ追フノ事」/其の四
私たちが案内されたのは、応接用の洋室でした。
室内は全体的に暗い色で統一されていて、細かい刺繍をほどこされたカーテンがいかにも重そうに窓の左右にまとめられています。三人掛けのソファの後ろの壁には、大きな絵がかけられていて、ソファの前には大理石の机が鎮座しています。
「こちらをどうぞ」
促されるままに大きめのスリッパを履いて、応接間に足を踏み入れます。長い毛の絨毯が沈み込んで私の体重を受け止めました。
「ふかふかだ……」
「何立ち止まってんだ。邪魔だぞー」
先生が履いたスリッパは私と同じ大きさのはずなのに、先生の足の大きさのせいで随分と小さく見えました。先生の足でぎゅうぎゅう詰めにされて、スリッパが可哀想ですらあります。
私たち三人はソファに座りました。お手伝いさんが私たちの前にお茶を持ってきてくれます。
「先にこちらの要件を聞かせてもらうがいいな?」
「どうぞ憲兵サマ」
犬村さんは一応そう断ってから、依里子さんと話し始めました。こういうところ、犬村さんは律儀だなと思います。
「依里子さん、あれからスチームロイドが保管してある場所の手がかりは思い出せましたか?」
「いいえ。夫も、智矢さんも、お手伝いの方々も知らないと……」
「そうですか……。では今日も捜索をさせていただきますが、よろしいですね?」
「ええ。主人にも許可は得ています。こちらで手伝えることがありましたら、何でもおっしゃってください」
どうやら件のスチームロイドは探されているようです。失くしてしまったのでしょうか。
「じゃあこっちの取材の段取りですが……」
先生がノートと鉛筆を取り出したその時、応接間の入り口の戸が荒々しく開かれました。
「どういうことだ、依里子! どうして新聞記者なんぞを家に上げた!」
「あなた!」
部屋に入ってきたのは、がっしりとした体格の和装の男性でした。身に纏う衣服にヨレは全く無く、全身から厳めしい雰囲気が立ち上っています。
「これは、化け猫のことで取材していただこうと思って……」
「何が化け猫だ、馬鹿馬鹿しい! そんなものいるはずないだろう!」
おおっと。これはもしかして私たちはお呼びではなかった感じでしょうか。
依里子さんのご主人さん、つまり智矢さんのお兄さんであるその方は、目を吊り上げて私たちにむかって怒鳴りました。
「お前ら、さっさと帰れ! この家には化け猫なんぞおらん!」
唾を飛ばして怒り狂うご主人さんに、いつの間にか部屋に入ってきていた智矢さんが割って入ります。
「まあまあ兄さん。それで義姉さんの気が済むならそれでいいじゃないか」
「お前は黙ってろ! この穀潰しが!」
怒りの流れ弾が智矢さんに命中します。智矢さんは否定しないまま、ははは、と笑って引き下がりました。
「どうかお願いします、あなた。このままでは恐ろしくて夜も眠れないのです」
依里子さんがずいっとご主人さんに寄ります。その様子にご主人さんは少し押されたようで、一歩後ずさりました。
「……チッ! 好きにしろ!」
逡巡の末、怒りをおさめたご主人さんは足音も荒く退出していきました。私たちは一様に、ほっと息をつきます。
「ごめんなさいね、見ての通り夫は化け猫のことを信じていないのです」
「いえ、こういうのは慣れていますのでお気になさらず」
「あおいちゃんも本当にごめんなさいね」
「い、いえいえいえ!」
少し腰を折って私に視線を合わせるように謝罪され、私は大慌てで首を何度も横に振りました。
「ごほん。依里子さん。取材ですがどういった段取りで行いましょう? 一晩泊まってほしいというお話でしたが」
「ああ、はい、私やお手伝いさんが祖父の影を見た部屋に泊まっていってほしいのです。もしかしたら今夜もあの影が現れるかもしれませんから……」
「なるほど、ちなみにその部屋はどちらです?」
「中庭に面した二部屋です。片方は私の寝室で、もう片方は空き部屋になっています」
「なるほど、では私とあおいで一部屋ずつ寝ずの番をしましょう」
「ありがとうございます、心強いです……!」
依里子さんは涙ぐみました。相当、気がまいってしまっていたのでしょう。
しかしその直後に依里子さんは、名案を思い付いたという顔で、パンと手を打ちました。
「そうだ! 憲兵さんも今夜は泊まっていかれません?」
「えっ」
あ。今の反応は素でしたね。
犬村さんのような、普段気を張っている人のこういう反応を見ると、なんだか嬉しくなってしまいます。趣味が悪いでしょうか。
「こうやって毎日ご足労頂くのも申し訳ないと思っていたのです!」
「え、いや」
「今夜一晩だけでもどうぞ泊まっていってくださいな!」
「あの」
「そうしましょう! 決まりです!」
「あああ……」
トントン拍子に進んでいく話に、犬村さんは絶望に近い顔をしています。実に微笑ましいですね。
「お言葉に甘えとけよ、憲兵ー。お前も取材に協力してくれりゃ俺たちも心強いぜ?」
先生が野次を投げます。犬村さんがいると楽ができていいの間違いではないでしょうか。
「……分かりました。今晩だけ泊まらせていただきます」
渋々といった表情で犬村さんは頷きました。私も先生もにやにや笑うのをこらえきれずにいます。
「では滑川さん、ご案内をよろしくお願いしますね」
「はい、奥様」
滑川さん、と呼ばれたお手伝いさんが少し訛りのある喋り方で答えました。上京されてきた方なのでしょうか。
「こちらです、お客様方」
滑川さんの後ろについて私たちは屋敷の中を行きます。滑川さんは移動中、実によく喋りました。お喋りが好きな方なのでしょう。
「しっかし旦那様方も皆さんの前で喧嘩しなくてもいいでしょうに」
「はあ、まあそうですね」
「旦那様と弟の智矢さんはそれはもう仲が悪くてですね、顔を合わせれば旦那様が怒鳴り、智矢さんがのらりくらりとかわしていくという次第でして」
「そうなんですね」
なんとなく伝わってきました。兄弟でもあんなに似ていないものなんですね。
「そういえば皆さん気付かれました? 奥様って体があまり丈夫ではないんですよ。ふとした拍子に貧血で倒れてしまうこともしばしばで」
「ああ、そんな雰囲気ありますね」
「でもそんな奥様のこと、旦那様は決して嫌っているわけじゃないんですよ」
「そうなんですか?」
あんな風に怒鳴っている姿からは想像できませんが。
「本当は旦那様は奥様のことをとても心配してらっしゃるんですよ。化け猫がいないって言っているのだって、奥様が不安がるのを元気づけようとしているだけなんです」
「え、どうしてそんなこと分かるんです?」
「そりゃ女の勘です!」
滑川さんはそう言うと、胸を張りました。
なるほど、この人は単にお喋りが好きなのではなく、噂話が好きなのですね。
「そういえば今回化けたかもしれないっていう猫ですがね、名前はミケっていうんです。私どもが勝手にそう呼んでいるだけなんですが」
「ミケさんですか」
どこにでもありそうな名前ですね。本当に化け猫なんでしょうか。
「そのミケなんですが、実はいなくなる直前に餌をあげるために屋敷に入れていたんです。それでこれは秘密なんですがね、少し目を離したすきに屋敷の中でいなくなってしまって」
「それじゃ化け猫を招き入れたのは滑川さんなんですか!?」
「しーっ! 声が大きいですって!」
滑川さんは慌てて私の口を塞ぎにきました。でも、滑川さんの声の方が大きいということはきっと黙っておくべきなんでしょうね。
そうして中庭の廊下に差し掛かった時、妙なものが私の視界の端に映りました。
「滑川さん、あれ何ですか?」
屋根の上に立つそれは、長い竿(さお)のようでした。遠目でよく見えませんが木製ではないように見えます。
「ああ、それは先代……先日亡くなった大旦那様がつけられたものなんです。私たちにも用途はまるで分からなくて、そのうち取り壊してしまおうと言っているところなんです」
「はぇー」
屋根の上の竿を見ながら歩いていた私は、廊下に何かが転がっていることに、それを踏んでしまってから気付きました。
見下ろし、そこにあったものに私は小さく悲鳴を上げました。
「きゃっ」
それは廊下の隅にあるはずの人形のうちの一体でした。おかっぱ頭の日本人形で私が踏んでいるのはちょうど髪の部分です。
「まただわ、省悟さんったら」
「省吾さん?」
私は人形の上からそろそろと足をどけながら、尋ねました。滑川さんは人形を拾い上げ、元々あったであろう場所へと戻しました。
「旦那様と奥様のお子様ですよ。今年六歳になるんですが、遊んだおもちゃを片付けない癖があって……」
滑川さんは、やれやれと息を吐きました。
ところで会話に加わってこない後ろの大人二人組は声を潜めてぼそぼそとこんなことを言い合っていました。
「おい、裏島」
「なんだよ、憲兵」
「新型スチームロイドの調査に来ているって話はさっきしたよな」
「ああ、聞いたな」
「そのスチームロイド、この屋敷の中にあるはずなんだがどこにも見当たらないんだよ」
「……もしかしてそれを俺たちに探せって?」
「話が早いな。そういうことだ」
「うーわ、めんどくせぇ」
「取材のついでだろう。こっちも取材の協力をしてやるんだから、それぐらい協力しろ」
「ええー……」
「……報酬なら弾む」
「まあいいけどな。あんまり期待はするなよー」
二人とも実は仲がいいんじゃないでしょうか。どうしていがみあっているのか、私には疑問です。
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