宇宙の片隅で

ジャズマニア612

第1話

 ​

 ミノルは学校からの帰り道、川の堤防添いの道を歩いて帰るのが好きでした。

 春には草花の匂いが心地よかったですし、夏には河原グラウンドで年上の学年の子らが野球やサッカーなどをして光る汗を流し、その光景を横目にしながら歩くのはとても清々しい気持ちがしました。

 ゆっくりと家に向かう道すがら、頭の中で色々に想像の羽を広げることができました。

 空を飛んだり、悪者を退治したり、ミノルにとって楽しい一時でした。

 しばらく河原の心地よい一本道を歩きますと、民家の入り組んだ路地に出ます。ミノルが気を落として歩いていくと、公園の入り口の所に3人少年達が何やら地面に石で文字を書いていました。

「よう、ミノル。待ってたんだぜ」リーダー格の少年が片方だけ眉を釣り上げながら愉快そうにいいました。同じ小学3年生であるタケシは背はミノルより10センチも高く、体格のいい少年でした。

「タケシ」ミノルは少し震えた声で名前を言うのがやっとでした。地面には「ばか」と大きな文字で書いてあり、その隣には鼻水を垂らしているミノルの似顔絵が書いてありました。他の弟分の少年達は嘲りの笑みを浮かべミノルの方を見てヒソヒソと悪口を言っています。

 ミノルは駆け出して公園を後にしました。後ろの方で「待てよ、ミノル」とタケシが怒鳴り、他の二人もそれに続いて口々に馬鹿、馬鹿と罵りの言葉を発し、その後で笑い声が響きました。

 ミノルは沈んだ気持ちで家に着きました。「ミノル、おかえり」おばあちゃんが台所で夕飯の支度をしながら、優しい声で言いました「今日は早かったね」

「うん、今日は宿題があるんだ」ミノルは努めて明るく振る舞いました。

「もう少しで夕飯ができるからね。宿題やっておいで」ミノルを見てにっこりと笑うおばあちゃんは、生きていた頃のお母さんによく似ていました。ミノルの両親はミノルが小学校に上がる直前に、交通事故で亡くなりました。そしてミノルは一人暮らしのおばあちゃんに引き取られました。

 部屋に入り、ベッドでうつ伏せになって、枕に顔を強く押し付けました。

「どうしてぼくのお母さんとお父さんは僕を残して死んじゃったんだろう」

 ミノルはお母さんとお父さんと行った遊園地のことを思い出し、ミノルの誕生日のお祝いのことを思い出しました。ミノルも父も母も皆んな笑顔でそれは楽しい思い出でした。悲しさがこみ上げ涙が止まりませんでしたが、おばあちゃんに泣いてることが気付かれぬように声を殺すように泣きました。ミノルが悲しんで涙を流すと、おばあちゃんが心配するからです。ミノルは泣き疲れていつしか深い眠りに着いていました。

 心地よい静かな波の音で目が覚めますと、そこは今までに来たことのない浜辺でした。

 妙に静まり返っており、明るい月が昇って、現実の世界ではないようでした。

 銀の砂浜は風が吹くたび微かに砂塵が舞い、それが月の光に照らされきらきらと輝いています。海は透明で淡青色に発光しており、穏やかな波が浜辺に静かに打ち寄せ、引き際に次の波とぶつかる瞬間、無数の繊細な泡を作っていました。

 辺りを見回してみても、海と砂浜が延々と続いております。

「どうやら夢の中のにきちゃったみたいだ」ミノルは独り言を宙に浮かべました。空には数えきれない程の星が輝いて、さながら川のような筋を作っていました。

 暫くその場で両足を手で抱えて座って海を見ておりますと、ミノルの顔を覗き込む者がありました。ミノルは慌ててたちあがりまして、よく見てみますと、それは2匹のクラゲでした。体はミノルより少し大きいくらいで、うっすらと透明、半円状の傘の部分から手足のように、9本か10本程の触手が伸びておりました。

「ここはどこなのでしょうか」おずおずとミノルが尋ねました。

 すると、2匹の大きなクラゲは顔を見合わせるような仕草をしてから答えました。

「ここはプラージュレーベという星さ。夢の海辺。君は見たところ宇宙人だね、どこの星からきたんだい。僕らとは似ても似つかないもの。」

 クラゲは僅かに宙に浮いておりましたので、風が吹くたび流され行きつ戻りつし、触手をふにゃふにゃと動かしておりました。その光景がミノルには滑稽に思えました。

「僕が住むのは地球というところです。部屋で眠ってしまって、気がつくとここにいたのです」

「ふうん、地球ね。聞いたことないなぁ。ここにはね、時々君のような宇宙人がくるんだ。まぁゆっくりしていきなよ。とはいってもここには何もないけどね、楽しいことも悲しいこともないし、食べ物だってないんだ。ただ海と砂浜しかない。でもそれがいいところなんだ。君のとこにも海と砂浜はあるだろう。悪いところじゃないよ。」

 クラゲは続けます。「宇宙にはね、色んな星があるんだよ。星が数千億個も集まったものが銀河。宇宙にはさらに数千億個の銀河があるんだ。君の星も数ある中の一つさ」

 言い終わると2匹のクラゲは海の方へ向かい、やがて海の中へ消えて行きました。

 奇妙な体験にミノルは少し不安なような嬉しいような不思議な気持ちになって、再び砂浜に寝そべって、目を瞑りました。波の打ち寄せる涼やかな音、風に吹かれた銀の砂がサラサラと宙に舞う音に耳を傾けていました。

「ここには何もないのか。こんなへんてこな星があるなんて全然知らなかったなぁ」

 ミノルは世界の広さに考えを巡らせました。広い宇宙の中の小さな星の一つが地球だということに、何だか自分はとてもちっぽけなものに思えました。それでも不思議と嫌な気持ちではありませんでした。

 ミノルは父と母の事を思いました。おばあちゃんの事を思いました。タケシたちの事、学校のことを思いました。そうすると、今まで感じた悲しみが不思議と少し小さくなった気がしました。

「ミノル、ご飯ができたよ」

 おばあちゃんの声が聞こえました。ミノルは自分の部屋のベッドの上で目を開けました。

「何だ、やっぱり夢だったんだ。とても不思議な夢だったなぁ」

 美しい浜辺と宙に浮かぶクラゲのことを思い出しながら、暫く宇宙の広さについて思いをめぐらせたあと、

「おばあちゃん、今行くよ」

 ミノルは元気に答えました。部屋を出るときポケットに何か入っているのに気付きました。それは窓から射す夕日にきらきらと輝く銀の砂でした。

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