10、第三王子正室付き侍女、リタニア
「ゲイジュア様?」
その声を聴いた私が背筋を思わず伸ばしたのと同時に、キヨラ様がふとどこか、遠くを見るような目をなされた。
目出度き、ご懐妊の知らせを持ってきたアルフ様が、陛下に面会なさっている最中。久々の王城においてキヨラ様は、導竜教会への報告を済ませた、その帰り道。婚姻の儀を行った聖堂の傍を通りかかったとき、ふと足を止めたかと思えば、聖堂の方へ顔を向けた。
……ゲイジュア様に呼ばれている。
そう言われては、護衛である竜騎士のキルド様も断るつもりもないのだろう。キルド様と私が付き添い、キヨラ様を聖堂へと案内する。第三王子の正室がたった二人の伴で動くなんて、と私は内心で文句をぶちぶちと言っていたが、逆に王城には信頼できる侍女がそうは居ないし、とっさのことだったので人を呼ぶのも間に合わなかった。
竜巫女の呼び出しを、竜が断る。それはあるが、しかし反対はないのだ。例外を除けば。
類稀なる才能を発揮された”竜巫女”であるが、その地位は平民であったキヨラ様を良く思っていない派閥は、確かに存在する。
最たるものは、第一王子と第二王子の妃を輩出した二つの貴族の家と、その支持者だ。アルフ様が二人の兄上を盛り立ててきたことも、自分は将軍として国を守護するのだと言ったことも、この派閥的にはいまだに気に食わないらしい。じゃあどうするのが良かったのか、というと、ただでさえ軍の兵士に人気の高いアルフ様だ。ごくごくありふれた貴族の娘と結婚していれば、彼らの心配の種は減る。
それから、水面下で出来上がっていた”筆頭竜巫女”エルリア様を支持する派閥。こちらは、先の婚姻の儀での話などなどで、なりをひそめつつはある。これらの派閥に共通する懸念は、たった一つだ。
すなわちキヨラ様の、国民に対する求心力が、大きすぎるのだ。
廊下を歩む最中にも、キヨラ様へおめでとうございますと声をかける者達は多かった。それは神官であったり、竜騎士であったり、貴族であったりした。第三王子の妃、という地位は確かに、王族に連なる地位だ。しかしキヨラ様はその立場になって、半年も経っていない。そのせいもあって、ひどく気安い気配を放っていらっしゃる。その危うさもあって、つけこもうとする輩もいない。そんなところにつけこめば、非難は必至だからだ。
でも、それゆえに、危惧する者達もいる。
平民出身であることや、近年まれにみる才能を持っていらっしゃること。ゲイジュア様から加護を授けられたことや、アルフ様の傍で献身的に公務に就かれる様子は、国に広く知れ渡っている。
火竜軍将軍ということもあり、アルフ様は竜使いに最も人気の高い王子でもあった。つまりアルフ様とキヨラ様のお二人がもし、その気になり、本気で煽動すれば、国の転覆すら狙えなくはない。
と、第一第二王子派閥と、エルリア様の派閥は考えている訳である。
勘違いと思い上がりも甚だしい、と言わざるを得ない。アルフ様について、南方の一角へ赴いて数年。キヨラ様にお仕えして三か月ばかりだが、お二人とも目の前のことに懸命であり、そのようなことを考える暇すらない。
聖堂の中に入ると、”筆頭竜巫女”であるエルリア様が、ゲイジュア様の前に腰かけられていた。扉の近くには、導竜教会の神官が一人立っている。キルド様が、彼へと話しかけた。
「今は、何か儀式の最中だろうか? ゲイジュア様にお目通り願いたい」
「いいえ、儀式は為さっていないのですが、エルリア様がゲイジュア様にお目通りの最中なのです。陛下からの依頼のためですので……」
「そうでしたか。キヨラ様」
うかがうようにキルド様が声をかけられる。キヨラ様は頷くと、ゲイジュア様の方に目を向けた。と、やおら、ゲイジュア様が顔を上げられた。エルリア様が何事か話しかけていたようだが、それへの反応ではない。キヨラ様の姿を目にして、金属を打ち合わせたような、涼やかな響きのある声を上げられた。
「分かりました。長くかかるようですから、今回は失礼させていただきます」
「申し訳ございません、キヨラ様。……もしや、ゲイジュア様に呼ばれましたか?」
神官が尋ねるのに、キヨラ様が頷かれる。あの声が、何を言ったのか、キヨラ様にははっきりと分かっているようだった。ゲイジュア様に一礼を返し、聖堂を出られる意を示された。キルド様も、私も、キヨラ様がおっしゃるのなら従うほかない。
だがその時、冷ややかな声が響き渡った。
「キヨラ様」
エルリア様が、こちらを見ている。あの方がゲイジュア様の声を聴けるかどうかは、不明だ。しかし今、あの方の怒りというか、何か、よくない感情がキヨラ様に向けられている。
もともと美しい顔立ちをしているからこそ、強烈に恐ろしい顔。鋭い目をして、エルリア様がこちらを見ていた。
「国竜ゲイジュア様の申し出を、何故竜巫女ごときが断るのか。その職務、間違えておらぬだろうな」
キヨラ様が、ぴしり、と凍り付くように立ち止まった。エルリア様の口が、さらなる言葉を紡ぎだそうとしたその瞬間。
強烈な金属音が、周囲に轟いた。ゲイジュア様が、こちらに近づきながら音を立てている。エルリア様の方へ顔を向け、キヨラ様を背に庇うように立ちふさがる。その状態で、声を上げられている。
あまりのことに驚いていた私だが、はっとなってキヨラ様の傍に駆け寄った。既に、おひとりの体ではないのだから、何かがあってはならない。
「お怪我は、大事はありませんか?」
「だ、大丈夫……エルリア様が」
ゲイジュア様の声は、鳴りやまない。
それに圧されるように、とうとう我慢できなくなった様子で、エルリア様が駆けだした。そして聖殿の扉を飛び出して、導竜教会の方へと走っていく。神官が慌てた様子で、その後を追いかけだした。エルリア様、エルリア様、と、大きな声を上げながらなので、それは大変に目立っていた。私も、キルド様も、止めようがない。
いくら加護を受けているとはいえ、ゲイジュア様の巨体に対して我々は、あまりに脆い。何か気に障ることをして、キヨラ様に万が一危害が及ぶことを考えると、下手に動けなかった。
「……ゲイジュア様!」
キヨラ様が不意に、声を上げられた。とたん、ゲイジュア様の声が止まる。
言い聞かせるように、キヨラ様が話をされた。
「落ち着いてください。あの方のおっしゃることも、もっともでございましょう。私を傷つけようとか、そういうことは考えていらっしゃいません。ですから」
再び、あの、金属音のような声。しかし今度は、明らかに涼やかで、落ち着いた響きだった。
「はい。私を想ってのこと、ありがたく思います。ですが……」
ゲイジュア様がゆっくりと、キヨラ様の方に顔を向けられる。その鼻先を、ぽこん、とキヨラ様が叩かれた。
私とキルド様にとって、それは考えられない振舞だった。慌ててあたりを見回し、私たち二人以外には人がいないことを確認する。
「やりすぎです。エルリア様は、ゲイジュア様の声を聴こうと必死になっておられた。その間、心を閉ざし、黙っていたのはあなた様の方ではありませんか! それなのに、まるで責め立てるような声を出して。私とは、また話す機会もございましょう。わたくしは国竜として、あなた様を慕っておりますし、敬います。加護を授けてくださったことも、この上ない幸せです。ですが、私と話せぬからといって、エルリア様を傷つける理由になりましょうか?」
まるで、反省するように、ゲイジュア様が身を縮めた。時折、無茶や、悪さをした竜をキヨラ様が叱るところに遭遇したことはある。けれどそれをまさか、6代の王に仕えた国竜であるゲイジュア様にもするとは思わなかった。
「王が守護するのは国の民。その王を守護するあなた様が、民を傷つけるとはどういうことですか。またそうするのなら……」
キヨラ様が、そこで溜を作られる。そして両手で、やや膨らんだ腹部をそっと撫でて、にっこりと笑顔を浮かべた。
「この子の顔、ゲイジュア様にはお見せしませんよ」
効果は、てきめんだったらしい。ゲイジュア様は小さくなると、宝石を打ち合わせたかのごとく、煌びやかな声で小さく鳴かれた。
その仕草に満足したらしいキヨラ様が、私たちの方を向く。
「……えーと」
流石にまずいことをしたとは、分かっているらしい。
「キヨラ様、お話がございます」
私が冷ややかに言うと、まるでそれを揶揄するように、ゲイジュア様が小さく鳴かれた。とりあえず、キヨラ様の身に、大事は起きなかった。
侍女である私としてはそれで十分なのだが、キルド様はそうもいかないらしい。
「リタニア、キヨラ様をお連れして、アルフ様と合流してください。私はエルリア様の方へ向かいます」
「かしこまりました。……しかし護衛は」
「今そこでつかまえました、以前、部下だったレフトです」
紹介を受けて、まだ年若い竜騎士が見事な敬礼を返してくる。ギルド様の部下だったのなら、まだ信が置ける。
その騎士に護衛を受けて、私たちは控えの部屋に戻るのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます