9、竜巫女、キーリエ
私は地方を治める、ある男爵の家に生まれた。
おとぎ話じみていた、竜との会話。しかし、十四歳になってから能力が発覚し、神殿に召し上げられることとなった。そんな私にとって最も初めに触れそして、色濃く残った知識が、二つある。
王族は、”竜巫女”と結婚すべし。
”竜巫女”が神殿を出るときは、例外を除き、依頼に限るものとする。
”竜巫女”は各地に赴き、その土地の貴族と出会うこともある。”竜巫女”と結婚すれば、己の領地に”竜巫女”を置けるとあって、昔は神殿に”竜巫女”が居なくなるほど、縁談が舞い込んだそうだ。
けれどだんだん、そうした貴族と婚姻を結んだ”竜巫女”が、不幸な最期を遂げることが増えた。しかし、王族と結ばれた”竜巫女”は、不運な死を遂げるようなこともなく、大往生なさってきたという。その上、貴族と結婚したとしても、幸せに終わる”竜巫女”もいた。
その全員が、恋愛の果ての結婚だったという。
愛した王と共に暮らすため、島を空へ浮かべたという銀龍フィーエ様。
そのせいもあって、元々恋愛至上主義だったのに、さらに拍車がかかった一件とされている。そんな歴史書を捲っていると、隣に腰かける音がした。
「エルリア様、最近お見掛けしないわね」
隣に座ったのは同じ”竜巫女”のロゼッタ。
「そうね。依頼も減ったし」
ここのところ、神殿に舞い込む依頼はめっきり減った。
火竜将軍のもとへ輿入れされたキヨラ様が、担当の島の問題すべてを御一人で片付けられている。そのおかげで、島三つ分の仕事が減った。もともと、気性が荒かったり頑固な竜が多いほど、”竜巫女”は必要とされがちだ。きちんと言葉を聞き届けてくれる”竜巫女”が来たとあって、かの島の竜たちは大変に、おとなしくなってしまったそうだ。
「ゆっくりできるのは嬉しいけど、エルリア様、心配よね」
「やっぱり、あのこと、相当ショックだったのかしら」
気づかわしそうに言うロゼッタに、頷いた。
今から三か月前のこと。唯一の独身の王族であらせられた、アルフ殿下が結婚為された。お相手は、商人の出身だという、キヨラ様。”竜巫女”の一人としてご挨拶させていただいた印象は、私たち”竜巫女”の中で一致している。
ずばり、可愛い、である。
今いる”竜巫女”の全員が、位の上下はあれ貴族の出身。不思議なのだけど、貴族として王家に血筋が近いほど、奇抜な色の髪や目、そして大柄な体を持つ。かくいう私は一番小さいが、そんな私よりもずっと小さく、あどけない印象のこげ茶の髪と目をされたキヨラ様は、本当に可愛らしかった。そのうえ、キヨラ様は国竜であるゲイジュア様が加護を授けられるほどで、めったに見られない光景にドキドキと心臓がうるさくなってしまったほどだ。
けれどその一方で、疑問もあった。
私たち”竜巫女”の中では、アルフ様のご結婚相手はエルリア様だろう、ということで認識が一致していたからだ。大層美しく、銀龍フィーエ様をたとえに使われるほどの、エルリア様。公爵家の中でも古い家柄の生まれとあって、確実だと思っていたのに。エルリア様の父上もいずれはお支えするのだ、と公言して憚らなかったし、エルリア様も否定なさらなかった。てっきり、私たちは、もう内々に話が進んでいると思っていた。そうではないと分かってからは、口の悪い子の中には思い込みでああも公言なさるかしら、とエルリア様の父上を非難する子もいた。
私も口には出さなかったけれど、そう思っていた一人だ。
「ゲイジュア様の声に、まるで打ちのめされたようだったわ」
「本当。意味は分からなかったし、心も読めなかったのだけれど、とてつもないお声だったもの」
そのエルリア様がつい最近、キヨラ様と三か月ぶりに再会された。
キヨラ様は国王陛下へ、ご懐妊の知らせを持ち、アルフ様と久しぶりに王都へいらっしゃったとのこと。加護を授けた相手の来訪とあって、ゲイジュア様が直々に呼ばれたそうだ。
しかしその時、エルリア様は陛下からの依頼を果たすべく、ゲイジュア様がおられる聖堂にいらっしゃった。三か月ぶりに顔を合わせたお二人、エルリア様もキヨラ様も、さぞかし居心地の悪い思いをしただろう。そこでキヨラ様のほうが、ゲイジュア様にご用事が終わるまで外で待つと、伝えたそうだ。そこでエルリア様が、お怒りになられた。
『国竜ゲイジュア様の申し出を、何故竜巫女ごときが断るのか。その職務、間違えておらぬだろうな』、大声でキヨラ様を叱りつけられた、直後。ゲイジュア様が、エルリア様の方を向いて、大きな声で鳴かれた。結婚式の時の荘厳な音色ではあったけれど、意味は全く違うだろうと分かる、強烈な音。
それに追われるように神殿に帰ったエルリア様は、部屋に閉じこもってしまわれた。
「エルリア様、しばらく神殿の中のお仕事だけになるそうよ」
ロゼッタの言葉に、やはり、と頷き返す。
「お体に障りがあっては、ならないものね」
頷きあった私たちだけど、ややあってロゼッタが、ぽつりと言った。
「……ねぇ、私たちは、どうなるのかしら」
「ロゼッタ?」
「地方に出向けば、その土地で貴族の男性にも御行き会いできるのは確か。でも……でも、私たちは、それで恋をしなければ、ここからは出られない」
ぎゅ、と下を向いたロゼッタが、ぽつりと言う。
「でも、それ以外の生き方は、私たちは本来は望んではいけないのよね」
「どういう、意味?」
「あのねキーリエ、あなただから話すわ。私ね、本当は治療院に常駐して、竜たちの手助けをしたいと考えているの」
ロゼッタの顔は真剣で、私は思わず言葉を失った。彼女とは年も近かったから、よく話してきたし仲もよい。友達、と言っていいと思っている。
でもそんな彼女が、まさかそのようなことを考えているとは、思わなかった。
「この前のキヨラ様の一件を、あなたも聞いたでしょう? キヨラ様が的確な指示をした御蔭で、深手を負った竜が無事回復して、飛べなくても荷を引く竜として再び竜使いと共に暮らせるようになったって。飛べなくなった竜を助けた、そして新たな仕事先までお世話されるなんて慈悲深い……そればかり皆言うけど、そこだけじゃない。竜のことも、竜使いのことも考えて、同じような竜や竜使いが居ればそうした働き方もあるって示されている。これって、立派な王族や、貴族の仕事だと思うのよ」
でも。ロゼッタはそこで言葉を切り、そして意を決したように、口にした。
「キヨラ様は間違いなく、”竜巫女”よ。”竜巫女”が優先すべきはいつだって、竜の言葉と心を必要な人に伝えること。そして何よりも、竜を重んじること。私、自分が役立たずだとは思っていないわ。けれどね、私たちがこうやって、暖かな場所で、神殿の中で強く守られて、人々の象徴としてあること。そのことと、キヨラ様のように今苦しむ誰かのために戦うこと。そのどちらの姿も、私は”竜巫女”として間違っていないと思うの。そう思うと結婚とか、そういうことより前に、私はキヨラ様のようにありたい。存在を、価値を、神話の代理人として在り続けることは、もうしていたくない」
「ロゼッタ、でも、それは……」
その言葉を、私は理解できた。ロゼッタの気持ちも、よくわかる。十四歳までは外の世界に暮らしていた私だから、ここがどんなに外界と隔絶された平穏な世界か、よくわかっている。
その世界に生きてきたからこそ、思うこともある。
「ねぇロゼッタそれは、これまでここで最期を迎えられてきた巫女様達を、否定してしまわないかしら」
「しているわ。分かっている」
「あなたずっと、そう考えていたのね」
頷いた彼女は、はぁ、と大きなため息をこぼした。
「そうよ。もともとだったけど、エルリア様の『国竜ゲイジュア様の申し出を、何故竜巫女ごときが断るのか。その職務、間違えておらぬだろうな』っていう言葉を聞いて、なんだか余計にそう思っちゃって……」
「……”竜巫女”が最も優先すべきは、竜だということが疑問なのかしら」
「いいえ。竜を優先すべき、なのは分かるのよ。でもね、それってその時々によらないかしら? キヨラ様はきっと、エルリア様の対面上のことも考えて、今この時は、と断られたのでしょう? もしかしたらゲイジュア様も、納得されていたのかもしれない。そう思ったら、なんだか」
ロゼッタの言い分も、だいぶ分かってきた。つまり、神殿からの指示に従うばかりではなく、自分で考えたことを自分でしたいと思っているのだろう。その思いは賛成できるし、私も同じ考えを抱いたことはある。
けれどそれには一方で、だからこそ神殿に”竜巫女”が集められる理由なのだと、私は考えていた。
「でもね、エルリア様も、そんな考えなしに言われてるわけじゃあないわ」
「当たり前でしょ。ただ、私の感じ方には、ちょっと合わないなぁって思ったのよ」
「うん。……ねぇ、かつて王家を振り回して、傾国と称された巫女がいたって知ってる?」
首を横に振ったロゼッタに、私は語った。
かつて、平民の母と貴族の父を持つ娘が、”竜巫女”として召し上げられた。その娘は”竜巫女”の存在価値を生かし、力が強かったがあまりに、己の聞いた竜の声を良いように周囲に伝え、己の私利私欲をむさぼった。やがて王族の血筋に見初められ、結婚と相成ろうとしたその時。娘の不正を暴いた神殿が、その結婚にまったをかけた。竜の声をゆがめた大罪人として、その娘は娘としての存在をはく奪され、”竜巫女”という価値だけで生きることを余儀なくされた。
そんな古の、でも実話だという話。
アターシャ様がいつぞや語ってくれたことを、私はまた滔々と語ったに過ぎない。
「私たちの発する言葉が竜の声だと信じられるのは、多くの巫女がこれまで培った、信頼に基づくわ。だからこそ私たちも、後に”竜巫女”となる子たちが困らないよう、信頼を積み重ねるべきだと思うの。信頼を失えば、たとえ私たちが”竜巫女”であっても、竜にも人にも、声は届かないし理解はしてもらえないのよ。キヨラ様だって商人だったころの実績やその言葉の確かさに、大きな信頼を寄せられているからこそ、現場で竜を助けるということができているのよ。違う?」
驚いたような目をして、そしてロゼッタがこっくりと頷いた。
「そうね。……そうね、それもその通りと思うわ。すごいわキーリエ、貴女、指南役向きじゃない?」
「アターシャ様みたいになれるかしら」
実はひそかに憧れていたの。
そう言った私に、ロゼッタはきょとんと眼を見開く。そして、華やかな笑い声をあげたのだった。
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