8、竜巫女指南役、アターシャ


「アターシャ様」

「そうか」


 考え込みながら、妾は腰かけた椅子に深く座り込む。

 仲睦まじい第三王子とキヨラ様の姿が、皆に知らしめられたあの夜会より、三か月。


「……もう一度、詳しく申せ」


 神殿から王城まで、各地に放っている、影たち。いわば妾の、耳となり足となる者からの報告に、妾は目頭をもんだ。


「はい。……報告のために王宮へ上がられたアルフに付き添ってきたキヨラ様と、王からの依頼を果たすべくゲイジュア様の傍にいたエルリア様が、偶然接触なさったのです。キヨラ様の方には側仕えの下女がおり、エルリアの方には夜会以降つけられた神官がついておりました。私が見た限りですが、ゲイジュア様はキヨラ様を傍に呼び寄せ……ええ、喉が動いてましたので間違いないかと」


 なるほど、と妾は頷く。

 喉が動いたということは、ゲイジュア様は声を出された、ということだ。元々、声を出さぬ竜でも、”竜巫女”はその心を見ることができる。しかしその心を見るためには、その竜に心を許されねばならない。さらに竜の心をほかの人に話すことは、その”竜巫女”の信頼が必要になる。

 だから喉が動いたかどうかというのは、竜使いであればだれもが心得る、竜が声を発した証なのだ。


「キヨラ様はエルリア様の仕事をお邪魔してはいけないと、断りの意を示しましたが、それを見てエルリア様が激高なされました。『国竜ゲイジュア様の申し出を、何故竜巫女ごときが断るのか。その職務、間違えておらぬだろうな』、と。とたん、ゲイジュア様がエルリア様の方を向いて、鳴かれました。それを聞くうちに、エルリア様は青い顔になっていき、キヨラ様も青ざめていかれました。そしてついには、ゲイジュア様の声に追われるように、エルリア様は部屋から駆け出して行かれたのです。その様子は、多くの者が見ております。追いかける神官の声が、大変大きいものでしたから」

「ご苦労。……お前の目から見て、どう見えた」


 影の姿勢が、揺らぐ。しかし、この影は妾が、王妃であったころからそばに居た影。いまさらだ、と妾が言えば、それならと口を開いた。


「ゲイジュア様のお声は、外まで響いておりました。この城にいる者なら、すぐわかることでしょう。キヨラ様をゲイジュア様が呼ばれ、エルリア様に遠慮を為さったのに、それをエルリア様が叱られた。それをさらに、ゲイジュア様が御叱りになられ、エルリア様はそこから逃げられた。……噂が立つのは、時間の問題かと」

「国竜に嫌われた”筆頭竜巫女”、か」

「そうです」


 なんの会話が交わされたかは、エルリアに聞かねば分からないだろう。しかし、状況は、彼女にとって悪化する一方だ。


 あの後も、エルリアは”筆頭竜巫女”の座に就くことができている。

 夜会でキヨラ様からの優しい声かけを、ああもばっさり切り捨てたのには驚いたが、本人は悪びれすらしていなかった。つまり、彼女には、その自覚がないのだ。それは分かったが、周囲には伝わるはずもない。彼女への目は厳しいものとなり、元々アルフの婚約者になるのでは、と噂があったせいもあり、遠ざけられている。


 言われてみればその通りだったが、第三王子であり火竜軍大将のアルフの妻である以上、キヨラ様が神殿でのお務めをされる必要はないのだ。王族に嫁いだ”竜巫女”は皆、それぞれの王家のお方に付き従い、その竜との会話を手助けすることに重きを置く。しかしそんなことを忘れてしまうほど、キヨラ様の力は強いものであった。

 破格ともいえる成長ぶり故、竜巫女指南役である妾も早々に様々なことを解禁せざるをえなかった。


 現在キヨラ様は、火竜軍の本部が置かれる、王都から見て南方の三つの島。火竜軍直轄地において、ご生活為さっている。キヨラ様が全ての野生竜の長と対話を済ませたという。アルフの竜にともに乗られ、時にはご自身で竜を操って、空を行かれる御姿は民衆にも広く知られているらしい。こんなにも早く、実際に公務に就かれるとは、思ってもみなかった。


 なにせ結婚なされてから、たったの三か月しか経っていない。


 第二王子の妃も、第一王子の妃も、妾の教えた”竜巫女”である。しかし、実際に公務に付き添われたのは、結婚なされてから三年は必要だった。一年は竜に乗れるようになるために、二年は時に領地の荒れた環境に住む竜を学ぶために、三年は王子の妃であるために。しかしキヨラ様には、最初の二年が必要でなかった。


 もともと、商人として竜に乗り、丸一日飛ぶことすらできるほど、体力のあるお方だ。領地となる三つの島も、休憩を挟めば飛び回ることは実にたやすく、環境に慣れるのも早かった。さらに、竜についての知識は、全くの無ではない。それどころか商隊を率いるために、家に出入りする様々な竜使いの竜の属と特徴を、個体ごと心得るほどである。もちろん竜使いときちんとした会話をするために、正式な名前だ。赤いのとか青いのとか、そんな目線でなど見ていない。しっかりと勉学を修めた竜使いとも会話していたようで、竜の治療さえ心得ている。

 故に彼女が必要とされたのは、第三王子の妃として必要な知識と振舞いであった。

 しかし、生まれは商人の娘と、皆知っている。多少の粗相はお目こぼしとなるし、何より今いる場所ではアルフに次いで尊ぶべき立場。子供ができもすれば、より一層周囲から大切にあつかわれるだろう。


「キヨラ様の方は、良いじゃろう。あの方のことじゃ、本当にゲイジュア様に呼ばれ、そしてエルリアがいるなどとは思いもしなかったに違いない」

「そのようです。問題は、エルリア様の方かと……神官のなかにさえ、”筆頭竜巫女”としての力を、疑う者がおります」


 やはり、と頷いてしまった。妾が気にしていたのは、エルリアであった。

 キヨラ様を見たことで、妾にも思うところができた。エルリアは、幼くして”竜巫女”になるため、教会の神殿へ入った。その後、彼女は、”筆頭竜巫女”になることをひたすら、追い求めてきたようだった。理由はずっと、分からなかった。

 ”竜巫女”は争わぬ、競わぬ、戦わぬ。神話の伝承を引き継ぐ存在として、人々にとっての象徴であり続ける。そういう教育を受けたはずの彼女が、何故あのように固執するのか。

 しかし、キヨラ様への様子に、なによりアルフへのふるまいに、ようやく気が付くことができた。エルリアはずっと、信じていたのだ。


 いつか自分がアルフの、妻となることを。


 公爵家の中でも歴史が古い部類に入る、フレメリア家の次女という生まれながらの地位の高さ。そして間違いなく、キヨラ様以外並ぶもののない、”筆頭竜巫女”としての能力。たおやかな容姿と、本人のたゆまぬ努力により保たれた、美しき振舞。それらを鑑みて、唯一の独身王族であったアルフの婚約者には、相応しいと言ってよかっただろう。

 しかしこの国において婚約は、特に貴族においては、双方の了解がなければ成立しない。アルフ側の了解がないことはもちろんのこと、フレメリア家から正式な申し込みはなかったと分かっている。


 つまりエルリアの、アルフの妻になるという話は、彼女の思い込みに過ぎない。


「……惨い」


 思わず、妾は口にする。


 エルリアの思い込みのきっかけとなったのは、幼くして神殿に入った彼女へと、父親であるシュタインの物言いが原因だったとも分かった。彼が繰り返し、エルリアへいずれお前はアルフを支える、と言い含めたのだ。しかし、シュタインも、哀れな理由でそれを口にしていた。だがたとえ娘を喜ばせるためとはいえ、根も葉もないうわさを神殿の内部にはびこらせた罪は重い。

 気がついてはいないのだろうが、エルリアにとってアルフは、初恋の相手だった。その相手をいずれ支えよと、父から繰り返し伝えられれば、よく言って純粋無垢。含みを無くせば、己こそが伝承の引き継ぎ手と確信する”竜巫女”という存在は、容易くそれを信じてしまうだろう。


 アルフは婚約者を持たずに来た。それは、最初の婚約者をはやり病で無くしたのち、彼自身が申し出たことだ。

 それゆえに、エルリアの思い込みも、シュタインの言葉も、本当になる可能性は常にあった。


「アルフも、エルリアではなく、キヨラを庇うじゃろうな」

「いたわしや……そのことで、また傷つかれることでしょうに」

「そうじゃろうな。しかしよもやエルリアが、そこまで本気とは、思っていなかった……」


 そう。あくまで、全ての話が可能性でしかなかった。

 アルフにとってはまさに、晴天の霹靂であったろう。エルリアの立場などを考えれば、候補に挙がることくらいは見越すかもしれない。しかし、話が正式に持ち上がらない以上、それは噂にすぎぬし、律儀にその噂通りに王家が動く必要もない。

 なにより、すでにアルフのもとには、これ以上望むべくもない妻がある。たとえ貴族としての地位を持たずとも、それを真正面から飛び越えるような才能と、人に愛される可憐さを秘めた、妻がある。そこを乗り越えるにはすでに、フレメリア家公爵令嬢、などという肩書では、あまりに役不足だった。


「……もっと早くに、気が付くべきであったな。指南役失格じゃ」


 妾の立場は、”竜巫女指南役”である。

 自らは、”竜巫女”であると同時に、その導き手となるべき存在。エルリアのような、激しい思い込みを持つ娘が、今も神殿にいるやもしれぬ。非常に明確な可能性は、時に人を狂わせるのだと、良く学んだ。これまで平穏無事にあってきたこの国には、王家と教会に纏わる一連の話題は、強すぎる香辛料のようなものだ。

 情報漏洩には厳しい我が国だ、そうそう簡単には夜会での出来事が漏れはしないだろう。しかし今日の出来事は、危ういやもしれぬ。


 しかもキヨラ様とアルフが仲睦まじいことは、すでにアルフの治める領地には知れ渡っている。

 そのことを隠すことはできぬし、エルリアに伝わるのを遮断する道理もない。


 そうだ。もし、もしアルフとエルリアの婚約が正式なものとなっていれば、キヨラ様の話をエルリアの周りから断つことは、なにもおかしくない。

 しかしエルリア個人の感情で周囲をそこまで振り回してよいのか、と言われれば、答えは否だ。ひどく難しい話なのだが、教会的には巫女は大切だ。しかし、”竜巫女”が大切なのであって、各個人の巫女が守られているか、と言われたら、そうではない。

 もし今後何か、より複雑なことが起これば、エルリアの立場はどうなってしまうだろうか。


「アターシャ様」


 また一人、影が現れる。アルフの報告を、こっそり聞き取らせに行った者だった。


「おお。……アルフの報告、どうであった? 領地に纏わるものだけだったか」

「いえ、流石アターシャ様。おめでたい出来事の報告がございました。キヨラ様、ご懐妊とのお知らせです」


 本来は、喜ぶべきことだと、妾も分かっていた。


「……そうか」


 よいこと、そのはずである。

 そのはずなのに。


 なぜだか胸騒ぎは収まらず、影二人を前に、妾はため息をこぼすのだった。



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