5、アローヴォス諸島国公爵、シュタイン・レヴィ・フレメリア


 パル族のレース衣装に包まれた、小柄な娘。玉虫色の国竜、ゲイジュア様に祝福を受けた御姿を、私は見つめていた。

 しっかりと前を見つめる姿は、力強い。民によく見られる、茶色の目と黒い髪。美人とは言い切れない顔だが、けれど。けれどそれは、誇りを感じさせる姿だった。アルフ様が、幸せそうに腕を絡められる。幸福そうな様子に、私の罪は余計に、重くなる。


 もっと早くに、あの娘が洗礼を受けていたのなら。それなら我が娘は、あんなにも傷つかなくて良かったのに。

 まるで逆怨みの様な言葉を思いつき、己を恥じる。


「いずれお前は、アルフ様をお支えするのだ」


 それは、娘を、喜ばせるための言葉だった。《竜巫女》として召し上げられた娘の、唯一の笑顔。娘が《竜巫女》だと分かったのは、三歳の洗礼式の時だった。その日から娘は導竜教会へ召し上げられ、竜に、そして民のために尽くしてきたと思っている。

 私以上に、己が腹を痛めて生んだにも関わらず、遠い所へ行ってしまったと嘆いた妻は心の病から体を壊した。妻に代わりなんとか関わろうとする私だが、そううまくいくはずもない。そんな娘の笑顔を引き出せる話題が、アルフ様のことだった。エルリア・リュゼ・フレメリア。それは私の娘であり、《竜巫女》の一人の名。可愛い娘だ、だが、同時に敬愛すべき《竜巫女》。


「いずれお前は、アルフ様をお支えするのだ」


 可能性はあった。私、フレメリア公爵の娘であるエルリアは、最も貴族的に地位が高く、同時に《竜巫女》としても力がかなり強い。そのことを考えると、唯一の独身である王族のアルフ様には、相応しいと親ながら思っていた。

 確約はなかった。王から直々に、近々アルフ様の婚約者を決めるとの言葉を聞いた時、もしや。と思ったし、思わずエルリアにもそれを伝えてしまった。


 私には、その言葉しかなかった。それしか、娘を褒め、愛する言葉を知らなかった。


「いずれお前は、アルフ様をお支えするのだ」


 愛するための、ことばだったのか。

 褒めるための、ことばだったのか。

 でも娘は、それ以外で、笑ってはくれなかったのだ。

 華やかな儀式を声高く語る妻や周りに、ああ、と呻く。妻は、私の罪など、理解していないだろう。わからないのだ、妻は。エルリアがどれほど、恐ろしい、悲しい思いをしたのかも、知らないのだ。夜の晩餐会までに時間がある、とようやく考えられた時に、声をかけられた。


「お久しゅうございます、フレメリア様」

「おお、キルド殿。久しいな」


 アルフ様の腹心にして、火竜軍の補佐を務めるキルド殿。何度か顔を合わせたこともあり、一応知り合いと名乗れる程度の面識はあった。


「その節は世話になりました。……少々、お話を伺いたいことが、ございます」

「……娘のことですな?」 

「はい」


 はっきりと告げるその目に、迷いはない。妻に仕事の話があるからと断り、近くの部屋へ案内を受けた。簡単な茶菓子を用意され、座についた。ギルド殿は、何も促さなかった。

 ただ私は、理解していた。彼は私が話すのを、待つつもりなのだと。そして私が、黙っては居られないことも。


「……私がいけないのです。三歳の頃から、あの子とは、神殿の中でしか会うことはなかった。エルリアが笑みを浮かべる話題、それがアルフ様のことだったのです。私はただあの子を喜ばせたくて、アルフ様の話題をたくさん話しました。いずれ、あの方を、お支えするのだと。しかしそれは、妻となる、という意味で言ったつもりはなかったのです」


 ああ、そうだった。

 ただあの子の笑顔が、見たいだけだった。


「愚かな親です、不出来な父親です。尊い《竜巫女》となったとはいえ、あれは我が娘だった。もっと、もっと、愛情の注ぎ方はあったはずなのに」

「そうして、何度も、なんとおっしゃられたのですか」


 私の満足で言い続けた、今となっては忌まわしき言葉。


「……いずれお前は、アルフ様をお支えするのだ。と」


 それを口にすると、キルド殿は静かに、目を伏せられた。そして彼の口から告げられたのは、予想していた事態だった。

 エルリアは、エルリアは、いずれ自分がアルフ様と結婚するのだと信じ込んでいた。神殿の神官も何人かは、そう考えていたらしい。


「そうなのですか」


 まるで他人事のような言葉が、私の口から洩れる。


「……大きな動きがなければそれでよいのですがね」

「どういうことでしょう」

「キヨラ様に何か被害がなければよい、そういうことですよ」


 きつい言い方だった。確かに今となっては、キヨラ様はアルフ王子の妻であり、《竜巫女》の一人。しかし、それではまるで、エルリアが何かしようとしているように聞こえて、ならなかった。


「あの子は、そんな子ではない」

「確信などございませぬ」


 あまりにもはっきりと言い切られて、言葉に詰まった。私にも、確証はなかった。エルリアが何かするとは、思えない。けれど、それを否定できるほど、はたして私はあの子のことを、知っているのだろうか。そう問われると、言葉に詰まる。けれど親として、私はあの子を信じてやりたかった。それだけで、それだけだった。

 ただ、それだけで。


「もっと早くにあの方が《竜巫女》となっていらっしゃれば、エルリアは期待などせずに、済んだだろうに」


 口にした時には、もう遅かった。


「……あなたは」


 何かを言おうとして、キルド殿が口をつぐむ。そしてかすかに首を横に振ると、こちらをまっすぐに見た。


「元々、口約束にすらなっていないこと。陛下も、噂だけは耳に入れている、という状況ですので」

「それが」

「何も起こらなければ、何にもならない状況……そういうことです」


 ああ、と私は頷いた。合点がいった。

 つまり。もともと、私がエルリアに言っていたことで、そして結婚すると明言もしていない。おそばで支える、という表現を使っていたのだから、最悪の場合。

 親としては、最悪。貴族としても、最悪。保身のためなら、最良。

 ようはエルリアのただの思い込みだと私が言い張れば、あの子が何か良くないことを企んだとしても、私は知らぬと切って捨てられる。それに気が付き、私はぞっとした。あの子を切り捨てることを、考えられてしまった自分自身を、怖れ恥じた。


「何もなければ、良いのです。何も、なければ」


 祈りのような響きに、顔を上げる。ただただ、暗い目をしたその表情に、ぞくりと背筋が凍った。


「それでは、フレメリア様。失礼いたします」

「……ああ」


 立ち去るキルド殿を見送り、私は深く、ため息をついた。しかしそうしている場合ではない、妻を追いかけて晩餐会の前座であるパーティーに出席する。王族の結婚だが、所詮相手は商人の娘だ。そう侮っていた者達も、もはやキヨラ様を讃える言葉しか紡がなくなっていた。あのように素晴らしい《竜巫女》だなんて、と口々に会話する。


「貴方、お仕事の話はもうよろしいの?」

「ああ、大丈夫さ」


 妻に微笑む。そう、と答えた彼女は、どこか元気がない。彼女もまた、エルリアがアルフ様へ輿入れすることを、考えていた一人だからだろうか。

 男親である自分とは違い、何か感じるものがあるのかもしれない。

 と、その妻が笑みを浮かべた。見て、と腕をひかれ、納得する。そこにいらっしゃったのは、現陛下の母君であるアターシャ様。先代の王妃様の、変わらぬあでやかな御姿であった。普段は導竜教会にて、仕える《竜巫女》らの指南役を務められ、ほとんど表に出てくることはない。第三王子の栄えある結婚ということで、こうしていらっしゃったのだ。儀式の最中も姿はお見掛けしていたが、厳粛な場でむやみに声をかける訳にもいかない。

 妻が喜んだのは、前王妃様が、彼女の母方の叔母にあたるからだ。滅多なことでは行き会えぬ叔母に会えると、嬉しそうにしていた。


「おお、フレメリアの。久しいな」


 何人かの挨拶を受け取るのを見守ってから、妻が近寄る。久しぶりに見る姪の姿に、前王妃様は目に涙を光らせながら喜んで下さった。


「嬉しいことだ。アルフが結婚し、こうしておまえにも会えるなんて」

「叔母様、いいえ、アターシャ様もお元気そうで……」

「今は叔母様と呼んでおくれ。そう呼んでくれるものなど、もうお前以外にはおらぬのだから」


 そう言う前王妃様に、妻は嬉しそうに微笑み、そして近況を報告し始めた。

 王族が《竜巫女》を娶るのは、何も古の神話になぞらえているだけではない。専属の《竜巫女》を得ることで、各地の名だたる竜と会話し、野生の竜などを味方につけるという重要な理由があるのだ。そのため公務の名目で妃や王子らの正室となった《竜巫女》は、導竜教会の神殿に住まう《竜巫女》よりもあらゆる場所へ赴く。その時は夫となる王族も一緒で、その王族が《竜巫女》を介し、竜と会話するのだ。


 ではなぜ、王族に生まれる娘には、《竜巫女》の素質はないのだろうか。

 ふとそんなことを考えたが、次に聞こえた言葉にその疑問は散り散りとなる。


「しかしフレメリアの、残念だったなぁ」


 前王妃様の言葉に、首を傾げた。


「噂では、汝の娘が輿入れするとのことだったではないか。婚約破棄にはなっておらぬだろうな?」

「……恐れながら、あくまで噂にございます故、このような場所で」


 ほほほ、と軽やかに前王妃様が微笑まれる。


「妾が純粋に、惜しいと思っておるのじゃ。エルリアは妾の縁にあたる娘ゆえ、もしアルフと良い仲になれば、と期待していたのでな」

「そうなの、ですか」

「うむ。エルリアにもその気があったようだしのぅ」


 無邪気におっしゃられる前王妃様に、背筋がざわつく。もしかすると、エルリアは、指導役にあたるこの方に、何か話していたのかもしれない。


「フレメリアのも、そのつもりだったのじゃろ? エルリアが、おぬしがよくそう言うと、嬉しそうに話しておった」


 前王妃様の目が、笑っていない。そのことにようやく気が付いた私は、返事をすることさえできなかった。

 気が付けば、周囲はこちらへ注目していない。四方に立つ竜騎士たちが、魔法を扱うのが見て取れた。内密な話なのだ、と鈍い頭が理解する。


「エルリアは、そのことでしか、喜ばなかった。どの竜の声が聞こえても、それが当然という顔をしておった。民からの喜びの言葉も、あの娘には届かなかった。父たるお前が、誇らしげに語るただその一つを、胸に秘めて生きてきた。そういう風にしか、生きてこれなかった」


 私を責めているのだと、妻も気が付いたらしい。うっすらと目に涙をにじませ、前王妃様へと言う。


「あの、叔母様。エルリアのことなら、私にも咎が」

「ある。その通りじゃ」

「……叔母様」


 苦し気に、前王妃様はおっしゃられた。


「しかし妾にも、咎がある。エルリアに外の世界を教えてやれなんだ、その咎が、ある」

「わたしは、わたし、は……」

「フレメリアの、あの子にすべてを、話せるか? 父の申してきたことは、確実な話ではないと。支えよ、ということは、決して御傍ではなくとも、できることを。二親そろって、あの子へ説けるか? よもや、指導役の私の言葉では、届かぬのだ」


 届かない、という言葉に、首を傾げた。私たち以上にずっとそばに居た前王妃様なら、という私のかすかな希望は、打ち砕かれた。


「ゲイジュア様の態度を見ていれば、キヨラ様が《筆頭竜巫女》の座にふさわしいという声があがるのは、時間の問題。アルフのため、相応しくあるため、しがみついてきたその立場すら奪われれば、エルリアには何も残らぬ。可愛そうなことだ……あの子を救えるのはアルフだけになってしまったしかし、アルフは、そう分かっていても動かぬじゃろう。それが、第三王子として、正しい選択なのじゃから。そしてアルフ自身の心も、そうは動かぬじゃろう。このたびの結婚は、白い結婚などではない。アルフが恋し、愛して娶った妻なのじゃからな」


 私と妻は、顔を見合わせた。妻の顔に宿る決意を見て、私は応えるように頷く。


「叔母様。わたくしたち、至らぬ両親に、御慈悲をくださいませぬか」

「あの子へ、会いにいかせてください」

「うむ。そうしてやっておくれ。妾も、篤と尽くそう」


 穏やかに頷かれる、前王妃様。決意が、ここにはあった。

 そうだ、まだ、何も起きていない。エルリアに対し、ずっとひどいことをしてきた我らの言葉など、いまさら意味はないのかもしれない。けれど、けれど今は、あの子に謝りたい。あの子を慰めてやりたい。この不出来な親により、今、さぞかし傷ついているであろう、エルリアのために。


 この時はまだ、未来はかすかに光が差し、おぼろげだった。

 いや、そうなのだと、信じていた。信じて、いたかったのだ。


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