4、火竜将軍直属竜騎士、キルド
婚姻の儀の後。近しい部下とアルフ様のみの部屋の中、私は話し始めた。
「アルフ様。エルリア様が、貴方様の婚約者候補の筆頭であったことは、ご存知でしょうか」
「ああ、噂では、聞いたことがある。しかし事実はなかろう?」
「……そのお話、内内に、進められていたことの可能性があるのです」
驚いた顔をしたアルフ様に、その通りだろうな、と思った。
我らが将軍の結婚報告に、度肝を抜かれた存在は、多岐に渡る。戦場の花形とされる一方で、その実際、火竜の扱いの難しさから少数精鋭とならざるを得ない火竜軍。その長に収まった王族というのは、三代ぶりだと聞く。
それだけ優秀なアルフ様には、婚約者がおられなかった。というのも、アルフ様が一五歳となった折に、それまで婚約者として決められていた令嬢が流行り病で亡くなられたのだ。それ以降アルフ様は、その令嬢に申し訳ないという思いと、第三王子という地位。そして軍人になったから、という理由から『むやみに寡婦を作る必要もないだろう』というアルフ様のお声もあり、婚約者を決めることなくここまで来られた。兄上方が相次いで結婚為され、御子がお生まれになられたのも、婚約者不在のまま成長することを許される理由となった。
しかし現王のお子様らは、既にほとんどが結婚為さった身。しかも第二王女、シャルール様は、まだ十歳にもならない。唯一、結婚できる二十七歳で独り身のアルフ様を射止めようとする動きは、絶えなかった。
そのアルフ様が突然、結婚すると言い出したのだ。
どんな美女に落とされた、いう問い合わせにも。そのお相手はエルリア様か、という問い合わせにも。
いいえ、と答えるほかはない。
相手は、大きな商会の娘とはいえ、平民なのだから。
「初めまして、アルフ様直属の竜騎士、キルドと申します」
「キヨラ・ホスロウと申します、竜騎士キルド様」
「どうかこれからはキルド、と呼び捨てでお願いいたします。アルフ様の奥方になられるのですから」
ご自身を納得させるように頷かれるのは、小柄な、少女と表現したくなる女性だ。これでも二十四歳なんです、と照れたように言われてしまえば、そうですかと返すほかない。巷では行き遅れ、と表現される歳ではあるが、聞いて納得した。
母君を早くに亡くされ、父君によって男手一つで育てられた、三人姉妹の可愛い末娘。それもあって、かなり自由に育ったらしい。竜便の中でも早いと評判のホスロウ商会に生まれ育ち、優秀な職員として三女ながら駆け回る日々を送ってきたのだそうだ。竜便に同行し、丸一日飛行することさえ、あるという。
上の姉たちはとうに結婚してしまい、時期を見て竜使いと結婚し、ホスロウ家の支店を開くつもりだったらしい。商業戦略をつぶして申し訳ないが、流石に王族からの婚姻の申し込みを断れるほどではなかったようだ。
線の細い美青年、というよりかは、美丈夫、と表現するが相応しいアルフ様。その腕に抱えられると、余計に小さく見えるキヨラ様。彼女と我々、直属の竜騎士の出会いは、衝撃的にも彼女は竜の血で真っ赤に染まっている、というありさまだった。
空賊狩りのさなか、アルフ様が騎乗される竜。ヴァーミリオンが、相手の竜に尾を食いちぎられ、アルフ様ごと墜落なされた。相手の竜はさぞかし熟練した老竜だったのだろう、噛みついた尾を咥えたまま、海へと咆哮を残して落ちていった。
墜落直前に、ヴァーミリオンの姿勢を立て直す様子だけはうかがえたので、命は助かるだろうと思われた。それだけで大事なのだが、偶然にも居合わせたキヨラ様が駆け寄った直後、興奮していたヴァーミリオンが大人しくなった。
おかげでアルフ様も、そして我らも、命拾いをしたのである。
血にまみれてもヴァーミリオンの怪我を心配し、さらに稀代の《竜巫女》としての素質を開花されたキヨラ様。彼女を見つめるアルフ様の目が、熱のこもったものになることは、そう時間はかからなかった。竜を愛し、その世話すらこなし、恐ろしい怪我や傷に呻く声も受け止める。そんな娘を見て、軍属を自ら願ったアルフ様が、心動かされないわけがない。
恐ろしい顔をしているが故、かつて《筆頭竜巫女》のエルリア様でさえ悲鳴をあげたヴァーミリオン。それを、睨みだけで竜を落としそうな良いお顔ですね、と笑顔で褒める娘など、アルフ様は知らないのだ。キヨラ様の無事を知らせるその足で、キヨラ様の父君に結婚を許してもらうという熱の入れようには、卒倒しかけたのだが。
それから慌てて手を回し、稀代の才を持つ《竜巫女》を偶然見つけたと、王からの許しも得て今日にこぎつけた。
キヨラ様も大変だったに違いない。そして、父君や姉君らも。
なにせほんの一か月で、結婚の支度を整えなくてはならなかったのだ。
だがその慌ただしさも、今日で一区切りつく。あのお小さい姿を包む、美しいレースの装束を見て、アルフ様は幸せそうだった。
王族の婚姻の儀式が行われる聖堂には、近しい貴族やホスロウ商会の方々。そしてお二人が招待された方のみが、入ることを許される。私は入り口で、万が一のために備えていた。最も、我も行くのだ、と無理やりついてきたヴァーミリオンが、聖堂の前に陣取っている。ここを突破してくる不届きものは、よほどのことがない限りいないだろう。
そういう防犯面で、気を抜いていたツケが回ってきた、と思った。
「……何?」
思わず呟いた自分を、慌てて戒める。国竜、ゲイジュア様のお声を聴かれたキヨラ様が、アルフ様を伴われて近づいていく。それを、《筆頭竜巫女》のエルリア様が止められたのだ。
導竜教会において、キヨラ様の《竜巫女》としての力はお墨付き。それは広く知られており、何よりお二人の出会いがアルフ様の竜を助けたことだとは、巷でも噂になっている。エルリア様も、キヨラ様が聞かれたことが間違っていないと、陛下の前で証言されていた。
言い分は間違っていない。キヨラ様は確かに、《竜巫女》となって日が浅い。だから、間違いも起こりうる。
しかし相手は、国竜ゲイジュア様だ。エルリア様ですら、その声を聞きけたことは少ないと言われている。それを確認する、と申し出て、もし聞けなかったら。それはあのお方を、脅かす結果にもなるはずだ。
現にいまだ、陛下よりエルリア様へ依頼された、ゲイジュア様の言葉を聞くという任務は、果たされていない。
結果は、エルリア様にとって、残酷なものだった。
「ゲイジュア様、お二人に、何を為さりたいのでしょうか。わたくしに、教えてくださいませ」
そう問いかけたエルリア様に、一瞬動きを止めたゲイジュア様。しかし、何一つ声を発することはなく、エルリア様の真横を通り過ぎられた。七色に輝く体を優美に揺らしながら、ゆったりとアルフ様とキヨラ様の前へ進まれる御姿は神々しい。
見惚れる間もなく、私はエルリア様の状況の悪さに、頭を抱えそうになった。
今、エルリア様は、ゲイジュア様から言葉をかけられていない。それは、竜騎士が見れば、一目瞭然だった。竜は言葉を発するとき、必ず鳴く。それは、人間の言葉と同様で、耳に聞こえぬ高音であっても、喉の動きから判断できる。ゲイジュア様の喉は、一切動いていなかった。
「ありがとうございます! 大丈夫ということだったんですね!」
キヨラ様が、声を張り上げられた。花嫁が声を上げるというのは、婚礼の儀においてはご法度だ。しかし、これが、状況を動かした。
エルリア様はそれに頷かれ、神官が気遣うように彼女を外へ連れ出す。邪魔が居なくなったとばかりに、ゲイジュア様がより一層、荘厳なお声を上げられ始めた。招待客の多くは、その状況に目を奪われている。キヨラ様が声をだされたことなど、誰ももはや、気にしていないだろう。七色の光が、白亜の聖堂内に乱舞し、それは美しい光景が繰り広げられる。
それを見つめていたい思いもあったが、今はエルリア様の状況を把握すべきだろう。
私はすぐさま、外へ出た。
「エルリア様は?」
神官を捕まえ、声をかける。周囲を伺った後、声を潜めて話される。
「お心ここにあらず、という様子ではあります」
「何故あのような真似を……いや、一理あったが、まだゲイジュア様のお声を聴かれたことは殆どないと聞いていたが」
「……私たちも、驚いているのです」
その言葉に、何か引っかかった。
「どういう意味だろうか」
「……エルリア様は、アルフ様のご結婚相手では、無かったのですか?」
は、と思わず聞き返した私に、神官は睨むような視線を寄越した。
その神官は、エルリア様に仕えて長い、とのことだった。話がつながらぬ、と思い、近くの部屋に入る。
アルフ様のご結婚相手として、内内に話が進むとしても本人にこれほど長い間、知らせないものだろうか。陛下が急に決めることはありえないし、絶対王政を敷くこの国で、王家にそれほどの反逆心をもつものがいるとも、聞いていない。
「エルリア様は幼いころから、神殿にお仕えなさってきました。長きにわたり国へ身を奉じられてきたあの方が、何故報われぬのです!」
「お待ちを、神官殿。アルフ様の婚約者は、後にも先にも、今は亡き令嬢おひとりだけ。エルリア様は……候補としては十分であろうが、名が挙がったことはあっても、決まってはいないのだ」
「だとしても! ……だとしたら、何故、エルリア様がいずれアルフ様を支えるのだと、フレメリア公爵は」
詳しく聞けば、常々、フレメリア公爵はいずれエルリア様とアルフ様はむつまじい仲となると、エルリア様に言い含めていたという。それは確信をもった響きで、エルリア様に近しい神官らは、アルフ様とゆくゆくは結婚されると思っていたという。その言葉にも、驚いた。
確かにエルリア様は、
なぜフレメリア公爵は、そう言い含めたのか。
言えば、現実になると思ったのか。
神官は幼いころからエルリア様に仕えており、殊更動揺が激しかったのだろう。何度か深呼吸して、それでも、戸惑った様子だった。
「確かに、キヨラ様のお力は、申し分ないものです。ですが、ですがエルリア様のお心は、どうなるのですか。フレメリア公爵は、どうして」
「……それほどに、エルリア様は、アルフ様を慕っていらっしゃったのか」
「アルフ様が空賊狩りに出ると聞けば、お帰りになる時間まで祈り続けられる程、慕われております。いずれ傍で支えるのだ、と」
そう信じ続けた、信じ続けて、裏切られた。でも、アルフ様は、裏切ったわけではない。
エルリア様がそこまで自身を慕っているとは、ご存じでないだろう。そして、フレメリア公爵が、娘が何れアルフ様の妻になると思い込んでいることも、ご存じないだろう。
そうでなければあの方が、キヨラ様を娶るはずもない。自身を慕った婚約者を亡くされて、結婚の話を断り続けるような誠実なお方が、そんな真似をするはずがない。
「このことは、アルフ様にもお伝えする。しかし、エルリア様には、酷なことだが……」
「……ええ、アルフ様がエルリア様を娶ることはない。そうですね?」
「その通りだ」
王族が娶るのは、《竜巫女》だ。側室を持つ王族も居るが、その多くはただ一人と添い遂げる。多くの子が生まれることは国の繁栄の象徴でもあるが、アルフ様は子をたくさん産むことが求められている訳でもない。むしろ血を拡散させる原因となり、厄介だ。
なによりあの方が、キヨラ様以外に心をうつされるとも、思わない。
「キヨラ様とアルフ様のご結婚が報告された折から、エルリア様は日に日に、お痩せになられていくようでした。そして、我々神官にも、どこか苛立ちを見せるようになり、私たちも動揺してはいたのです。そして……私たちに、はっきりと、おっしゃいました。『アルフ様のお相手はわたくしではなかったの』、と」
酷なことだ、と思った。
「そうなのですか」
「お気を付けくだされ。あの方は、エルリア様は、《筆頭竜巫女》であると同時に、公爵令嬢です」
落ち着いてきたのだろう。事態の異常さに、気が付いたらしい。神官の、その念押しが、気にかかった。
そうこうしてる間に、アルフ様も戻られ、報告会となった。
「……つまり、エルリア様は私を慕っており、今回のあの発言は」
「お心に何か、思うところがあったのやもしれませぬ」
考え込むような表情を見せ、そしてアルフ様は我々を見回した。
「フレメリア公爵の事実確認を頼む。何か思い違いがあるのなら、正さねばならぬ。あのお方も、今日は、招待された客人故に」
「ご随意に」
今日は目出度い日であるというのに。我々の間に漂う空気は、重かった。
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