6、筆頭竜巫女、エルリア
神殿の自室へ下げられた私を、シスターたちは心配そうに見守っていた。いまさらになって、体の芯から震えてくる。
私は、わたしは、一体、何を思っていたのか。もしゲイジュア様のお声が聞こえていたら、と思う。そして彼女には、何と聞こえていたのか、と。
言い分には一理あった。けれど、実際、何も聞こえなかった。ゲイジュア様のお声なんてものは、少しも聞こえなかった。あの時、彼女が声を張り上げてくれなければ、私はどんなにひどいありさまになっていただろう。アルフ様に、なんて無様な姿を、見せてしまったのか。そう思うと、体が震えた。
あの方に、幻滅されているとしたら。
ぞっとして、思わず肩を抱く。
「エルリア様」
「は、はい!」
呼びかけに弾かれるように振り返ると、神官長がこちらを見ていた。
「ご両親と、アターシャ様が御面会にいらしてますよ」
「わかり、ました」
聞きなれぬ組み合わせに、どきりとする。父は、よくここにきてくれる。話と言えばもっぱらアルフ様のことばかりだったけれど、少なくとも体を壊した母より、行き会うことが多かった。母とはもう何年ぶりになるのだろうか。《竜巫女指南役》のアターシャ様とも、私が《筆頭竜巫女》になってからは、何かをお教えいただく機会というのは、ほとんどなくなってしまった。
おそらく、先ほどのことが、原因だろう。
「お久しぶりです。お父様、お母様、アターシャ様」
部屋に入り、深く頭を下げる。慈悲深い笑みを浮かべるアターシャ様とは対照的に、両親の表情は堅い。それは、そうだろう。娘があんな大勢の前で、なんと無様なふるまいをしたのだと、思っているのかもしれない。
「おかけなさい、エルリア」
優しくおっしゃられるアターシャ様の声に導かれるように、空いた席に座る。母も、父も、どことなく、目に涙を光らせているような気がした。怒りのあまり、泣いているのだろうか。
「エルリア、その」
「申し訳ございませんでした」
何か言われる前に、と思い、私は頭を下げた。
「筆頭竜巫女として、あるまじき軽率なふるまい。そして無様にも、ゲイジュア様のお声を聴けなかったこと……大変、申し訳なくおもいます」
「……え、エルリア」
唖然とした表情をする父は、口を開けたまま言葉もない様子だった。
「キヨラ様のお力は、本物です。わたくしには、手も届きません……」
「エルリア」
「そのことで今日はいらっしゃったのでしょう?」
「違うのよ、エルリア」
母が、膝に縋ってきた。その行為に驚いて、身を引いてしまう。はらはらと涙をこぼす母は、記憶の中よりずいぶん頼りなくなっていて、私は余計に狼狽えた。
「そんな風に自分を責めないで? 貴女は、キヨラ様やアルフ様に万が一があってはならないと、そう思ったのでしょう? 十分よ」
「……っ」
十分。その言葉に、何故だかわからないけれど、ずきりと胸が痛んだ。私の力としては、十分だったのかもしれない。でも、それじゃ、足りなくて。
「エルリア、その」
父が静かに、私と母の手に、その手を重ねた。
「アルフ様と共になれなかったこと、残念に、思う。これからは、『竜巫女』の一人として、かの方をお支えしようではないか」
「『竜巫女』の、一人として」
「ああ、そうだ」
その目に、失望はなかった。まるで、アルフ様と私がともになれなかったことが、当然だったかの如く。いずれお支えするのだと、そう説いたのは、父だった。私はそれを信じ、王族に最もふさわしい『筆頭竜巫女』の座に就いたのに。まるで、まるで私が、最初から結婚相手になる予定なんて、なかったかのように。
言い聞かせてきたのに。
私に、確約なんてないと、言い聞かせてきたのに。
私の、心は、信じてしまった。
夢物語を。あの人に愛され、腕に抱かれるその日を、信じてしまった。
ああそんな日は、もう二度と来ない。
いいや、最初から、そうなるはずもなかった。たとえキヨラ様が、現れなくとも。
だってアルフ様は、私のことを少しでも、気にかけてくれたことはなかったから。最初から、あの方の愛した人は、今は亡き令嬢おひとりだったから。
信じ続けたのに。
周囲の声を、父の言葉を、母の笑みを、いつか報われる日がくるのだと。信じた、信じ続けた。ただ、ただ、それだけだったのに。
「……はい」
頷く私に、両親は優しく微笑んだ。よかった、と笑う両親に、私の柔らかい何かが、ぼろり、と壊れる音を聞いた気がした。
私は、巫女だ。この国を支える竜たち、この国を守る竜たち、多くの竜とともに生きてきた歴代の”竜巫女”。その一人として、私の名もいずれ、歴史に刻まれるだろう。
”竜巫女”エルリアとして、この国が続く限り、残るのだろう。私がどのように生きたとか、私がなんであったとかは、関係なく。
誰かを愛していたことも、残らずに。
「お前なら”筆頭竜巫女”の務めを、間違いなく果たせようぞ。妾も応援しよう」
「……ありがとうございます、アターシャ様」
皆が、笑っている。私も、笑っている。なのにどこかむなしく寂しい時間が過ぎた、後だった。
夜の結婚を祝う夜会では、キヨラ様とアルフ様は本当に仲睦まじく過ごされていた。アルフ様の赤い髪に合わせてか、大輪の
私も”竜巫女”の一人として、ご挨拶申し上げた。
自身も”竜巫女”となったというのに、私のことを紹介されると、私が神殿への依頼で参じたときの町の人々の様な、憧憬と尊敬を込めた言葉をお伝えしてくださった。そればかりか、嬉しそうに微笑まれて、色々と教えていただけると嬉しいと、謙虚にもそうおっしゃられたのだ。
「ゲイジュア様のお声を聴かれるような方に、私から教えるようなことはございません。どうぞ、ご自身のお務めに励まれますよう」
私がそう言うと、そんなことはないと首を横に振られたではないか。
「エルリア様は”筆頭竜巫女”様です。”竜巫女”であることがどういうことか、よくよくご存知のはず。たとえ竜の声が分かろうとも”竜巫女”として未熟な私には、教えてくださる方は大勢いてくださったほうが心強いのです」
”竜巫女”であることが、どういうことか。聞きなれない言い回しに、あまり受けたことのない表現に、私は首をかしげる。
「キヨラ様に、どうして私が教えねばならないのでしょうか」
だって、あなたは、国竜であるゲイジュア様の声を聴ける人。傷ついたアルフ様の竜を助け、その背に乗れる人。”竜巫女”の務めは、竜の声を聴き会話すること。それが誰かの役に立つということは分かっていても、それ以上のことはしないしできない。
アルフ様に愛され、たくさんの竜のための知識を持つキヨラ様に、私は一体何を教えればいいのだろう。
”竜巫女”であることなど、選ばれなかった私にさえ、出来ることなのに。
「貴女様に私が教えることなど、何一つありませんし、教えたとしても役に立てるとは思いませんので……」
私がそう言うと、キヨラ様は言葉を失ったように目をそらされた。
教えていただきたいという言葉もきっと、社交辞令でおっしゃられたのだろう。そのことがよく分かったので、私は小さくお辞儀をして、御前を去ることにした。アルフ様と並ばれ、身を寄せ合う御姿を、これ以上見ていられなかったというのもある。
私に向けられる視線が、どこか寒々しいものばかりであることが不思議で、両親の場所まで戻ったときだった。二人は、真っ青な顔をしていた。
「お父様? お母様?」
声をかけて、すぐだった。
「……エルリア、お前、そこまで」
「ああ……あなたは……」
絶望したような声を、絶望した言葉を紡ぎだす二人に、私は首を傾げる。その場では二人とも何も話すことはなく、そして私は神殿へ戻った。両親共々、私が別れの挨拶を告げても、反応がないくらいに、言葉を失っている様子だった。ただその、理由が分からない。
私が二人のそばに居て、アルフ様のお隣にいなかったせいだろうか。だとしたら、そうだとしたら。
私は”竜巫女”として、これからも前を向き続けるだけだ。それ以外に、二人の気持ちに応える自信が、なかった。
美しい夜会は晴れやかに幕を閉じ、それ以降。私のもとに、両親は来なくなってしまった。
アターシャ様が「二人の想いを汲んでやっておくれ」とどこか仕方なさそうに、私におっしゃられたが、どういうことだろうか。
その夜会以降、私への依頼は王都近郊のものに限られるようになり、特にアルフ様の治められる火竜軍直轄地については行く機会すらなくなってしまった。私の気持ちを、誰か案じたのだろうか。
でもその方が良い。
そうでないと、壊れた心のどこかが、もう一度壊れてしまいそうな気がするから。
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