1、竜巫女、エルリア


「エルリア、お前はいつか、彼を支えるんだ」

「アルフ様を?」

「そうだ。《竜巫女》の、お前だから、できることなんだからな」

「はい! 父上」


 懐かしい、夢を見た。

 幼いころ、《竜巫女》の素質を教会から認められた私に、父が語り掛けた言葉。私と最も年の近かった王子、アルフ様が初めて竜に乗られた、その晴れ姿を見ながら言われた言葉。

 アルフ様が十五歳の折に、当時婚約者でいらっしゃったリヒン公爵家の令嬢が、お亡くなりになられた。その日にも父は、私に言った。


「これからは、お前がアルフ様をお支えするのだぞ」


 そう、父は、私に、言い聞かせた。それから、私に会うたび父は、そう言うようになった。言われると私は嬉しくて、うれしくて。

 あの美しい竜と共に飛翔するアルフ様の横顔を思い出して、胸を切なくさせていた。


 そうだ、あの日も。あの日も、こんな、夢を見た。


 起床し、まず、国を作ったという偉大な竜。銀龍、フィーエへの祈りを捧げる。それが終われば、教会に寄せられる、様々な依頼をこなすために竜使いと各地へ赴き、またこの神殿へ帰ってくる。

 《竜巫女》である私の日常は、特別大きな変化もなければ、反対に何かもめ事が起こることもなかった。

 空と、竜と、風の国。アローヴォス諸島国の、公爵家。その次女に生まれた私には、王家の血を引くが故の才能が、眠っていた。


 《竜巫女》。それは、竜と心通わせ、言葉を交わすことができる、この世界で唯一の存在。


 代々女性しか成り手はなく、素質があると教会の選定を受けたものが、竜の声を聴く修行ののちに得る資格。私の代では、私を含めて十八人が、導竜教会の総本山である、この神殿で務めている。そして私たちの下には、素質があるとされた少女十四名が、今も修行している。竜の感情が分かるとか、こう言っているような気がする、から、私のように人と変わりなく話しているように聞こえるようになるために。


「おはようございます国竜、ゲイジュア様」


 玉虫色の、美しい竜。ゲイジュア様。私の今の課題は、彼の声を聴くことだ。

 それは国王陛下からの依頼で、いつも穏やかに横に伏せ、時折興味があれば顔を上げるだけのこの老竜を、少しでも慰めるものが知りたいという、優しきお心の依頼だ。けれど私でも、ゲイジュア様の声はいまだに、聞こえていない。


 竜の声が聞こえるか否かは、相性のほかに、その竜の知性の高さによるという。頭の良い竜、長く生きて知識を持つ竜であるほど、人が自らの話を理解するか、とても警戒するという。となると、その竜が心に浮かべたことを、感じ取るほかない。国竜であるゲイジュア様は、六代前から代々の国王に仕えてきた、老竜。私の様な小娘には、到底届かない次元なのかもしれない。

 けれど、けれどそれでも私は、挑むのだ。

 それは私が、《竜巫女》の中でも最も高い能力を持つ、《筆頭竜巫女》だから。


「今日は良い天気にございますよ、ゲイジュア様」


 穏やかに話かける。その美しい、七色の目が私を見て、ゆっくりと瞬く。けれどそれが示すことを、私はいまだに理解できない。それを補助するために、私は胸元の水晶を握りしめ、力あることばを唱える。ややあって、


『娘か』


 などという、単語がぽつりと聞こえた。けれど、それだけだ。それ以上は、聞こえてこない。大半の竜は、この力ある言葉を連ねることで、私にも聞こえる言葉を紡いでくれるが、ゲイジュア様はそうはいかなかった。だから私はまだ、ゲイジュア様とはまともに話したことはない。

 そのまま静かな時間が過ぎる中に、こつん、と足音が立った。はっとして振り返り、私の心臓がどきりと跳ねる。


「アルフ王子」

「いい、楽にしてくれ。空賊狩りの前に、ゲイジュア様にお目通りをと思っただけだから」

「はい」


 私がその場を退くと、アルフ王子が緩やかに、ゲイジュア様の御前に出る。


 アローヴォス諸島国の、第三王子にして、竜軍を率いる将軍のお一人。それが、アルフ様だ。燃えるような赤い髪と目は、彼が乗る紅蓮の飛竜、ヴァーミリオンとよく似ている。あの血気盛んなヴァーミリオンを、私のように言葉が通じなくとも、その風格と覇気で諫め為さる、破格のお方。王位継承権は第三位で、第一位のアドヴェルト王子を兄として大変慕ってらっしゃることからも、次代の王族も安泰だろうと噂されている。

 王族の中では現在、未成年の第二王女を除けば、唯一の独身者。第一のアドヴェルド王子にも、第二王子のアジャール様にも、既に正妃がついておられる。

 歴代の王族は皆、かつて竜と王が婚姻を結んだことで生まれたというこの国の神話になぞらえ、《竜巫女》と結婚してきた。《竜巫女》の存在意義については、生まれた子供が自分の言葉を理解しなかったことに嘆いた竜が生んだとか、竜の因子が入っているからだとか、諸説ある。


 竜の声を人に届ける《竜巫女》。王族はその力を借り、国をより、強固に収めるのだ。


「空賊狩りに王子が出向くなんて……」

「心配ですか、エルリア様」

「はい」

「ありがとうございます」


 それは、単に、王子だからではない。空賊狩りを行うのは、この空を守るための、大事な行いだ。

 けれど、それ以上に。

 アナタだから心配なのだとは、口が裂けても言えそうになかった。


「ゲイジュア様、エルリア様。それでは行ってまいります」


 にっこりと笑い、アルフ様が踵を返す。ゲイジュア様がそちらへと、顔を向けた。何かを言うように、金属を打ち合わせたような澄み切った響きを、のどから落とされる。

 でも、それでも、私には何を言ったのか、分からない。


「ありがとうございます」


 けれどアルフ様としては、何かを感じられたのだろうか。そう言うと、颯爽とその場を去って行かれた。


 この国の男性の王族は、必ず《竜巫女》と婚姻を結ぶ。女性の多くは、他国へ嫁ぐことが多い。だから、今の《竜巫女》の中の誰かが、アルフ様の妻となる。そのことで盛り上がることがない、と言ったら、嘘になる。

 アルフ様は火竜軍の将軍であり、民の人気も高く、私たち《竜巫女》にも変にへりくだったりはしない。それ以上に、私は単純に、アルフ様に惹かれていた。

 そしてゆくゆくは、今の《竜巫女》の中でも元からの地位も高く、そして《筆頭竜巫女》としての地位もある私が、いずれ輿入れとなると噂されていることも知っていた。私の父も、そう思っているようだし、母はそれ以上に期待を寄せていた。そして私は、いつか必ずくると信じたその日のため、勤めに励んできた。

 やがてある日、父が嬉しそうに知らせてきた。

 国王陛下より近いうちに、アルフ様の妻を決める、と告げられたことを。


 ゲイジュア様の声が聞こえたら、きっと望みが可能はず。

 そんな思いを抱えながら、ゲイジュア様に向き合う。先ほどの、あの澄んだ声はもう出すことなく、玉虫色の美しき竜は、静かに目を閉じていた。





***





 静けさを破るような、喧噪。何があったのかしら、と思う間もなく、私たち《竜巫女》は神殿に待機するよう命じられてしまった。なんでも、ひどく傷ついた竜が、神殿の傍にある治療院に運び込まれたらしい。その苦痛を受け取らぬために、私たちは神殿の結界の中に集められたのだ。私は思わず、銀龍フィーエ様に、アルフ様の無事をお祈りしてしまった。

 それが何時間だったかは、分からない。竜が落ち着いた、と言われて、私たちはホッとした。悲鳴を上げる声や、心をまともに感じるのは、とても怖いことだ。暴れる竜に接する機会は、《竜巫女》には少ない。それは単純に、貴重な《竜巫女》を暴れる竜の傍に置いて、失う危険性を避けるためだ。


「良かった。シスター、その竜はもう平気なのですね?」

「ええ。そうだ、エルリア様は、知っておいたほうが良いでしょうね」


 そう言ったシスターの一人が、私を別室に呼ぶ。そこで、知らされたのは、驚くべきことだった。

 傷ついた竜。というのは、アルフ様を乗せ飛ぶ火竜、ヴァーミリオン。そして、アルフ様も怪我をされたという。


「あ、アルフ様は? ご無事なのですか?」

「はい。幸いにも、怪我は軽く、ヴァーミリオンも無事だったそうですよ」


 ほっとした。


「なら、見舞いにまいります。ヴァーミリオンの言葉を、私から治癒院の者たちに伝えれば、きっと早く良くなるはずです」

「まぁ、それは素晴らしいことですわね」


 破顔したシスターが、ほかの者にも声をかけて、数人のほかの《竜巫女》や候補の子たちと、治癒院へ向かう。時に、《竜巫女》は、血なまぐさい現場にも立ち会わなくてはならない、それを教えるいい機会だとして、神殿からも許可が下りた。

 《竜巫女》とは言われても、私たちは貴族の娘だ。血なまぐさい政治的なやり取りは知っていても、こういう、本当の血を見ることなんて、めったにはない。まずは遠目から、と見せられたヴァーミリオンは、穏やかな寝息を立てるように翼を畳み、その堂々とした体を静かに横たえていた。そのところどころに、治療のためにか、包帯らしき布や、湿布がつけられている。


「痛々しい……」

「でも、痛い、という声は聞こえないわね」

「眠っているせいかしら」


 意識を集中させる私たちに、気が付いたのだろう。首をもたげたヴァーミリオンの目が、こちらを鋭く射抜いた。

 きゃあ、と悲鳴が上がる。ヴァーミリオンは、戦のための火竜。その形相は恐ろしく、悪夢のようにおぞましい橙色の濁った眼が、こちらを見つめている。


「皆さん、落ち着いて!」


 私の声に、彼女たちが立ちすくむ。


「これから先、あのように、気の立った竜や恐ろしい竜とも会話することがあるでしょう。私たちは、《竜巫女》。竜の言葉を、ほかの人に伝えられる存在です。それを忘れてはなりません」


 はっとしたように立ち止まった彼女らに、笑みを浮かべた。


「私も最初は、怖くて逃げだしました。でもそれでは、務めは果たしきれないのですよ」


 落ち着いたらしい彼女たちに、一緒に近くによる。ヴァーミリオンは、いくらか見たことのある私の顔に気が付いてか、興味を失ったように眠りについていた。と、その傍で作業をしていた治癒院の下男が、慌てて膝をつく。


「いいのです、お楽になさって」

「ありがとうございます、《竜巫女》様」

「ヴァーミリオンの怪我の具合は?」


 下男は嬉しそうに、笑みを浮かべた。


「ええ、的確に治療が進められたので、全く問題ありませんよ」

「そう、なのですか」

「はい」


 よほど腕の良い竜医師が担当したのかしら、首を傾げた私のもとに、近づいてくる者が見えた。担当の、竜医師らしい。


「ずいぶん腕の良い方なのですね」

「いえいえ、私が、ではございません」

「どういうことでしょうか?」


 ああ、とその竜医師は頷いた。手にした薬を下男に渡しつつ、私の方を向き直る。


「知らせは流石にまだ届いていなかったのですね。実はですね、ヴァーミリオンを救った娘さんに、《竜巫女》の素質があったようでして」

「まぁ!」

「ヴァーミリオンの声を聴いて、私たちにいろいろと教えてくれたのですよ」


 ニコニコと答える竜医師に、私は固まった。他の《竜巫女》らも、同様だ。候補の娘たちだけは、お友達が増えるのね、なんてのんきに言っている。

 違うのだ。

 大半の《竜巫女》は、最初から竜の声が聞こえる訳ではない。歴代の、力の強い巫女なら、そういう者も居たという。けれど、神殿に入り、多くの竜と接する機会があって初めて、《竜巫女》の素質は開花し、竜の声や心を聞き届けられるようになるはずなのに。


 その、妙な胸騒ぎ。

 それは後日、ある知らせとなって形を作った。


 アルフ様が結婚される、と。


 《竜巫女》として、類稀なる素質をもった、商人の娘。

 二人はすでに仲睦まじく、結婚の儀もすぐに執り行われるのだ、と。


 約束なんて存在しなかった。夢想しか、なかった。けれど、信じてしまっていた。

 ああ、ああ。

 愛しいあの人は、今日、結婚する。


 でも。でも、父上は、おっしゃっていたのに。

 私がアルフ様をお支えするのだと、繰り返し。なのに、どうして。どうして私が、相手ではなかったのだろう。


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