ある竜巫女の顛末記

六角

0、導竜教会神官、ジョシン



 彼女は、己に、殺された。己自身に、殺された。

 見えない敵を、あるはずもない悪意を、周囲にちりばめて己を己で、傷つけた。


「エルリア様、お食事が用意できましたよ」

「ありがとうございます……」


 にっこりと笑う彼女の、その美貌。それは、いささかも衰えていない。白銀の髪も、美しいアイスブルーの目も。真っ白な肌に、ピンクの唇。柔らかく、美しく、完璧な、《竜巫女》としての理想像。

 けれどそれは、彼女自身が引き裂いた。己を縛り付けていたものを、自分で引きちぎった、その代償として。


 エルリア・リュゼ・フレメリア。フレメリア公爵の次女で、この当代の《竜巫女》の中では、頭一つ抜けた才能を所持している。ただ、最上位では、ない。


 彼女はかつて《筆頭竜巫女》として、人々の尊敬を集めていた。けれどそれも、今では過去の出来事だ。

 今の《筆頭竜巫女》であり、そして第三王子正室であるキヨラ様が現れたときにそれは、崩れ去った。エルリア様は、《筆頭竜巫女》の座に、固執していた。本人にその気はなかったのかもしれないが、我々神官からしたらそれは、明白だった。少しでも才能あると思われる《竜巫女》がいれば、そのものが自信を失うようにふるまった。そんなことしなくても、キヨラ様を除いてエルリア様に叶う力の持ち主など、いなかったのに。


 エルリア様は、ゆっくりと食事を始められる。白パン、滋養のある食材で作られたとろみあるスープ、それから甘いハチミツ。一日の大半を寝て過ごすことでしか、生きることができないこの方が、唯一口できるものだった。

 途方もない手間がかけられた品々、それを口にすることを、厭わない姿。この人は、こういう風にしか、生きられないのだろう。


 アローヴォス諸島国。それが、この導竜教会の総本山が存在する、美しい国。その国に存在する《竜巫女》は、竜と心通わせ言葉を交わす、特別な存在。

 彼女らの体に触れている間は、彼女らが聞く竜の声を、我々も耳にすることができる。この美しき国を守る、誇り高き竜たちの声。


 その中にも、力の強さというものがある。それは、どれほど多くの種類の竜の声を聞き届けられるか、だ。知能の高い竜ほど、相手と会話をすることを躊躇う。その者が、己の心と言葉を理解してくれる者なのか、非常に敏感に察知する。

 キヨラ様は飛びぬけて、《竜巫女》としての力が強かった。その素質の有り無しを判定する竜が興奮してしまい、キヨラ様が落ち着かせたほどだ。聞けば、《竜巫女》として認められる以前より、竜の声はすでに理解できていたという。しかも言葉として、はっきりと。会話も成り立っていたというのだから、規格外の才能だ。

 なにより、彼女は民衆に愛されるだろうと、すぐにわかった。

 王家の血筋が関連しているのか、貴族の令嬢がほとんどである《竜巫女》。しかしキヨラ様は、不自由ない生活をしてきた商会の娘とはいえ、三番目の娘。父親の仕事を手伝うべく竜に乗って長距離飛行もこなしていたという、健康的な見た目の少女であった。物覚えもよく、今では貴族の令嬢たちよりゆっくりではあれど、儀式儀礼もこなすようになってきた。


 何より。

 何より、傷ついた竜のもとへも物おじせず、駆け寄るあの姿。あれを見たとき、我々神官は、惚れこんでしまったのだろう。竜をあがめる我らの教会において、傷ついた竜や暴れる竜、病をもった竜のもとへ《竜巫女》を派遣することは、長らく目標であった。しかし貴族の令嬢がほとんどであるせいか、《竜巫女》の多くはそういう、へき地への派遣を嫌がるものや、怯えるものが多かったのだ。中にはそうではない《竜巫女》もいたが、竜の声を聞き届けても、それを的確に指示に出せるほど、竜に精通できた《竜巫女》は、ほとんどいない。


 《竜巫女》は、竜に次ぐ神聖な存在として、崇められる。だからこそ、だろう。

 泥にまみれるを良しとしない声も、多かったのだ。


 ゆっくりと食事を、その生まれ持った優雅さで進める、エルリア様。

 彼女は今この神殿に、幽閉された身だ。民からは《竜巫女》の地位より降ろせとの声もあるが、《竜巫女》とは地位ではない。そういう、存在なのだ。それ以外の生き方を求めるのは、惨い話である。


 このお方が、こうしてほとんど動けぬ生活になったのにも、わけがある。


 半年前。第三王子アルフ様のもとへ、キヨラ様が嫁いできた。空賊狩りへ出たアルフ様の竜、ヴァーミリオンが手傷を負った。それを偶然見つけたのは、キヨラ様。ホスロウ商会の竜便一同が、キヨラ様も含めてアルフ様達をお助けした、その結果だ。類稀なる《竜巫女》としての才能を発揮したキヨラ様は、その結果としてアルフ様に見初められた。

 それまで、婚約者候補として、一番に名前が挙がっていたエルリア様。

 けれどそれは、あくまで噂に過ぎないし、そもそも口約束さえもない。けれど、けれど純粋なこの方は、信じてやまなかったのだ。


 愛しいアルフ様と自分はいずれ、結ばれるのだ、と。


 しかしキヨラ様とアルフ様は結婚され、仲睦まじい様子でエルリア様の前にあり続けた。ともに竜に乗り、時には夜会でダンスを披露され、たくさんの苦労もあっただろう商人育ちのキヨラ様は、今ではアルフ様の妻として知らぬ者はいない。その苦労を支え続けた、アルフ様。それに嫉妬し、悪女として名をはせることとなった、エルリア様。お子を身ごもられたキヨラ様を、階段から突き飛ばしたことでそれは、決定打となってしまった。幸い、お子も、キヨラ様も無事であったが、王族の妻に手を上げたとしてもはや、神殿でもエルリア様を庇うものは少ない。

 ただ昔から彼女を知る、私を含めた何人かの神官で、お世話させていただいている。エルリア様の生家、フレメリア公爵家からは、毎月のように多額の援助金が来る。それは、神殿からエルリア様を出すなという、無言の圧力でもあった。


 その顛末が、今だ。ことあるごとにキヨラ様を敵視し、対抗し続けたエルリア様。スープに手を付け、しばらくして、


「もう要りませんわ。おいしくありませんもの」


 飢えた目をして、そうおっしゃられた。私はただ深くお辞儀をして、お膳を下げる。

 あまりに食事をとらぬから、寝ることでしかもはや、生きられぬお人。なのに人を遠ざけて、悪女として生きなければ、己を保てぬお人。


「可哀想に」


 ああ、可愛そうに。

 この方は、悪女として生きることでしか、己をもはや保てぬのだ。絶望の果てに、そういう生き方しか、選べなくなってしまわれたのだ。

 周囲はそんなこと望んでいないし、そうする必要もない。けれど、だけど。


 最愛の人に愛されることも、愛してもらえる可能性すらないと知り、このお人はその手段を選んでしまわれた。

 哀れな、哀れな、《竜巫女》様。


 その心がいつか解放されることを、我々神官は、祈ることすら許されない。


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