ガールズトークしましょ

『落ち着いてください明奈様。チュパライヤの毒は明奈様には決して害はありません』


 ミンフィアが明奈をたしなめる。しかし毒なのに有害ではないというのもおかしな話だ。


『チュパライヤの毒は本来非常に危険な毒です。スープに一滴でも入れるだけで人を殺せます。口に含んだ者の舌は一瞬で溶け、血に混ざれば全身から血を吹き出し絶命します。 』


『えっ!?』


『心配には及びません、明奈様ほどの力を持った勇者であればこの程度の毒は無意味です。一切ダメージを受けることはありません。強いて言えばスープが苦いと感じる程度です』


 ミンフィアはまるで大したことはありませんとでも言いそうな雰囲気で答える。


(なんで私が毒を盛られなきゃいけないの?)


 しかし毒の効果がなかったとはいえ食事に混ぜられたという事実は消えない。


『問題は誰が仕組んだかということでしょうな。直ちに調査いたします』


『そんなっ。この国の中に勇者様を害するものがいるなんてのありえません』


 冷静なまま発言するオーギュストに、ミンフィアは怒りを込めて返す。


 しかし明奈の不幸はこれで終わらない…。


 不意に廊下から小走りで廊下を走る足音が響く。


『お食事中失礼致します。勇者様のお連れの方についての情報が掴めました』


 そう告げてきたのは白い甲冑を着た白狼騎士団の副隊長だ。


『玲ちゃんっ?居場所が分かったんですか?』


(今すぐ玲ちゃんと元の世界に戻してもらおう。この世界なんて滅んじゃえばいい。)


 明奈は心の底でそんなことを考える。


『えぇ、ただ場所が場所でして…』


『どこですか?遠い場所なんですか?』


 明奈はかなり食い気味に副団長に聞き返す、必死の形相とはこのことだろう。


『遠い場所です。東の大陸の魔王が魔王城へ連れ去ったと思われます』


『魔王…』


 明奈は絶望のどん底のような気分だ。もうこれ以上悪くなることはないだろう。


『お聞きしたお連れの方の外見や転移魔法の形跡から間違いないと思われます』


『これで魔王と戦うことに────』


 突如明奈は走り出す。ミンフィアの言葉を遮り部屋の扉を叩きつけるように閉める。


『おっ、お待ちください!』


 しかしミンフィアの声はすでに明奈には届かない。


 部屋を飛び出した明奈は脇目も振らず自分の部屋へと向かう。


 この広い城の部屋を覚えられないと先ほどまでは思っていたが、明奈は迷わず突き進む。


 バタンッ!!


 再度枕に顔を突っ伏した明奈は完全拒絶モードへと突入する。


 少ししてミンフィアやオーギュストが心配して部屋にやってきたが拒絶した。


 代わりの食事を持ってきたメイドも拒絶した。


 どこかの騎士団の団長とやらも拒絶した。


 騎士団の団長は城の中を彷徨く魔族を捕まえたためやってきた。恐らくこいつが毒を盛った犯人かもしれませんなどと言っていたが明奈の知ったことではない。


 完全拒絶モードの明奈相手では宰相や国王ですらも無意味であった。


 明奈の拒絶のこもった低い声は全ての者を拒絶し、部屋に入ることすら出来なかった。


 ただ1人を除いて。


 カツカツと廊下から足音が聞こえてくる。そしてその足音は明奈の部屋の前で止まった。


 また誰か来たのかとうんざりする明奈。しかし今まで来た者たちとは勝手が違う。


『入るわね〜』


 廊下にいた人物は返事を待たずにズケズケと部屋に押し入ってくる。


 しかし誰かが部屋に入ってこようが明奈の態度は変わらない完全拒絶である。


『あらっ、あなたが新しい勇者ちゃん?』


『…。』


 明奈からの返事はない。


『そう。この私にそんな態度をとるのね。いいわ、わかった』


 この国において明奈の立場は非常に高く、国王ですら明奈には一歩引いた態度で接してくるくらいだ。しかしこの女はそんな態度を見せない。


 すると女は突然明奈に襲いかかる。


『ふふふ、私は勇者の弱点を知ってるのよ』


 そう言うと女は寝ている明奈の足の裏をくすぐり始める。


 咄嗟のことに反応できなかった明奈だった。しかし足の裏は明奈の弱点ではなかった。


『なら脇の下っ!こっちもダメかぁ。なら…ここよっ!』


『ひゃんっ』


『弱点はっけーん!』


 そう明奈の弱点は足の裏や脇の下ではなく脇腹だ。


 明奈は飛び上がるように立ち上がって襲ってきた女を見る。


 輝かんばかりの美しい金髪に妖艶な大人の魅力を感じさせる美しい女性だ。


 胸元が大胆に弾けた黒いドレスからは下品さは一切感じさせず、この女性らしさを存分に引き出していた。


『やっと顔を見せてくれたわね。初めましてミンフィアの母のアルシェイアよ』


 弱点の脇腹を突かれた明奈は脇腹を押さえながら名乗り返す。


『早見明奈です。勇者ではなく普通の女子大生です』


『ジョシ・ダイセイ?職業かしら?』


『物事を学ぶ学生です』


『ふーん、そうなの。勇者はお嫌い?』


『嫌いです。多分何かの手違いで私は勇者ではありません』


 明奈ははっきりと告げる。自分が勇者になって魔族と戦う気はないという意思を込めて。


 しかし明奈の予想していた反応は返ってこなかった。


『そうよねぇ。女の子が剣を振るって最前線に立つなんて危ないもの』


 アルシェイアは首を縦に振りながら答える。他の人達が仰天して騒ぎ立てたというのに全く動じないアルシェイアに明奈は逆に驚かされる。


『…怒らないんですか?』


『怒らないわよ。あなたみたいに可愛い子にあのガサツな剣は似合わないわ?』


 聖剣と呼ばれこの国の人々に崇められている剣にたいしてガサツ呼ばわりできるのはアルシェイアくらいだろう。


『そうそう、この辺りでは手に入らない紅茶の茶葉を貰ったの。それを飲みながらゆっくりお話ししましょ』


 アルシェイアはそう言って手を叩く。


 当然明奈は気配に気づいていたが廊下には1人の老執事がいた。


 その老執事は手を叩くとすぐにティーセットを乗せた台車を押して部屋に入ってくる。


 老執事は非常に慣れた手つきで紅茶を淹れていく。


(いい匂い。でも私の知らない匂いがする。やっぱりこの世界にしかない紅茶かなぁ)


 紅茶好きの明奈にとって未知の紅茶は大変興味をそそられる。だが明奈は紅茶に手を伸ばさない。いや、伸ばせなかったのだ。


 それに気づいたアルシェイアはすぐさま声をかける。


『夕食に毒が入っていたのだもの心配よね』


『い、いえっ。毒とか疑ってる訳じゃ…』


 アルシェイアに若干心を開きかけている明奈は慌てて否定する。


 その様子を見てアルシェイアは立ち上がる。


 アルシェイアは明奈の頭を両腕で包み込み。そしてそのまま明奈の頭を自分の胸元に引き寄せる。


『ごめんなさい。1人で心細かったでしょう。あなたは何一つ悪いことなんてしてないわ』


 プツンッ


 その瞬間明奈の心の中で突然糸の切れる音がする。


『ひぐっ、うぅうぅ。もうお家に帰りたい。私…私…』


 この短時間で溜まりに溜まった負の感情が一気に吐き出される。


 この世界に来て初めての味方に明奈は感情を抑えきれなかったのだ。


 明奈はアルシェイアの胸で泣き続ける。その間アルシェイアは聖母マリアさながらの慈愛に満ちた表情で明奈を抱いていた。


 明奈はしばらくの間泣き続けた。


 ようやく明奈は落ち着いてきたがここで問題が発生する。


 かなりの非常事態である。


(あんなに号泣しちゃって顔上げづらいよぉ。でもずっとこのままってわけにもいかないし。あとおっぱいおっきい)


 初対面の相手にあまりにみっともない姿を見られてしまったのだ。今、明奈は顔を上げるタイミングを掴めないでいたのだ。


『少しは落ち着いたかしら?』


 問いかけられた明奈は胸の中で少し頭を縦にふる。


 本音を言えば少し名残惜しい気もするがアルシェイアは明奈の頭から手を離す。


『大変せっかくの紅茶が覚めちゃうわ』


 アルシェイアは何事もなかったかのように口を開く。


 慈愛に満ちた表情からいつもの明る過ぎる表情に戻ったアルシェイアは明奈に紅茶を勧める。


『いただきます』


 初めて口にした味の紅茶だが非常に美味しかった。


 トゲトゲしていた感情がスゥーッと落ち着いていくような深みのある香りがする。


『ふふっ、落ち着く香りでしょ。せっかくだしガールズトークしましょ。最近ミンフィアちゃん私に構ってくれないのよ』


 はっきり言ってアルシェイアの年齢は予想がつかない。ミンフィアの母親であるので若くても30半ばくらいだろうが、とてもそんな風には見えない。


 だがやはり"ガールズ"トークと言われるとほんの少し違和感がある。もちろんそんなこと言ったらアルシェイアに何をされるかはわからないが…。


『はいっ』


 そして2人のガールズトークが始まった。


 もう完全にアルシェイアに心を開いた明奈とアルシェイアのガールズトークはかなり盛り上がっていった。


 そしてある話題が上がる。


『それで明奈ちゃんと一緒にこの世界に来た子って男の子かしら?』


『うん、男の子だよ。でもただの幼馴染』


 この時すでに2人の会話に敬語は使われていない。


『ふ〜ん、ただの幼馴染ねぇ〜』


 アルシェイアはからかうような視線を向けてくる。


『ホントにただの幼馴染だもん』


(玲ちゃん無事かなぁ…)


 玲の話になり明奈の顔に一瞬影が宿る。


 その瞬間をアルシェイアが見逃すわけがなかった。


『心配よね、大切な人なんでしょ。いっそ直接魔王城に乗り込んで返してもらうっていうのはどうかしら?』


『えっ?絶対無理だよぉ』


 明奈は自信なさげに返事をする。


 するとアルシェイアは急に自分の右手薬指にハマっている指輪を外す。


『これを見せれば魔王と交渉できるはずだわ。明奈ちゃんが本気でその子に会いたいなら行くべきよ』


 いきなりのことに戸惑いを隠せない明奈。戦う必要なんてないと言っておきながら、魔王城へ乗り込めというアルシェイアの発言の意図がわからない。


『あなたが魔王と戦う必要は全くないわ、でも魔王に会う必要はあるはずよ。大丈夫、魔王は争いを望んでいないわ』


 初めて見るアルシェイアの真剣な顔に明奈の心は動かされる。なによりすぐにでも玲に会いたいと思っているのは事実なのだから。


 明奈はアルシェイアの魔王は争いを望んでいないという言葉を信じることにする。


『魔王には会いたくないけど、私玲ちゃんに会いたい!』


 明奈が言うとアルシェイアは大きく頷き持っていた指輪を明奈の右手薬指にはめる。


 指輪は漆黒の輝きを放つブラックダイアモンドが使われている超高級品だ。


 しかもブラックダイアモンドは魔族のいる土地でしか発見されていないため余計に値がはるのだ。


『今あなたの中にある聖剣の力を借りれば大陸まですぐに飛んでいけるわ。問題はそれまでの道かしら。多分さっき捕まったっていう魔族の子なら道がわかると思うわ』


 明奈は頷く。


 明奈はあまり人を疑わない性格だ。特に一度信じた相手に対しては強い信頼を寄せる。


 それが明奈のいいところでもあり、悪いところでもある。しかし今回はそれがいい方向に働いている。


『今からだと少し忙しないかもしれないわね。今日はゆっくり休んで明日にする?』


『ううん、そんなに時間かからないなら今から行く』


『たぶんあなたなら2時間もかからないわ。』


『じゃあ行く』


 明奈は即決する。買い物などはあれこれ見て回って時間がかかるのにこういう時だけ即断即決だ。


『わかったわ、じゃあいろいろ準備しなくちゃね。女の子はどこに行く時だっておめかししなくちゃいけないのよ』


 アルシェイアはそう言って部屋から出て行く。


 しばらくしてアルシェイアは大荷物を持って戻ってきた。


 さらには荷物だけでなく小さな鉄格子の檻みたいなものまである。


『うわぁぁああ。あんまり揺すんないでぇぇえ。痛っ!』


 突然聞こえてきた高音の叫び声は檻の中から聞こえてくる。


 明奈が目を凝らして檻の中を見る。檻の中には羽の生えた小さな人のような姿の生き物がいた。


 羽からは小さな鱗粉をだし、緑色の髪をした小さな生き物。まるでおとぎ話に出てくるような妖精だ。


『この子がさっき言ってた捕まってた魔族よ』


『えっ、魔族ってこんな可愛い見た目なんですか?』


 明奈は自分がこんな可愛らしい見た目の魔族達を恐れていたことに驚きを露わにする。


『魔族って言ってもいろいろいるのよ。怖〜い見た目の魔族だっているわ』


 期待を裏切られ少しショックを受けるが戦うわけではないのだと自分を勇気付ける。


『この子が道案内してくれるっていうから安心していいわ。あとこれとこれとこれと』


 アルシェイアはそう言って持っていた物を次々に明奈に手渡してくる。


 夜は冷えるからと高級感漂う毛皮で出来た防寒具。肌触りのいい生地の白い手袋。必要になるかもしれないからと路銀までくれた。


 捕まえていた魔族まで連れ出して大丈夫なのかとアルシェイアを心配するが、この人なら大丈夫だろうと簡単に納得して明奈は旅立つ準備する。


 アルシェイアの性格から断っても意味がないとわかっていた明奈は素直に全て受け取り身支度はすぐに完了した。


『じゃあ、よろしくね。テンちゃん』


『借りた恩は返すよ。僕達種族はとっても義理堅いことで有名なんだ』


 この小さな魔族の名はテンというそうだ。助けてもらったお礼にと快く道案内を引き受けてくれた。


『アルシェイアさん何から何までありがとう』


『いいのよそんなこと、全然気にしないでいいわ。お別れの挨拶は好きじゃないの、それにあなたとはすぐに会える気がするわ。気をつけて行ってらっしゃい』


 アルシェイアは微笑みながら明奈の頭を撫でる。


『うん、行ってきます』


 明奈はそう言って魔王城へ旅立つのであった。

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