つまり俺を人質として使うってこと?

『ラミか、入ってよいぞ』


 実にいいタイミングだった。喋っていて喉も乾いてきていたし、何よりもすこし間を置

 いて頭の中を整理したかった。


(いいタイミングで来てくれた、ナイスだラミちゃん)


 あとで彼女にお礼をしたいくらいだと心の中で思うほどに今のはいいタイミングだった。


 ラミはドアを開けてからティーセットを乗せたワゴンを押して部屋に入ってくる。彼女は慣れた手つきで玲とシエナの前にカップを置くと紅茶を注ぐ。紅茶はあまり詳しくないが非常にいい香りがする、きっといい茶葉を使っているのだろう。


(明奈は紅茶が好きでよく二人分の紅茶を淹れてくれてたなぁ、明奈ならどの茶葉を使っているのかも分かるだろうなぁ?)


 最後に明奈の淹れた紅茶を飲んだのは1週間ほど前だったが昔の記憶かのように懐かしい気持ちになる。

 ラミは手際良く紅茶を淹れ終わると失礼しますと言って部屋を去っていった。


 ラミは仕事には非常に慣れているよう。しかしなぜかはわからないが紅茶を運ぶ時の手は小刻みに震えていて、紅茶の水面はかなり揺らいでいた。


(彼女はいつもこんな調子なのだろうか?)


『やっぱあの子も魔族なの?』


『いや、違うぞ。普通の人間じゃ』


『えっ、そうなの?てっきり魔族と人間は一緒に暮らしたりしないものかと思っていたけど』


『人間の土地や他の魔王のところでは牢屋に入れたりしない限り一緒にいることはないがな。わらわが人間との共存を望む以上人間の使用人を雇っていても何ら不思議ではなかろう』


(確かに不思議じゃないけど何か引っかかるんだよなぁ。彼女が人間で魔族のいる土地で働かされているというなら恐怖であんな風に手が震えててもおかしくない気がする。流石にシエナが脅して無理矢理働かせているとは思わないが、異常にビクビクしている原因はそれじゃないだろうか?)


 一応念のために聞いてみる。


『彼女が怯えているのは魔族がいる場所で働いているからじゃないかな?』


『……何の話じゃ?』


 シエナは不思議なものを見るかのようにこちらを見つめてくる。またもや彼女との会話が噛み合わなくなりそうだ。数秒間の間が開いた後しびれを切らしたシエナが先に口を開いた。


『あのメイドが我々に怯えているというのは何の話じゃと聞いておるのだ』


『だって彼女凄い震えてたしどう見ても怯えてたでしょ』


『何を馬鹿な!?ちゃんとあの者の了解も取った上でここで働いてもらっておるのじゃぞ。それにわらわ直々に部下たちに彼女に対して危害を加えないよう厳しく言っておる。怯える要素などどこにもないはずじゃ。主の勘違いであろう』


 シエナは絶対的な確信を持った目で言い放った、彼女の目には万に一つの疑いもない。そこまで言われてしまえば返す言葉もない。それにシエナの言っていることが間違っているとも限らない、本当にただラミがおどおどしているのがデフォルトの可能性だってあるのだから。まぁそんな可能性なんて皆無な気がするが…。とりあえずラミに直接聞いてみないことにはわからないこの話はそのあとで構わないだろう。


『あぁ、そうだな俺の勘違いだったみたいだすまん』


『私は非常に寛容じゃが何を言われても怒らないというわけではないのじゃぞ、次は冗談でも怒るからの』


『あっ、はい、気を付けます』


 この手の質問は完全に禁句だったようだ次は怒るとか言いながら少し怒っている。彼女が腕を組みながら目を細め上目遣いで睨んできているのがその証拠だ。


 しかし何というかこのシエナが怒っている表情は素晴らしい、今まで見た表情は大人っぽい雰囲気の顔や、真面目な顔や、笑った顔などがあるが今の表情はその中でも一番惹かれてしまった。怒った顔が素敵だねなどと言ったら本格的に怒らせるだろうから当然口には出せないし、また同じことを言って怒らせることもできないのが実に口惜しい。などと変態チックな考えはほどほどにして玲は頭を切り替える。


 相手を怒らせてしまったときは話題を変えるのに限る。玲は急いで話題を考えようとするがそれよりも早くシエナが口を開いた。


『話が脱線してしまったようじゃ元に戻そうかのう。わらわは魔族じゃ、それもこの大陸治める王つまりは魔王じゃ』


 シエナは先ほどと同じセリフを言い放つ。やはり聞き間違いなどではなく彼女ははっきりと自分は魔王であると言っている。せっかく話を逸らしたのにまた戻ってきてしまった。


『なぜ魔王である君が人間との共存を望むんだい?実は魔族のほうは人間と仲良くしたいと思っているとか?』


『いや、それはないじゃろ』


(いや、ないのかよ!)


 玲は心の中でシエナに強めの突っ込みをお見舞いする。


『じゃあなぜ?』


 玲がそう言うとシエナは紅茶を一口飲み天井を見上げた。その遠くを見つめるような儚げな瞳には過去の懐かしい記憶が映っている。


『わらわの父上は先代の魔王だったのじゃが、昔から口癖のように言っておったのじゃ。魔族だって人間だって争うことが好きなものなどいない。憎んでいる相手を傷つけたいと思うものがいるのは仕方がないが、相手が魔族だからとか人間だからという理由だけで憎み争うこと自体が間違っている。お互いが歩み寄れたならきっと争いなんて起こらない』


(先代の魔王物凄い人格者じゃん。それなのに人と共存できてないってことは他の魔族たちが猛反対したか人のほうが共存を拒絶したかのどちらかかなぁ?)


『いいお父さんだね』


 先代ということは今は亡くなっている可能性が高いし、おそらく彼女の中で大切な思い出であろう話に、ついさっき会ったばかりの自分が土足で踏み込んでいくのは、地雷を踏む可能性が高いので玲は無難な言葉を返す。まぁその配慮もシエナの次の一言で無駄になってしまうが。


『結局人間の勇者と戦い相打ちになって死んでしまったがのう』


(折角の配慮が全くの無駄になったな、逆に言えば彼女はさっき会ったばかりの俺に対してかなり心を開いてくれているということか。)


 シエナが自分に対して心を開いてくれているということは素直にうれしいと思う。だからこそ自分もシエナの質問にもっと考えて返答しなければいけないと、玲は考えを改める。玲は滅多に見せない真面目な表情を作って言う。


『君は父を殺した人間を憎んでいないのか?』


『父上も父上を殺した勇者もこの世界の被害者じゃ。憎むべきはこの世界の在り方、わらわはそう思っている。わらわの望みは父上を殺した人間への復讐なぞではなく、父上が話してくれた魔族と人間がお互い笑って仲良くできる世界を作ることじゃ』


 最初はただ元の世界に戻るために協力してくれということで話を聞くことにしただけだったが、彼女の話を聞いて考えが変わった。自分の父親を殺した相手を憎まずそんな憎しみ合う世界を変えたいなどと言えるものなどそうそういない。自分なら絶対に無理だし普通の人ならそんなこと思えるはずがない。


 それに魔王と勇者が戦わなければならなくなった場合、その時戦うのはシエナと明奈ということになる。お互いに争いを望まないだろうが何があるかはわからない。つまりシエナに協力することは二人が傷つけあわずにすむ一番手っ取り早い方法ともいえる。


 実際、正直言うと考えが変わったのはそこではない、カリスマといえばいいのだろうか。彼女が魔族と人間が仲良く暮らせる世界を作りたいと言った際に圧倒的カリスマを感じた。言葉ではなく彼女の凛々しい表情には人を引き付けるものがある。さすがは魔王と言えばよいのかはわからないが多くの魔族を従えているのは伊達ではないようだ。一生ついていきますと言ってしまいそうになるほどに、彼女には他者を惹きつける内面的な魅力もある気がする。


 魔族と人間の争いに関していえば、自分とシエナに被害が及ばないのであれば異世界から来た自分はあまり関係がない。あまり深く首を突っ込んで自分と明奈に被害が出ることは避けたい。そう思っているのは今でも変わらないが、もし少しでも協力できることがあったら無理のない範囲で協力してあげたいと玲は考える。


『俺に何が出来るかはわからないけど君に協力するよ』


『そうかそうか、協力してくれるのじゃな。恩にきよう玲』


『でもその前に俺は明奈と合流したいんだけど明奈はどこにいるんだ?』


『お主が最初にいた人間の国にいるじゃろうな。そやつは聖剣に選ばれし勇者じゃからの手厚く遇されておるじゃろ』


『ハハッ、明奈が勇者ねぇ~……絶対勇者なんかには向いてないと思うけど…』


 明奈は暗いわけではないがどちらかといえばお淑やかなタイプで、アウトドア派ではなくインドア派な女の子だ。聖剣振り回して魔族達と戦うなんて想像すら出来ない。というか絶対危ない、魔族と戦うのは言うまでもないが剣を持ち歩くだけでも怪我しかねない気がする、料理で包丁を使うのとはワケが違うのだから。できれば聖剣とやらはその辺に置いてきて欲しいものだ。


『明奈は誰かを傷付けたりするような子じゃないからこちらからも手を出さないで欲しい。俺から話せば大丈夫だから』


 シエナは戦いを望んでいないと言っているし玲もその言葉を疑ってはいないが、他の魔族達もそうであるとは限らない。


『無論じゃ、こちらとしても勇者とは是非とも協力したいと思っておる。そのためにお主を連れてきたのじゃからのう』


 彼女は不敵な笑みを浮かべて答えた。つまりは俺が明奈の知り合いだとわかったから利用するために連れてきたということのようだ。


 シエナは最初から玲を利用しようとしていたようだ。けれどもし俺が最初いた国で明奈と一緒に保護されていたなら、シエナ達魔族と戦うことになってしまっていたかもしれないわけだから、結果オーライということにしておこう。


『それで俺は何をすればいいんだ?』


『お主はいてくれるだけでよい。玲に会いたくば魔王城に来て話をしようと、勇者に会談を申し込めればよいのじゃからな』


(幾ら何でも強引すぎるやり方じゃないか?平和的に事を進めるならば人質を返して欲しくば一人で来いみたいな刑事ドラマみたいな展開を演じるのは良くない気がする)


『つまり俺を人質として使うってこと?』


 玲が言うなり彼女はまたしても目を細めて睨みをきかせてきた。どうやらまたしても地雷を踏んでしまったようだ。シエナは今まで会ってきたどの女の子よりも地雷のポイントがわかりづらい。というかわかりづらすぎて先程から地雷を踏みまくっている気がする。攻略難易度MAXって感じだ。


『人質などという卑怯な手をわらわが使っていると主は言いたいのか?血を流さず平和的に交渉するためなのじゃ主は人質などではない』


 なるほど卑怯な手を使うと思われたことに怒っていたようだ。しかし今の俺の立場はどう見ても人質だ。確かに血を流さずに交渉できるかもしれないが、血を流さなければすべて平和的であるという考え方は少し違う気がする。


 実際人質を取るというやり方は相手を脅しているようなものだ。魔族からすれば直接暴力に訴えなければすべて平和的だという考えが普通なのかもしれないが彼女以外の魔族を知らないのでなんとも言えないわけだが。


『魔王城じゃなく人間と魔族の土地の境目にあるような場所で俺とシエナ、明奈と人間側のお偉いさんの4人で話し合いをするってのはどうだ?』


『ふむ…2対2の話し合いなら平等だと言いたいのじゃな』


 いやいや、明奈はこちら側に寝返ると考えていいから3対1だ』


『くふふ、自信満々に言うのう』


『そりゃ明奈が魔族と戦いたいなんて100パーセント言わないからな。賭けてもいいぞ。もし相手のお偉いさんも戦争しないというなら4対0で争う必要はなくなるわけだ』


『ふふ、そんな簡単にいったら長年争ってなどおらんよ。しかし勇者がこちら側に付くというのであれば問題はない。勇者がこちら側にいれば奴等の戦力は半減以下、戦争をしようなどと馬鹿を考えるものはおらんじゃろな』


『いやいや、明奈は勇者どころか剣の振り方すら知らないぞ。とてもじゃないが戦力にはならないと思うんだけど…』


『聖剣に選ばれたのであればそこらにおる村娘でも一騎当千の力を得るものじゃ。正確に言えば聖剣から送られてくる聖なる力とやらで誰でも最強になれるということらしいの。まぁ誰でも選ばれるというわけではないじゃろうがな』


『へー、そういうもんなのか。とりあえず明奈は自分の身を守ることはできるってわけだ、少し安心したよ』


『くふ、勇者を傷つけられるほどの力を持つものなどわらわを含めてほんの一握りじゃ安心してよいぞ。ともかく此度お主に出会えたことは何よりの収穫じゃった、この出会いに感謝しよう』


『俺も君に出会えたのは幸運だったよありがとう』


『くふふ、出会いとは必然。幸運や偶然などの出会いとは存在しないのじゃ。わらわとお主は出会うべくして出会ったのじゃ。これからもお主には多くの出会いがあるじゃろうがすべては必然の出会いぞ』


『なかなかロマンチックなセリフだな今度使わせてもらうよ』


 玲は照れ隠し交じりにおちゃらけて見せた。


『くふふ、面白い男じゃ。あとでわらわの部下達を紹介しよう、お主もいろいろあって疲れたじゃろ、夕餉まで時間があるそれまで部屋で休むといい』


『ありがとう、そうさせてもらうよ』


『何かあれば先ほどのメイドに言えばよい、あやつはなかなかに気が利くからの』


 玲は立ち上がり後ろにいるシエナに軽く手を振って部屋を後にしようとする。


『玲、そういえばお主に渡したいものがあったんじゃ』


 シエナに名前を呼ばれ玲は振り返りシエナのほうを向く。


『渡したいもの?』


『うむ、近う寄れ』


 シエナは机の引き出しを開けて中から小さな箱を取り出す。中身が何かはわからないがくれるというなら貰っておこう。くれるというものは貰う主義の玲はシエナのほうに歩き出す。


『手を出してみぃ、お主には必要なるじゃろうからな身につけておくといい』


 彼女はそう言うと手のひらを上にして手を出してくる。犬にお手をさせるときのような手の出し方だったので玲はついお手をするようにシエナの手に右手をのせる。シエナは玲の右手をとると右手の人差し指に指輪をはめる。指輪は玲のためにあつらえたかのようにピッタリと玲の指に収まった。


 指輪を見てみると指輪にはシエナの瞳と同じくらい鮮やかな紅い色の宝石がついている。どれくらいの値打ちかはわからないが恐らく本物の宝石だろうことは玲にもわかる。


(いやいやいや、いくら何でもこんな高そうなものはもらえない)


 いくらくれるものは遠慮なく貰う主義とはいえ、いくらするかわからない指輪を貰うのには抵抗がある。そもそもこんな高価そうなものを貰えるほどのことをした覚えはない。玲はすぐさま指輪をシエナに返そうとするがそれより早くシエナが口を開く。


『その指輪にはいくつかの魔力が込めてあっての、この世界の魔族や人間の言葉が使えるようになったりするのじゃ。他にも魔力は込めておるがたぶん使わないじゃろうから、今はそれだけ知ってればよい』


(シエナやラミが日本語を話していたわけではなく、指輪のおかげで俺と会話できていたわけか。そういえば最初に声をかけた街の人々はよくわからない言語を使っていたなぁ。)


 そんなに便利なものであるならばと思い玲は考えを改める。


『じゃあ、この世界にいる間貸してもらおうかな』


『気にせず貰ってくれてよいぞ、私からの友好の証だとでも思ってくれればよい』


『そうか、友好の証というならありがたく受け取らせてもらうよ』


 彼女がいいというなら折角だし貰ってもいいだろう。彼女は一度渡したものを返せなどというセコセコした性格というよりは、それぐらいくれてやるという感じのかなり豪気な性格のようだ。


 玲は指輪のはめられた右手を一度軽く握って邪魔にならないことを確認する。そして玲は再度振り向き扉に向かって歩き出す。


 部屋で休めと言われたが最初に玲がいた部屋が玲の部屋ということでいいのだろう。一応部屋の場所は覚えているので玲は迷わず〈といっても長い長い廊下をまっすぐ突き進むだけだが〉自分の部屋へと向かう。


(それにしても静かなところだな、さっきから誰ともすれ違わないぞ)


 玲がそんなことを思いながら歩いていると、玲の影が音もなく形を変えそこから人の形をした異形が現れる。人の形に近いものの黒い翼を生やし赤く光る鋭い眼をした魔物の姿が浮き上がってくる。


 魔物は玲に一瞥くれると一言も発せずにまた別の影へと同化していきその影と完全に同化した。もちろん普通の人間である玲が気配を完全に消した魔物の気配に気づくことはなかった。

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