馬車って案外揺れないんですね

 明奈は今までの人生で馬車に乗ったことは無い、あるのは京都で乗った人力車くらいだったか。馬車自体間近で見たことは無いがこれほどの馬車は滅多にお目にかかれないだろう。


 光沢のある漆黒の外観からは高級感を漂わせ、細かい模様など凝った造りからやはりお姫さまが使う馬車は凄いと感心してしまった。さらに馬車を引く数頭の馬も非常に手入れされた毛並みや堂々とした佇まいから、かなりいい馬なのだろうというのが馬に詳しく無い明奈にも伝わってくる。


 今いる場所からおそらく城である場所は城らしきものの上の部分が見えるので確認できる。見えるといっても城が大きいため見えるのであってすぐ近くというわけではない。歩けばなかなかに遠い距離だ。だがこの馬車に乗せてもらうのも若干躊躇われるほどの高級感だ。それにお姫様と同席してもいいのだろうかなどと思うがやはり歩くのは疲れそうだし馬車に乗せてもらうとしよう。


 馬車に最初に乗ったのはお姫様だ、馬車に乗る順番とかもあるのだろう、お姫様が最初ならおそらく身分の高い順だろうか。なら次は大司祭とかいうあのおじいさんが乗るべきだろうか?そう考え明奈は後ろを振り向くと大司祭と目が合う。

 明奈は声をかけようとするがその前に大司祭は軽く微笑んで見せた。たぶんお先にどうぞということだと思う。…うん、たぶん?しかし身分が高い人物でありながら高圧的な態度ではなく、とても紳士的で明奈に対してなぜか敬意すら感じられる態度であるため非常に好印象の持てる人物のように感じた。


 明奈はお姫様に続くように馬車へと乗り込む。やっぱり中も綺麗だ、外があれだけ細部までこだわった外観なのだ中も当然手を抜いてはいない。ただ外と違って中は細やかな細工は少なく落ち着いた雰囲気のくつろぎやすい内装になっている。もちろん明奈は高級感溢れるこの馬車ではあまりくつろげはしなかったが。


 お姫様、明奈、大司祭、30代半ばほどの鎧を着た男性の順番で馬車に乗り込むとすぐに馬車は動き出した。お姫様が左奥でその隣に大司祭、右奥は明奈でその隣には鎧の騎士が座るという席順だった。全く知らない3人と相席の密室は人見知りの激しいタイプの明奈には少々厳しい、馬車が動き出してからまだ5分くらいしかたっていないが一言も会話のないこの空間に明奈はすでに気まずさを堪えられないでいた。


 普段の明奈であればこんな時は黙って相手が会話を振ってくれるのを待つのだが、あまりにもアウェーなこの状況のため珍しく先に口を開くことにした。


 『初めて馬車に乗せていただいたんですけど、馬車って案外揺れないんですね』


 実際この馬車に乗ってから一度も揺れていない、この馬車が特別製だとしても地面は整備されているとはいえ石畳であり全く揺れないというのも不思議なことだ。しかしよく考えればこの馬車に乗っているのはお姫様に、大司祭、そして騎士だ。

 

 かろうじて騎士の人なら馬車が揺れない理由についてわかるかもしれないが、あまり技術的な話をされても理解できないし、かといって『そうですね』などと返されたらそれはそれで気まずい。会話が続かない状況は割と苦手だななどと一人で焦っていた明奈に返事をしたのは意外にもお姫様だった。


『魔法を使っておりますので揺れることはありませんよ』


『なるほど、そうだったんですか』


 今日はいろいろありすぎたせいで明奈の理解のキャパシティーはとっくにオーバーしている。魔法を使っているというのであればもうそれでいいやというかなり投げやりな気持ちでお姫様に返事をした。


『明奈様のいた世界では魔法はなかったのでございますか?』


 対面に座るお姫様は明奈を正面から見つめてそう尋ねる。


『ありませんでした』


『やはりそうでしたか、異世界から来られた勇者様の中には魔法の存在しない世界から来たという人も多くいらしたそうですから。ですが心配には及びません、明奈様のお力なら魔王など恐るるに足りません』


 このお姫様はかなり強引な性格のようだ。そもそも明奈に魔物と戦う気などとこれっぽちもない。


 それも当然だろう、いきなり魔物など見たこともない相手と戦えといわれて戦おうなどと思うほうがどうかしてる。そもそもこの世界にはなんの義理もないのに命懸けで戦う人間がいるはずがない。玲ちゃんが来たら戦う気はないとはっきり告げて日本に帰ろう。明奈は今日で何度目かわからない決心を固めて少女から目をそらす。


(やだなー、すごく気まずい)


 そんな綺麗な瞳で真っ直ぐ見つめられてもできないものはできない。罪悪感はほとんどないが居心地の悪さから目をそらしてしまったのはしょうがないだろう。


 お姫様はその後も何か言いたげではあったが口を開くこともなく馬車は目的地へと進んでいく。馬車は30分ほどで目的地に到着したが明奈はその間小窓から見える景色を眺めて気まずい雰囲気を何とか耐えきった。ただし気まずいと思っていたのは明奈だけであったのだが。


 馬車は城の近くで停車しすぐにドアが開いた、停車してからすぐにドアが開いたのでこれも自動に開く魔法だろうかと思ったが、近くにいた使用人のような恰好をした人が開けてくれたようだ。すうっと音もなくドアは開いていき開いていくドアから見えた光景に明奈は息をのむ。


 『うわぁすごい』


 馬車のドアから明奈の目に飛び込んできたのは馬車の出口から城の入り口までの100mほどの距離に規則正しく並んだ城の関係者たちだ。鎧を着た騎士たちだけでなく先ほど見た宗教関係の人たち、使用人の恰好をした人たち、他にもお偉い身分のような人たちが並んでいた。しかもただ並んでいるのではなく全員が片膝をついて深く頭を下げていた。


 百人以上はいる人たちが全く同じ態勢で出迎えている景色はなかなかに壮観だ。さすがはお姫様というだけはある、しかし姫様が出かけて帰るたびにこれだけの人が出迎えるのはさすがにないだろう。


(やっぱり私のことを勇者だと思って歓迎してるのかなぁ…)


 明奈の心情としては歓迎されればされるだけ逃げ出したくなるが玲ちゃんが見つかるまでの辛抱だ、明奈は心の中の逃げ出そうとする自分に言い聞かせる。


 馬車を降りる順番はさっきとは逆で騎士、大司祭、だったので大司祭のおじいちゃんの後に降りようとするが姫様は私を制止し先に降りてしまう。


『皆の者、面を上げよ!我ら人類の救世主様が参られたぞ!』


 姫に遅れないように早く降りようとしていた明奈が馬車から足を片方下したところでお姫様は言う。姫様の声は叫んだというより少し声を張った程度だがあたり一面によく響いた。そしてその声を聴いた人々は揃える練習でもしていたかのように同時に頭を上げると明奈に視線が集中する。一拍置いて。


『うおおおぉぉぉぉぉぉぉ』


 その場にいたすべての人は明奈を見ると叫びながら立ち上がる。


『ひぅっ』


 あまりの大歓声に明奈は危うくしりもちをついてしまいそうになる。顔を上げる前は衣類の擦れる音一つしないのではというほどの静けさから一変、全員が狂ったように叫び声をあげたのだ状況がわからない人が見れば当然困惑するだろう。


 そして立ち上がった人々は勇者様だとか救世主様などと叫んでいる。


(うぅ…これなんていういじめなの…)


 完全に無視するわけにもいかないが手を振って応えるような真似ができるはずもなく、明奈は何度か会釈するようにして早歩きで城の入口へと向かう。姫や大司祭を抜く形にはなったがこの場から去りたい一心だったのだ仕方ないだろう。


『申し訳ありませんあまり騒がしい歓迎は好まなかったでしょうか?皆うれしさのあまり興奮を抑えきれなかったのでしょう、許してあげてください』


 同じく早歩きで後ろから追いついた姫が言う。


『い、いえ少しびっくりしてしまっただけですから気にしないでください』


『そうでしたかわかりました、次からは騒がないように伝えておきます。私はこの後少し仕事などを片付けねばなりません。使用人にお部屋のご案内させますのそこでお待ちください。お部屋の前に待機させておきますので何かあればお声をかけてください、では少しの間失礼します。』


 姫はそう言うと奥の方へと進んでいく。


『我々も一旦失礼します。後ほどお話しもありますのでそれまでお寛ぎ下さい』


『お連れ様の方のことが分かり次第直ぐにお知らせいたします。警護は別のものが向かいますのでご安心ください』


 大司祭と騎士はそう言うと軽く会釈し姫の後に続く。残ったのは明奈と使用人の男性。


 玲のことも気掛かりだが今は彼等に頼るしかない、それに色々ありすぎて精神的に少し疲れているので部屋で一度休ませてもらうことにしよう。


『ではお部屋までご案内させていただきます。こちらへどうぞ』


 使用人の男性は非常に柔らかな口調で明奈に話しかける。身分のかなり高い人物でも敬語で話してくるのだ、この使用人が丁寧なのも納得がいくが。自分が魔王と戦う気はないと告げたらどんな顔をするのだろうか、想像するだけで怖い気持ちになる。


(玲ちゃんが見つかったらタイミングを見計らって逃げちゃってもいいかな…。)


 使用人はそんな明奈の気持ちなどつゆ知らずスタスタと進んでいく。


(それにしてもお城の中ってやっぱり広いなぁ)


 明奈がそう思うのも仕方のないことだろう。廊下は成人男性3.4人両手を広げて歩いても余裕のありそうな幅で、天井の高さもかなり高い。他にも所々に置かれた花瓶は値段が想像できないくらいお高そうなものだ。度々見かける銅像も表情までも凄く細かく作ってある。まるで昔写真で見たことのあるベルサイユ宮殿のな中にいるようでこんな時でも興奮を覚える。


 だが、ここに住めと言われれば断るだろう。観光気分で見るには最適かもしれないがか庶民の明奈が住むにはあまりにも現実離れしすぎている。でもやっぱり少しの間滞在してお姫様気分を味わってみたいという気持ちも捨てきれない。


(玲ちゃんが見つかったら少しの間だけならここにいてもいいかも)


 そんなことを考えながら使用人の後ろを歩いていると使用人は一際大きな扉の前で足を止める。

『こちらの部屋でございます』


『あっ、はい』


 使用人の男性がドアを開けるとそこにあるのはまるで絵に描いたようなお姫様の部屋だった。

『うわぁ、凄いお部屋ですね。お姫様みたい!』


『お気に召したようで安心致しました』


 かなりテンションが上がってしまい興奮気味の明奈に使用人の男性は顔色を変えることなく返す。

 ここで先ほどから気になっている疑問について聞いてみることにした。


『私が勇者として来るって最初からわかっていたんですか?』


『いえ、勇者様がこちらに来るまでどのような人物が来られるかわからないものだと聞いております』


『そうだったんですか』


 明奈は自分は偶然呼ばれてしまっただけで特別な力などないと思っているからこの疑問も当然だろう。今までに普通の生活をしてきたのだから。


 誰が来るかわからないのに女性用の部屋が準備してあったのはきっと女性用と男性用の部屋をあらかじめ2つ用意してあったのだろう、もしくは常にお客様用として準備してある部屋の一つだったかだ。


 とにかく一つ疑問が解決した。自分がここに来るまで彼女たちは誰が来るか知らなかったということを。勿論たくさんある疑問のうちのたった一つでしかないが。


『やっと一人きりになれた…』


 使用人は何かあればベッド脇にあるベルを鳴らしてくださいと言い残し部屋を出たのでようやく落ち着ける。姫達が仕事を片付けてくれば姫達から色々話を聞けるだろう、それまで少し休みたい。なぜか驚くほど体は疲れていないが精神的には若干疲れている気がする。


(折角だしベット使っちゃお)


 明奈が普段使っているシングルベッドに比べると遥かに大きいキングサイズ以上かと思われるベッドに横になってみる。


『すっごいフカフカ~。いい匂いもする~』


 さすがはVIP待遇のベッドだ、正直いうと若干フカフカすぎるのだがそれでもマイナスになるほどではない。あと薔薇のような匂いもする、正確には薔薇に近いけど少し甘みの強い匂いのする花だろうか。明奈は花が好きなので匂いとかも詳しいがこの種類の薔薇の匂いは知らない。日本にはないこの世界特有の薔薇なのかななどと考えつつ目を閉じる。

 

 やはり疲れていたのだろう目を閉じてから5分も経たずに、明奈は小さな寝息をたてはじめていた。

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