消えた被害者情報

腹筋崩壊参謀

【短編】消えた被害者情報

 ここは、とある町にある大手テレビ局『トアルテレビ』。

 ニュースやバラエティ、歌番組、アニメなど様々な放送番組を視聴者に提供し続けている建物の一室で、報道番組の製作スタッフたちが揃って頭を悩ませていた。


「なあ、何がどうなってんだ?」

「私も分かりませんよ……でも、現実にこうだったんです……」


 彼らの目の前に映し出されていたのは、ニュース番組に使用する予定の、まだ編集していない段階の資料であった。

 先日、トアルテレビが放送されている区域内で傷ましい殺人事件が発生してしまった。現在犯人と思われる人物を警察が事情聴取しており、間もなく殺人犯として逮捕される見込みとなっている。だが、彼らが頭を悩ませていたのはその犯人に関する事柄ではなく、殺されてしまった被害者に関してであった。

 テレビ局側が進めてきたこれまでの調査や、警察から提供された資料によれば、犯人に命を奪われたのは現場の家に住んでいた高校生と思われる少女。近くの高校に通う、何の変哲も無いごく普通の人間のはずであった。だが、取材に訪れたテレビ局のカメラマンやスタッフたちは、彼女の近辺で不可解な現象に直面していた。


『え、そんな人、近所には住んでいなかったはずですけど……はい?さあ、そこまで聞かれても私には何も……』


 編集前の画面に映し出されていたのは、あの家の近くに住んでいたお婆さんへのインタビューの内容であった。

 被害者と普段から顔見知りであるはずのこのお婆さんに聞けば、それなりにあの高校生の身なりや普段の態度が聞けるかもしれない、と考えたスタッフたちの耳に入ったのは、予想外の内容であった。お婆さんは、今回の被害者である女子高生の事を何故か一切知らなかったのだ。その口調は、決してテレビ局のスタッフをからかっているものではなかった。何を聞いても何を尋ねても、お婆さんは彼女の存在を一切認知していない事を示すだけだったのである。


 正直な所、あの婆さんは殺されたショックでボケたんじゃないか、とその時のスタッフたちは内心馬鹿にしていた。町の他の人々にインタビューしたり、より事細かに被害者の事を調べなければならない、と言う自分たちの仕事量の増大を恨む心もあった。

 だが、彼らを待ち受けていたのはさらに信じられない事態であった。


「……未編集なんだよな、これ?」


 その後の映像をもう一度見た上司の言葉に、カメラマンやスタッフはしっかりと頷いた。自分たちでも信じたくない、と言う気持ちも込めて。


『さあ……私そんな人知らないです』

『そうかー、近所でそんな事件が……で、誰?』

『可哀想だけど、あいにく俺はその人は知らないですね……』


 彼女と同じクラスの同級生、近所に住むおじさん、スーパーのバイトの店員――被害者の女子高生と関わりがあったと思われる人たち全員が、一切彼女の事を覚えていなかったのである。何を聞いても、大きなテレビカメラには首をかしげる近所の人ばかりが映し出されてしまっていたのだ。


 その映像を見た上司の頭に、ある可能性が浮かんだ。もしかしたらこの少女は社会との繋がりを絶った引きこもりか何かだったのではないか、と。そうなれば、同級生でも近所の人でも存在を覚えていないという事は説明できるだろう。警察から事件の詳細な内容は提供しきっていないが、現在の段階で伝えるとしたらこれしかない、と彼は考えたのである。

 ところが、実際に取材を担当したスタッフから、その考えを覆すさらに不可解な事実が報告された。


「……は?写真が?どういう事だ?」

「はい、提供されたはずの被害者の写真が、ご覧のように……」


 そういってスタッフが見せたのは、まるで遺留品のようにビニール袋の中に封じられた、被害者の顔が映されたはずの黒い『厚紙』であった。決して彼らが誤った処置を施して写真を滅茶苦茶にしてしまったのではなく、写真自体がまるで自ら命を絶ったかのように突如黒ずみ、何が映されていたのか分からない状況になってしまったのである。

 しかもそれは現物だけではなく、パソコンの中に保存されていたデータも同様であった。編集作業に使おうとした途端、突如ファイル自体が『ウイルス』として自動的に削除され、復元しようにもデータが無数の断片となって散らばり修復が非常に困難な状況になってしまったのである。


「じゃ、じゃあSNSはどうなんだ?被害者のプロフィールが……」


 焦る上司の言葉にも、スタッフは首を横に振った。

 被害者が登録していたと言う情報が届いたはずのSNSにも、その周辺にも、彼女の情報は一切存在しなかった。やはりここでも、誰ひとり被害者の女性の事を覚えるものは居なかったのである。


「……一体、何がどうなっているんでしょうか……」


 先程上司が言った内容を、今度は部下のスタッフたちが口から溢した。


 このような事は、今まで一度も無かった。普段なら被害者の写真や様々なインタビュー映像で普段の状況を知り、それらを編集して番組にする事で視聴者から被害者への同情を集めると言う構図が作り出せていた。トアルテレビばかりではない、どのテレビ局も様々な殺人事件を伝える際は似たような構図となっていたのだ。だが、今回はそのような番組制作が一切出来ない、と言う状況になってしまった。存在したはずの被害者が、まるで元からいなかったかのように全ての情報を消し去っていたのである。

 テレビ局が把握している確かな情報は、女子高生が『殺された』と言う事実、そしてどうやって殺されたかと言う警察からの提供だけだった。


「こんな番組、意味が分からないって苦情が来ますよ……」

「そうですよ、被害者を何だと思ってるんだ、馬鹿にしてるのか、って……」

「畜生……俺たちの苦労が台無しだ……」


 スタッフたちが完全に行き詰り始めたその時、突然上司が大声を出して椅子から立ち上がった。一体何事か、と驚く部下たちに向けて、彼は良いアイデアが浮かんだ、と語った。


「もしかしたら、これは良い題材になるかもしれないぞ!」


 このような状態なのに何故そのような事を言うのか、最初は理解できなかったスタッフたちも、上司が思い浮かんだアイデアを聞いた途端、今回の不可解な状況を乗り切れるかもしれない、と言うに満ち始めた。

 例え困難な状況に陥っても、発想を転換すれば自分たちにとって絶好の追い風になる――ニュース番組の製作陣一同の思いは1つとなった。


~~~~~~~~~~


 その日の夕方、トアルテレビで被害者に関するニュース番組が放送された直後、ネットの片隅にある匿名掲示板の内部は騒然となった。参加者たちが彼女を守るために行った行為が、『マスゴミ』によって面白おかしく紹介されると言う悪夢のような内容だったからである。


 確かに、頭脳を結集した上で被害者に与えた、スマートフォン用の特殊アプリは見事に作動していた。もし持ち主の身の上がマスコミを通じて世間一般にばらされるような事が起きた時、様々な物体や人間の記憶回路に特殊な波長の電波を送り、アプリを利用していた者に関する全ての内容を一時的に阻害、もしくは彼女の情報そのものを誰からも見られないように遮断、そして削除してしまう、と言うものである。しかもパソコンに保存された被害者に関わる事柄にも、コンピュータウイルスの如く作用しあっという間に消し去ってくれる、と言う非常に高性能なものだ。


 このようなアプリが製作された一番の理由は、掲示板に集う者たちが嫌う『マスゴミ』避けであった。被害者の情報を事細かに伝え、彼らのプライバシーなど無かったかのように世間一般に流布させる彼らの鼻をへし折り、二度と同じような事をさせないようにしたい、と言う彼らの怒りや熱意が篭っていたのである。そして完成後、アプリの被験者として掲示板内で名乗りを上げた人々に、あの女子高生も含まれていたのだ。彼女が殺害され、その詳細が『マスゴミ』たちによって放送されかけるという状況が生まれてしまったことで、図らずもこのアプリの効力が実証されてしまった、と言う訳である。


 確かにアプリ自体はちゃんと作動し、彼女に関わる全ての記録や記憶は一時的に遮断された。だが、結果としてそれは『マスゴミ』に対して「情報が一切無い被害者」と言う、不可解だが視聴者の興味を惹くであろう新たな餌を与えただけに過ぎなかった。

 夕方のニュース番組で放送されていたのは、被害者や加害者の身の上以上に『何故被害者の情報が突然消え去ったのか』と言う、さらに興味半分で被害者の情報を扱うような内容だったのである。


 その夜以降、掲示板の内部には、『マスゴミ』に対する恨みつらみが数日にわたって津々浦々と書き記され続けた。

 他のテレビ局も次々に「情報が一切無い被害者」と言う不可解な事実について、ワイドショーの時間を割いて伝え始める中で……。

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