落陽
ベアトリスが蒼炎の壁を消すと、そこには目を見開いたまま固まっているエドムントがいた。
「……あり、えん」
絞り出すかのように一言だけ発すると、直後、我に返ったエドムントは大剣を両手で握りなおすと、大きく一歩跳び退った。
まあ、気持ちは分からなくもない。
奴の前方からは何百メートルあるいは何キロもの長さで幅5メートルの焦土が伸びているのだが、ある地点から焦土の帯の真ん中に無事な草原が残っているのだ。その地点というのは、もちろん俺たちの足元だ。どう見ても、今の一撃を防ぎ切ったようにしか見えないだろう。
「馬鹿な、あり得るか! 紛れもない太陽神の一撃だぞ! 最高位の神にすら通用する神の業を、防いだだと!? な、何を、何をした!!」
半ば錯乱状態で喚くエドムントへと、ベアトリスが一歩、踏み出した。その姿を見て、エドムントがさらに声を上げる。
「なっ、き、貴様……手枷はどうした! あれは貴様には破れぬはず! 何だ、何が……」
なおも喚こうとするエドムントの前で、ベアトリスは灰を蹴り上げる。それは蒼炎の下に溜まっていた灰、つまり光線が焼き尽くされてできた灰だ。
ベアトリスは片手を腰に当てて、ごく簡潔に事実を告げた。
「燃やしたぜ」
「もや、した……馬鹿な、貴様にそのような力など」
「今、手に入れた」
「何だと……い、いや、仮に手枷を破壊できたとして、あの陽光を防ぐ手立てなど無かったはずだ!」
言いながらエドムントの視線はチラチラと周囲の様子を探っている。どうやら、俺たち以外に伏兵とか助っ人とかがいると思っているようだ。
「ハッ、これだから副次的にしか炎を使えねえ奴はなぁ」
ベアトリスは灰を蹴立ててさらに一歩近づいていく。同時に、エドムントも気圧されたかのようにじりっと後退する。さっきまでの鼻につくほどの余裕は欠片も残さず消し飛んだようだ。
「炎とは、対象を燃やして灰にする不可逆な変化、要するに破壊だ。この破壊の力をもってすれば手枷だろうが光だろうが灰にできる」
「光を、灰に……ッ!?」
そこでようやく、エドムントは理解したようだ。今しがたベアトリスが蹴り上げた灰こそが、自らの放った光線の成れの果てなのだと。
まっすぐ正面を向いていた大剣の切っ先が、ふらっと揺らいだ。まるで持ち主の精神状態を表すかのように。
ベアトリスはさらに畳みかける。
「じゃあなんで今なのかって? 教えてやるよ。この力は邪神フィルグクーの力、一帯を火の海にした災禍の炎に由来する破壊の力だ。すなわち、これまでの蒼いだけの炎とは違う、より邪神の本質に近い力ってわけだ」
「なっ!? き、貴様、正気か!!」
……邪神の力だったらどうなのかがよく分からないが、エドムントの反応からするとなんかやばいんだろう。
答えるベアトリスは口を歪に曲げて、笑った。
「そう、全人類を敵に回すような愚かな行為だ。普通はやらない。でもな、そのおかげでてめえを殺せる」
直後、少女の右手に青白い光が宿った。
「何と引き換えにしてでも、今ここで、てめえを殺す。……正気だと思うか?」
光は瞬く間に炎に変化した。蒼い炎に。
油の染み込んだ松明よりもさらに激しく、蒼炎はベアトリスの細い腕を中心にして燃え上がっていく。
轟々と燃え盛る腕を前に差し向けながら、ベアトリスは顔も体も正面を向けたまま口だけを動かした。
「……カジナ」
まさかここで俺の名前が呼ばれるとは。
「なんだ」
「さっき言った言葉、忘れてねえだろうな」
さっき、というのはアレのことか。
「ああ、もちろん」
返事を口にしつつ、俺は改めて自らの意思を確かめ――グッと拳を握りしめた。
「行けッ!」
鋭い掛け声と共に、ベアトリスの手から蒼炎が放たれる。
直径2メートルはあろうかという蒼い炎の塊は空中で瞬く間に姿を変え、一頭の狐に変化。空気を焼き火の粉を散らしながら地面すれすれの低空を飛び、蒼炎の狐はあっという間に20メートルの距離を詰めた。
万物を灰にする邪神の蒼炎は、狐の姿のままエドムントに飛び掛かり――
二連の斬撃によって蒼炎の体そのものを三つに切り裂かれ、わずかな灰だけを残して掻き消えた。一息で二太刀だ。
あれほどの大剣を木の枝でも振るかのように軽々と操る剛腕に改めて肝を冷やしたが、それ以上に脅威なのは全てを灰にするはずの炎を切り裂いた剣そのものだ。
いかなる理屈なのか、神威を断つ剣は炎をも斬ることができるらしい。つまり、この剣がある限り、ベアトリスの炎もまたエドムントには届かない……?
「絶対に、焼き殺す!」
俺のそんな心配もよそにベアトリスはまだ攻撃の手を緩めないようだ。今の攻撃の間に用意したのか、地面を走る青白い光のラインが計4本。楽譜のように平行に伸びる4本の細い神威はエドムントの真下に達したところでさらに変形、あみだくじのように線と線の間を新たな線が繋いでいく。
瞬時に地面に描かれた青白い格子は、完成と同時に間髪入れずに発火。今度は真下からエドムントを焼き殺そうというのだろう。だが、今度もエドムントは早かった。
重心を落とし、地面を一閃。4本あった神威の線を一太刀で全て断ち切ってみせた。半ばで斬られた格子によって噴き上がる蒼炎はエドムントの目の前までで止まり、肝心のエドムント本人には火の粉の一つも触れてはいない。
燃え上がる蒼炎に照らされながら、知ってか知らずかエドムントは唇をめくり上げて犬歯を覗かせる。完全に未知の攻撃で動揺していたものが、実は恐れるほどのこともなかったと思ったのだろう。
そう。この瞬間、エドムントは目の前の蒼炎とそれを繰り出してくるベアトリスしか頭にない。
より正確に言うならば、エドムントは全く気付いていない。
真横から接近しつつある俺の存在に。
手枷や光線すらを燃やし灰にしたベアトリスの力。それを脅威と認識して警戒するのはごく自然なことだ。
だからこそ、それが囮だとは思いもしない。
あるいは精神的に万全なエドムントであれば途中で気付き、対処していたかもしれない。だが、直前に超弩級の大技を無傷で防がれたショックは、エドムントの平常心を失わせるのに十分だった。
俺は蒼炎の壁を睨みつけるエドムントの側面へと、全速力で駆けていく。本来ならば聞こえるはずの足音は、勢いよく燃え盛る蒼炎によってほとんど掻き消されていた。
故に、エドムントがこちらに気付いたのは、目の前の蒼炎の勢いが弱まった時。俺が残り3メートルの距離にまで肉薄した瞬間だった。
「なぁっ!?」
驚愕とも悲鳴ともつかない奇妙な叫び声を上げつつも、エドムントの動きは素早く正確だった。
俺の体勢と拳の位置から拳が辿るであろう軌道を計算、その軌道の中心に当たるように刃を立てて大剣を構える。魔狼が見せたものと同じ、神威を切り裂く刃だ。
現在、俺の力でこの技を打ち破る手段はない。だが――
「ハッ、なまくら構えてどうしようってんだ!」
エドムントの構える赤銅色の大剣。その刃に白い灰が線のようにびっしり付いているように見える。いや、付いているのではない。刃の先端が燃えて灰になってしまっているのだ。
切れ味は刃の先端の鋭さで決まる。つまり、ほんの0.1ミリでも燃えてなくなれば切れ味はガタ落ち――ベアトリスの言葉通りなまくらというわけだ。
「なっ、馬鹿な」
「ぶちかませ、カジナ!」
握り込んだ拳を肩まで振りかぶり、全身を捻りながら力を溜め、左足で最後の一歩を大きく――踏み込む。
「『ヴィクトリー』――ィィ」
左足が地面に触れた瞬間、全身の力を一気に解放。右足から腰、胴、肩を通って力は収束し、全身の力と体重が乗った一撃となって右拳が繰り出される。
狙いは構えられたままの大剣。大剣ごとエドムントをぶっ飛ばす!
「――ッ『ストライク』!!」
灰色の輝き――神威を纏った全力の一撃が、ついに炸裂した。
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