破壊の蒼炎

「それがてめえの答えか」

 俺の前に立つ青髪の少女は、溢れ出る怒りを隠そうともせずに言葉を吐く。下手に触れれば瞬時に爆発してしまいそうな、危険物そのものの気配だ。

 そんな、背中側ですら鳥肌が立ちそうな怒り全開のベアトリスの真正面、信じがたいほどのプレッシャーを受けるであろう位置にエドムントは立っていた。にも関わらず、エドムントは牙のような犬歯を剥いてニヤリと笑った。

「だとしたらどうなのだ、小娘よ。今の貴様に何ができるのだ?」

 そこで俺は理解した。エドムントがこれほど余裕でいられるのは、ベアトリスが力を使えない状態だというのが分かっているからだ。やはり、あの手枷は力を封じるような特別なものなのだろう。

 そんな俺の考えを読んだかのようにエドムントは言う。

「対神憑き用に設計された手枷の具合はどうだ? その黒金の強度は我が腕力をもってしても引きちぎるに苦労する代物だ。その上に力を封じる門の役割まで果たす優れもの。貴様の炎ごときでは焼き切る前に自らを焼き尽くして死ぬであろうなぁ」

 言いながら、エドムントは逆立った赤い短髪をなで上げる。挑発しているのだ。やれるものならやってみろ、と。狙いは無謀な挑戦をさせて自滅させようという辺りか。

「まあ仮に、貴様がその手枷を破ったところで我には傷一つ付けることすら叶わぬだろうがな。天高くにありながら地上全てを照らし熱する太陽が、そこらの野火より火勢で劣るはずもなし。故に、貴様が太陽の加護を破ることもまたあり得ぬ。分かるか、小娘よ。貴様は我が敵になることすら叶わぬのだ」

 雄弁に煽り立てて、エドムントはさらに一歩踏み込んでくる。このエドムントの雄弁さも変といえば変だが、それ以上にこれほどの言葉を浴びながら目の前のベアトリスが一言も発していないことの方がもっと変だ。

 いまだ爆発物さながらの雰囲気を醸し出している以上意気消沈したというわけではないだろうし、あれだけ好き放題言われて我慢できるタイプとも思えない。

 一体何があったんだ? とベアトリスの顔を見ようと回り込もうとした。その瞬間。

 ズン、と地面が震えるほどの勢いでエドムントが一歩踏み込んだ。その脚を伝って、眩いほどのオレンジの光が地面へと流れ込んでいく。水のように地表を走る光は一直線に俺たちの方へ向かってきたかと思うと、少し手前で二つに分かれて迂回、そのまま弧を描いて後方で合流した。

 俺たち二人を囲うように地面に描かれた橙色の光の帯。まるで川の中州だと――いや、中州そのものだ。

 気付いた瞬間、橙色の光――エドムントの操る神威とやらが火を噴いた。

 描かれた線のままに噴き上がった炎は、壁となって俺たちを取り囲む。その高さはおよそ5メートル。

 炎が俺たちの立つ地面ごと離れ小島のように切り離した。



 同時にいくつもの考えが頭を巡る。狙いは――逃げるか――追撃が――。

 聳え立つ炎の壁を睨みつけながら、俺は拳を握っていた。

 この炎の狙いは俺たちの移動を阻止することにある。いや、正確に言うなら選択肢を削るためか。

 現時点で俺たちの選択肢は三つ。炎の壁を掻き消して突破するか、飛び越えるか、動かずに待つか、だ。この時点で削られたのが何かというと、だ。

 炎で阻んでおけば俺の攻撃は届かない。そのことが既に、火柱の中で隙を晒していたエドムントを放置したという事実でバレているというわけだ。

 加えて、炎の壁で視界を遮ることで俺たちは少なからず足止めされる。現に、こうして考えている間にも時間は過ぎていく。

 この時間こそが奴の狙いだ。それも単なる時間ではない。おそらくは無防備を晒せる時間。先程までの戦闘では確保できなかったものだ。

 そして、わざわざ戦闘中に無防備を晒すなんてのはまず間違いなく大技の前触れだ。というか、それくらいのリターンがなければわざわざ無防備になどならないだろう。

 そう、大技だ。魔狼を撃退できるほどの巨大な炎をノータイムで発生させられる相手が、わざわざ時間を作って放つ大技だ。規模・破壊力ともにこれまで以上のものが来ると見ていい。つまり、小細工など通用しない。

 生き残れる可能性がありそうなのは例の緊急回避くらいだ。ベアトリスを抱えてどこまで飛べるかは未知数だが、やるしか――

 その時、これまで背中を向けていたベアトリスが急に振り返った。

「……おい、お前」

 彼女の声は、何故か妙に平坦に聞こえた。

「あいつを殺す気はあるか?」

 かなり唐突な、現状が分かっていないようにも思える問いだった。

 だが、あまり時間はないと頭の隅で考えながらも、俺は出来る限り正直な気持ちを答えた。

「殺す……かどうかは分からない。けど倒さないといけないし――」

 瞬間、脳裏をよぎるのは黒髪の少女の泣き出しそうな顔と、燃えたぎる怒りを秘めた赤い瞳。イェーナの悲しみは家族に等しい人を失ったがため。そしておそらく、ベアトリスの怒りもまた大切な人だったから、だろう。

 俺は、本当の意味で彼女たちの気持ちが分かっているわけじゃない。でも――

「――俺だって、思いっきりぶん殴ってやりたいとは思ってる」

 それが俺の偽りのない本心だ。


 俺の答えを聞き届けると、ベアトリスはサイドテールを振りつつまた背を向けた。

「甘い……が、いいだろう。ここはあたしがやる」

 そうとだけ言うと、それっきりベアトリスは黙ってしまった。

 今、俺から見えるのは少女の細くて小さな後ろ姿だ。背は俺より頭一つ分小さいし、華奢な腕に嵌められた分厚い手枷は痛々しくさえある。

 けれど、その立ち姿には熱量があった。胸を張り前を向く姿勢には、弱気も諦めもなく、あるのはただ燃え盛る火炎が如き灼熱――。


 瞬間、ポッと小さな火が灯った。

 俺たちの周りを取り囲む炎の壁とは正反対の、マッチの先で燃えるような、ささやかな蒼い炎。それが

 見間違いではない。あたかも可燃物であるかのように、蒼い炎は金属の手枷を燃やしていた。しかもそれは瞬く間に手枷全体へと燃え広がっていく。どう見ても金属製だったはずの手枷が、木製かいっそ紙でできたハリボテだったかのように、瞬く間に蒼い炎に包まれていく。

 手枷全体に燃え広がった蒼炎は消える気配すらなく、やがて手枷を変質させていく。

 すなわち焼却し、灰にする。

 手枷は蒼炎を纏ったまま粉々に崩れ落ち、灰だけを残して燃え尽きた。元が金属などではなかったかのように。

 俺は思わず息を呑んだ。これは単なる炎ではない。

 そんな俺の驚愕を知ってか知らずか、ベアトリスは自由になった両手を前に差し向けた。

 両手の先から青白い神威が伸び、ベアトリスの前に蒼炎が壁として燃え上がる。

 直後、蒼炎ごしにすら見えるほどの勢いで、前方から猛烈な光が放たれた。すぐそこに太陽が落ちてきたかのような、色という色が薄れて消えるほどの、強烈な光。これがエドムントの放ってきた大技なのだろう。

 全てを消し飛ばすほどの威力を秘めているであろう光の束は、蒼炎の壁ごと俺たちを飲み込む超大口径の光線として放たれた。

 しかし、触れるもの全てを灼き尽くす光線は、俺の体に触れることなく消えていく。否、


 たっぷり1秒以上も照射された極大光線が止み、焼け焦げた匂いと共に徐々に視界が戻ってくる。

 俺の目に真っ先に飛び込んできたのは、青髪の少女の華奢な後ろ姿と、なおも燃え続ける蒼炎の壁だった。

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