神殺しの一合
肌を焼き焦がすような熱感に、思わず右手で顔をかばった。直接食らわずとも分かる超高温の大火力。
昨夜、逃走した魔狼に対してやけにあっさり引き下がるものだと思ってしまったが、とんでもない。むしろ、この炎を食らって生きていたというしぶとさに、今更ながら背筋が寒くなる。そして当然、これほどの破壊力を有するエドムントという男に対しても。
けれど、そんな目の前の脅威よりも、俺には気になることがあった。
ただ一言、「死ぬぞ」と言った少女の声。
神妙で消え入りそうな声だったせいか、これまで聞いたトーンとは違っていて誰の声かは分からなかった。だが、状況からして声の主はベアトリス以外ありえない。
ありえないのだが、そうすると彼女の思惑が分からない。
確かに彼女には俺を殺す気はないのだろう。だが、それとこれとは話が違う。
今のベアトリスは戦う気がない、あるいは手枷のせいで戦えない状態だ。しかし、それがそのまま俺を助けたいという気持ちに変化するわけはない。
あるとすれば……エドムントより俺に勝ってほしいとか、だろうか。あの燃え盛る炎のように苛烈な少女が、大人しく手枷を嵌められてここまで連れてこられているという状況を鑑みると、何か弱みを握られているとか、そういうことだろう。
――でもそれ、エドムントを倒したら用済みってことで俺も始末されるっていう可能性もあるんじゃ……?
真意を確かめるべく横目でちらっとベアトリスの様子を伺ってみたが、やはりというかなんというか、その表情からは何も読み取れなかった。
まあ、少なくとも戦闘が終わるまでは彼女の動向に注意する必要はないと思うが。
天を衝くような劫火が収まり、灰と火の粉だけになった地面からエドムントが大剣を引き抜いた。
もう言葉は必要ない。とにかくこの男と戦う以外に俺に選択肢はないのだ。
俺は正面にエドムントを、大剣を担いだ赤髪の大男を見据える。
相手の強みは、魔狼を一撃で退散させるほどの大火力や身の丈近い大剣を片手で操る腕力もさることながら、それらを自在に使いこなして連続攻撃にしてしまう頭脳と器用さにこそある。
実際、今の三段構えの攻撃はベアトリスの助けがなければ俺には対処しきれなかった。つまり、このまま受けに回り続けるのはかなり危険だろう。
だったらどうするか。単純な話だ。
俺は地面を蹴り、体を前傾させて右拳を握りしめる。
「今度は俺のターンだ!」
◆
神憑きの少年――カジナは大剣を持ったエドムントにも怯むことなく、果敢に突っ込んでいく。
対するエドムントは脚を狙って下段斬り。カジナはこれを跳んで回避し――直後、カジナが大剣に引っ張られるように横移動した。
どうやら、刀身を握って大剣の勢いに体を引っ張らせたらしい。正気を疑うような行動だが、確かに右手が切れないのであれば作戦としてはアリだ。
――妙なところで思い切りがいいな、あの神憑きは。
さっきの模擬戦ではこっちが焦れるくらいに受けに徹していたくせに、だ。
それで、思い切りのよすぎるカジナの行動の結果はというと、そこそこ悪くない。
カジナの方から仕掛けてきたこと自体意外だったらしいエドムントは、そこからさらに「刀身を掴んで引っ張らせる」なんていう行動は完全に想定外だったようで、とっさに大剣を振り上げて制御を取り戻そうとしてしまった。
だが、剣先が上がり始めた瞬間にはもうカジナは手を離している。
無為に大剣を振り上げる形になったエドムントに対して、カジナは拳を振りかぶって接近。
見た目にはなんてことのないただの拳だが、振るっただけで炎を掻き消し、大剣でも傷一つ付かない拳だ。当たればただでは済まないだろう。
それが分かっているのだろう、エドムントもむざむざ拳を浴びるようなマネはしない。大剣では間に合わないと見るや、片足を振り上げて威力が乗りきる前――肘がまだ曲がった状態の拳を足裏で受けた。
ドムッと重い音が響き渡る。
勢いが乗りきる前とはいえ、神憑きの拳だ。エドムントは巨大な手にでも払われたかのように叩き飛ばされる。あれほどの大男が握った大剣ごと飛ばされた挙句、空中で一回転するのはなんだか夢でも見ているようで現実味がない。いや、現実なんだけど。
これが本来の間合いで命中したらどうなってしまうのか、と考えたところで、脳裏をよぎるのは模擬戦最後の瞬間の小石のように吹っ飛んでいくカジナの姿。いや、でもあれは全力じゃないだろう、多分。
なんて、あたしがどうでもいいことを考えている間に再度カジナは突撃していく。
その先にいるのは片手片膝をついて体を起こそうとしているエドムント。その隙を待っていたかのように、拳を振りかぶったカジナは全速力で駆けていく。ここで決着をつけようというのだろう、さっきとは違って足取りに迷いがない。
あるいは、カジナが勝つかもしれない。だから、あたしは観察のために全神経を注いだ。
「『ヴィクトリー・ストライク』――ッ!!」
一節のみの詠唱を叫び、左足の踏み込みと同時にカジナが拳を繰り出していく。
対するエドムントは、何を思ったか大剣の柄を短く握り、体の前で構えた。
そして、背筋に冷水でも注がれたかのような寒気――神の気配が放たれた。同時に神の力の通り道、灰色の神威がカジナの拳から溢れ出す。
あたしは瞬時に理解した。これが、あの岩石の巨人を屠った神憑きの力なのだと。この規模、この密度であれば、神を殺すに足る。
――ったく、それを最初から出せばよかったんだっての。
心中で愚痴をこぼしつつ、あたしは自分の口の端が上がっていくのを感じた。これなら最初からカジナの側に立って共闘すればよかった。
だって、こんなものを真正面から受けて無事でいられるものは、少なくとも人間の中には存在しない――。
瞬間、あたしの視線はエドムントへと移った。大剣を構えたまま微動だにしないエドムントは、これほどの莫大な破壊力を目の前にして全く狼狽えていなかった。
まるで、防ぐ手立てを知っているかのように。
エドムントの口が動き、何かを唱える。だが、今からの発動では間に合わないはずだ。
灰色に輝く膨大な神威の塊を纏ったカジナの拳が、大剣の刃へと突き込まれる。直後、神殺しの拳が炸裂した。
嵐の日の暴風を何倍にも何十倍にも強めたような轟音が、あたしの全身を震わせる。
カジナの拳から放たれた神威、その性質はおそらく純粋な力そのものだ。
あたしのフィルグクー神やラウレンスのハドゲイル神のような、炎や風になるものとは違う。もっと単純な、突き飛ばす力そのものが、あの神威の正体だ。
その証拠に、カジナの目の前の地面までもが神威に触れて削り取られ吹き飛ばされていくのに、そこからほんの少し離れた地面では草がなびきもせずに直立している。
一見するととんでもない暴風にも見えるカジナの力だが、その実、風ですらないというわけだ。
そんな物ですらないものを、エドムントは斬り裂いていた。
濁流が如きカジナの灰色の輝き、力の神威を、光輝く大剣は真っ向から迎え撃ち、真っ二つに裂いている。そうとしか見えなかった。
無論、斬られたからといってカジナの神威が完全に無力化されているわけではない。エドムントは大剣を構えた格好のまま、地面に二条の轍を刻みながら押し流されていく。しかし、その勢いは神威も見えないような先程の一撃にすら劣っていた。
そして、大地をも揺らすような轟音と迸る灰色の濁流が消え失せた時。遥か後方まで押し流されながらも、エドムントは大剣を構えた格好のまま、変わらず二本の足で立っていた。
その体に傷らしい傷は一つもなかった。
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