太陽の戦士
俺、イェーナ、ラウレンスの三人の目の前でノエが取り出したのは薄汚れた小さな袋。
その袋の口をノエが緩めた瞬間、血の匂いが空気に乗って漂ってくる。何の血かは分からないが、血の匂いには肉食獣を呼び寄せる力がある。
だとすれば、この匂いで残った狼たちをおびき寄せて倒そうというのだろうか。
「なあ、ノエ」
半分呆れながら、俺は言う。
「さっきの戦いを見てなかったんだろうが、俺たちは他の奴らの見てる前であの魔狼をぶっ倒したんだぜ? 呼んだって近寄って来やしないだろうよ」
狼は序列を理解する生き物だ。そして、この群れの長はあの巨大な魔狼で、それを俺たちが倒した。となれば、この場では俺たちが一番強いというのを狼は理解する。ただ腐臭に呼ばれるだけのハエやハゲワシとはわけが違うのだ。
そう、狼というのは基本的には賢い獣だ。用もなく戦いを仕掛けたりはしない。
しかし、ノエは冷静だった。
「はい、人間が呼んだのでは彼らも近づいてこないですよね」
そう言いながら、ノエは袋を高々と掲げる。握った手を軽く縦に振り、袋の中に入っていた何かにストンと刺激を与えた。
キュウと、何かの音――鳴き声が聞こえた。
瞬間、俺たちの背後で猛烈な殺気が膨れ上がっていく。
「でも、彼らの仲間に呼ばれれば、どうですかね?」
振り返ると、完全に戦意を喪失していたはずの狼たちが、立ち上がり、毛を逆立てている。
「一体、何を……」
急変する事態に困惑しつつも、イェーナは矢をつがえ弓を引く。
そのギリギリと軋む弓の音に釣られて、俺も両手の双剣を狼たちへ向けて構える。
「来るぞ。とにかくまずは迎撃じゃ」
ラウレンスもいつもより声に真剣さをにじませる。
……ああ、言いたいことは山ほどある。だが、まずはこの殺気だった狼たちを制圧しなければ。
「――来やがれッ!」
湧き上がりつつある怒りを、気合に変えて俺は吠える。
直後、狼たちは弾かれたように一斉に駆けだした。
◆
「死んでもらおう」
聞き間違えようのない死の宣告と共に、2メートル近い赤銅色の大剣が一息に振り下ろされる。
確かに俺は神憑きだ。だがそれはぶっちゃけ右腕だけの話で、まともにこんなものを食らえばまず間違いなく真っ二つになる。
だから、反射的に右腕が動いたのは本当に幸運だった。
すんでのところで割り込んだ右腕と赤銅色の刃が衝突。そのあまりに重い手ごたえに耐え切れないと感じた瞬間にはもう、俺は体ごと弾き飛ばされていた。
「ふん、流石にこの程度では神憑きは死なぬか」
振り下ろした大剣を片手に持ち替えながら、エドムントはゆっくりと接近してくる。
俺は慌てて立ち上がると、距離を取りたい気持ちを抑え込んで右手を前に構えた。
その間も、頭の中では考えが高速で巡っていく。
殺意は明確だ。この男が俺を殺す気なのはまず間違いない。ではなぜ俺を殺すのか。俺の存在が邪魔なのか、それとも将来的に脅威になると見ているのか、あるいは単に神憑きであるからか。
……読めない。いろいろと情報がなさすぎる。
「何故です!」
とりあえず、馬鹿正直に聞いてみる。
「貴様がいては我が計画に支障をきたすのでな」
「計画……」
「ふん、まあそんなことはどうでもよい。貴様はここで死ぬのだ」
そう言うと同時に、エドムントは右手に持った大剣を脇に引き込んだ。見るからに刺突の予備動作だが、先に動いたのは反対の左手だった。
エドムントの開かれた手の中央、手のひらに橙色の光が灯る。
光は瞬く間に明るさを増し、一瞬の後に光線となってほとばしる。同時に手のひらが水平に動き、右から左へとオレンジの光線が空気を灼きながら薙ぎ払われる。
「あぶっ!」
慌てて屈んで光線を回避。さっきまでの首の高さを横切っていったことに肝を冷やしていると、
「シィッ!」
鋭い気迫と共に、大剣の切っ先が迫ってきていた。光線を屈んで回避させることで体勢を崩し、その間に肉薄して本命の大剣による刺突を繰り出す。よくできた連携だとか考えている場合じゃない。
またしても右手を盾に大剣を防ぐ。圧力に負けて突き飛ばされるが、そのまま逆らわずに後転。左手と両足で地面を捉え、低い姿勢からエドムントを見上げる。
「……格闘は素人と聞いていたが、それなりに動くようだな」
それは賛辞というよりは、情報の不正確を恨むような言葉だった。
だが、俺にはまともに言葉を聞いている余裕などなかった。
前提として、いつまでも受け身に回っていては集中力が切れたタイミングで確実に俺は死ぬ。
かといって、背を向けて逃げ出すわけにはいかない。今の間に丘の向こうでも動きがあったのか、何やら遠くから戦闘音のようなものが聞こえてくる。これではイェーナたちに助けを求めることはできない。まあそれ以前に少し走ったところで背後から光線に撃ち抜かれて終わりだろうが。
つまり、だ。俺が生き残るにはこの男を自力で倒すか、あるいはイェーナたちが助けに来てくれるまで持ちこたえるか、くらいしかない。
覚悟を決めて拳を握り、下から見上げる形でエドムントを睨みつける。と、視界の端に映る青色に、一瞬だけ意識が奪われた。ベアトリスだ。
――そういえば彼女は何のためにここに? 計画とやらと関係があるのか?
瞬間的に浮かんでくる疑問を、しかし俺は黙って飲み込む。
今考えるべきは、どう戦いどう倒すかだ。
両手で握った大剣を下段に構え、勇ましく大地を蹴ってエドムントが突進してくる。
その動きを目で追いつつ、懐まで潜り込めるルートを探そうとするが――
ドス、と大剣が突き刺さる音がした。
互いの距離はまだ3メートル以上。その状況で大剣が突き刺したのは、地面。
あたかもスコップで土を掘り返すような角度で刺さった大剣は、橙色の光を纏い、切っ先ごと地面をも光らせる。いや光っているのではない、地面が燃えている!
「ぬうん!」
掛け声とともに振り上げられた大剣は、スコップのように土の塊を掘り返し投げ飛ばしてくる。太陽神の力で熱せられ赤々と燃え上がる土の塊は、もはや火の玉と呼ぶにふさわしい。
「そんなのありかよ!」
と、口では喚きつつも案外俺は冷静だった。正直、この程度の炎はもう見慣れた。
燃えている物体が存在するという点では異なるが、それ以外はベアトリスの炎とほぼ同じだろう。つまり、対処法も同じものが使える。
俺は素早く右拳を引き、全身の捻りを意識しながら拳を放つ。
燃え上がった土塊は拳が命中すると同時に崩壊、粉々に分裂しながらエドムントへと叩き返されていく。攻撃として放たれた火の玉を無効化するだけでなく相手の視界を塞ぐ煙幕にしてしまう。成果としては上々だ。
そして、攻防はまだ終わらない。
俺は拳を放ったままの体勢で、無理やり横に跳んだ。その足先をかすめるように、ズンッと刃が通り抜けた。
地面を掘り返して燃えた土を飛ばし、返す刀で直接斬りつける。初めからそういう二段構えの攻撃だったのだ。これに気付けたのも模擬戦含めたこれまでの経験のおかげだ。
改めて拳を握り、俺は剣を振り下ろした格好のエドムントへと突進する。
斬るつもりで思いっきり空振ったからか、大剣の切っ先は橙の光を宿したまま深々と地面に食い込んでいた。流石にこの状況からすぐさま反撃が飛んでくることはない。はずだった。
これまでの攻防から察するにそれなりに本気で殴っても死にはしないだろうと、俺は十分な一撃を繰り出すべく歩幅を調整して走っていた。それが幸運だった。
「死ぬぞ」
少女の、風でも吹けば掻き消されそうなか細い声が、耳に届いた。
全速力ではなかった俺は、声を聞いた瞬間に足を止めることができた。
直後、視界を染め上げたのはまばゆいばかりの橙色。爆音じみた燃焼音が鼓膜を叩き、灼熱の余波が皮膚を焼く。
昨夜の魔狼との戦いで見せたのと完全に同じ技。地面に突き刺した剣を介して、自らを中心に巨大な火柱を燃え上がらせる大火力の一撃。
あと一歩進んでいれば、俺は炎に飲み込まれていた。
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