薄明の光芒
丘の頂上付近に差し掛かった。
高さ自体はなんてことのない丘だったが、気持ち的には崖でも登っているようだった。なぜなら、
「どう考えてもろくでもない事態なんだよなぁ」
ため息まじりに、ついぼやいてしまう。それは完全に独り言のつもりで言ったのだが、俺の予想に反して声が返ってきた。
「お、分かってんじゃねーか」
この聞きなれたしゃがれ声はカジン・ケラトス神のものだ。だが、軽く周囲を見回しても巨大目玉の姿はない。
「あれ、どこにいるんです?」
「姿は消して声だけ残してる感じだな。こっちも音しか聞こえなくなるんだが、分身体を消されるよりゃマシだからな」
「分身体? 消される?」
「部分的神殺しってことだ。んなことより、おめーもそれなりに現状が見えてんだな。ほんの少し安心したぜ」
「いやー、まあなんとなくですけどね」
そう、俺が分かっているのはなんとなくやばそうな雰囲気だっていうことくらいだ。
先ほどの会話から考えるに、ノエは確かに嘘をついていない――いや、ノエの意思で嘘をついているわけではない。誰からの命令かは分からないが、その命令通りにノエは話しているだけだろう。
ではその「誰か」の思惑とは何か。ノエの言葉と態度から察するに、横槍が入らない状況で俺とイェーナたちを引き離すというのが「誰か」の狙いなのだと思う。が、そこまでしてやりたいことというのは正直分からない。
とはいえ、分かることもある。
例えば、「誰か」の狙いはおそらく俺だろうということ。そうじゃなきゃ、俺一人を呼び出すなんてマネはしないはずだ。
そして、これが敵意のある接触だった場合、俺が素直に従わなければまず間違いなくイェーナたち三人を巻き込んでしまう羽目になる。
そんな風に考えると、結局やばそうな雰囲気だろうが俺は一人で向かわなければいけないというわけで。
「……でも、そんなに恨みを買うような覚えはないんだけどなぁ」
「ま、神憑きの宿命ってやつだな」
「えぇ……まじですか……」
要するに、覚悟はしてても気は重い、という話だ。
そうして歩いているうちに俺の足は丘の頂点を越え、丘の向こう側が見えてきた。
できるだけ足音を殺しつつ、視覚と聴覚の両方に神経を使って……と歩いていると、丘のふもとに一つの人影が見えた。
青い髪をたなびかせる、小柄な人影。まさかと思ったが、一歩近づくごとにそれは否定のしようがないほどに鮮明になっていく。
そこにいたのは青髪の少女、炎使いのベアトリスだった。
思い出すのは今日の昼前の一戦。模擬戦という名目ではあったが、ラストのあの瞬間は殺し合いの空気だった。とするならば、今からその続きをするのか……
「いや、それはないか」
思わず口にしてしまって……うん、でもやっぱりそれはない。
また殺し合いを始めようというにはベアトリスに殺気が足りないし、第一、彼女が本気で俺を殺そうというのなら姿を晒す必要がない。そこら辺の草むらに隠れて炎の壁で取り囲んで位置がバレないようにしてから炎を撃ち込みまくるとか、そういう戦法もできるはずだ。
しかし、まだ緊張は解けない。だったらなぜ彼女がここにいるのか。両手を後ろに回したまま何をするでもなく立っているベアトリスは、どこか奇妙に見えた。
疑問を抱えたままの俺の目の前で、ふいっとベアトリスがそっぽを向く。その視線の先を追おうとして、俺は異常に気が付いた。
後ろ手に回されたベアトリスの細い両腕、華奢な二本の腕を、鈍色の金具が噛みつくように拘束していた。手枷だ。
つまりベアトリスは黒幕なんかではなく、むしろ被害者。ということは黒幕は別にいる――
「来たな、神憑き」
声は上から降ってきた。
見上げると、太陽かと見紛うような光が一直線に降りてきていた。最初は雲の向こうの太陽くらいの明るさだったものが、一気に近づいてきて太陽にも引けを取らないくらいの明るさになっていく。同時に初めは点にしか見えなかった物体の形も見えてくる。笹の葉にも似たそのシルエットは……何だろうあれ。
「ふん、この船が珍しいか? これは天を巡る太陽神の船。空を駆けるこの船の速さからも太陽の偉大さが分かろうというものだ」
なるほど、つまりあれはボートみたいなものか。
っていうかこの声は――
「我は、西の砦の長にしてレイケルス王の片腕、『
その言葉通り、目の前まで降りてきた太陽神のボートには、砦の長エドムントが仁王立ちで乗っていた。その肩には船と同じく光り輝く大剣が担がれている。
そして、身を屈めたかと思うと、エドムントは勢いよく船から飛び降りて俺とベアトリスの間に立ちはだかった。直後、光り輝いていた太陽の船とやらは溶けるように消えていった。
ガシッと、エドムントの両手が大剣の柄を握る。
その瞬間、風が吹きつけてきたかのような猛烈な殺気が俺の全身を叩いた。
もはや疑うまでもない。こいつが黒幕だ。
「では、死んでもらおう」
大剣が、大上段から振り下ろされる――。
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