策謀の種火

「さて、これで終わり……なのかな?」

 イェーナとトビアスの手を借りながら立ち上がり、俺は辺りを見回した。

 最大の脅威だった巨大魔狼は、現在ゆっくりと息だけをしている状態だ。あまりに強い衝撃を受けたせいでおそらく気絶しているのだろう。まあ何にせよ、起き上がってこないということは無力化できたと見ていい。

 で、残りはというと、ほんの少し大柄なだけの狼が数頭いるだけだ。群れのリーダーだった巨大魔狼が敗北したことで、彼らにももう戦意は残っていないように見えた。

「万全を期すならばトドメを刺しておくべきですが……」

 イェーナはそれが自分の役目だというように進言したが、その後の沈黙が彼女自身の本心を語っていた。

「……引き揚げますか」

「はい!」「おう」「じゃな」

 三者三様の返事を受け、俺は狼たちに背を向けた。

 砦の長の命令は「討伐せよ」だったが、彼らならば殺さずとも人間に手を出せば痛い目を見るということは学んだだろう。それで今回のような戦いは避けられるはずだ。もし駄目でも、その時にまた対処すればいい。

 俺はそう考えていた。


「少し遅かったみたいですね」

 その時、少し高い少年の声が投げかけられた。

「……どこだ」

 声は確かに前から聞こえてきたのに、姿は見当たらない。

 すると、一面に生えた草の一部が急にガソゴソと蠢いたかと思うと、その中から小柄な少年がひょこっと姿を現した。

「ここですよカジナさま。ノエです」

 小柄で細っこい緑髪の少年。巧みにボーラを操ってみせた、犬のような雰囲気の少年、ノエだ。

 だが今の彼の顔は、なぜか切羽詰まった表情をしていた。


「ノエ、なんでここに?」

 ノエの妙な気配に引きずられてか、場の空気は徐々に不穏なものになろうとしていた。けれど、見た限りではノエには敵意はない。だったらまずは会話だ。

「はい、エドムントさまに命じられましたので! 『気がかりになったので援護に向かえ』だそうです!」

 エドムントの命令、か……。少なくとも、あり得ない話ではない。

 だが、そのためだけにノエひとりを来させるというのは効率的ではないだろう。仮にも人手が足りないと言っていたエドムントの指示ならば、ノエは他の役割も任されているはずだ。

「話はそれだけ?」

「いえ、もう一つ。カジナさまに会いたいという方があの丘の向こうにいます」

 つまりは護衛も兼ねていたというわけか。

 これでノエが自分で嘘をついて俺たちを騙そうとしているという線はかなり薄くなった。そもそもうまく嘘をつけるようなタイプではないのは分かっていたが。

 だとすると、このノエの違和感は何なのだろう。そう考えているうちにノエはこちらへと歩いてくる。

「では、カジナさまはおひとりで丘の向こうまで向かってください。ノエはみなさんと後始末をしますから」

「え、それだったら俺も一緒に後始末してから行った方が――」

「いけません!」

 すぐには何も言い返せなくなるほどの、短くて力強い拒否だった。しかしそれが嘘だったかのように、いつもの調子に戻ってノエは続けた。

「待ってますから、早く行ってあげてください」

 それっきり、ノエは作り物の笑顔を浮かべて黙りこくってしまった。

 事情は分からない。分からないが、それでも俺が行くしかないんだろう。

 そう決心して歩き出した俺の背に、トビアスの声が掛けられた。

「心配すんなよカジナ殿! こっちもさっさと片付けて合流すっからよ!」

 心強い声に拳を突き上げて応えながら、俺は丘の向こうへと歩いて行った。


 ◆


 丘の向こうへと消えていくカジナの背中を見送ってから、俺は腰の双剣を引き抜く。

 ジャリンという剣と鞘の擦れる音が、イェーナとラウレンスとノエの、三人分の視線を集めた。流石にイェーナは何か言いたげだが、ラウレンスはいつも通り平然と、そしてノエも大して驚いていないかのような反応で、それぞれ俺の出方を待っている。

「さて、ノエよ」

 抜いた剣を誰に向けるわけでもなくクルクルと回しながら、視線だけをノエに向ける。剣を回転させるのは俺の手癖でもあるのだが、こうして動かし続けていると静止状態からいきなり斬りかかるのとは違って攻撃の出が察知されにくいという利点がある。つまり、これでも臨戦態勢というわけだ。

 そして、そんなことが分からないほどノエは馬鹿じゃない。自分の言動次第では斬りつけられる状況だというのはきちんと理解できるはずだ。

 その上で俺は聞く。

「確かさっき、後始末がどうとか言ってたが、あれはどういう意味だ? あのでっけえ魔狼にトドメ刺そうって話か?」

 ノエがはいと答えるのであれば、俺は剣を収める気でいた。その程度であれば斬る斬られるの話にすることもない。話し合いで済むことだからだ。

 しかし、俺の勘が正しければノエに下された命令はそんなものじゃないはずだ。

 そして予想通り、ノエは首を横に振った。

「いえ、それだけではないです」

 ノエは切っ先の動きに気を取られることもなく、淡々と言葉を吐いていく。

「後始末というのは、『魔狼の率いる群れを一頭残らず討伐する』ことですよ」

 そう言いながら、ノエは懐から袋を取り出した。

 薄汚れた、ところどころに血のにじんだ、小さな袋を。

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