振り絞れ

 全速力で駆けてくる魔狼に向かって、俺もまた全力で走っていく。

 自分の何倍も大きい魔狼が怖くないわけではない。攻撃どころか、足で踏まれただけで俺は簡単に死ぬ。

 でも、そうと理解しても俺の足は止まらなかった。


 だだっ広い大草原に、今、響く音はない。

 聞こえるのは俺の息遣いと、魔狼の息遣い。加えて地面を蹴る音が一人と一頭分。

 けれど、俺の心は仲間たちの声援を聞いていた。

 みんな、後のことなど心配していないかのように、巨大で強大な魔狼へとまっすぐに立ち向かっていった。それは俺がいるからだ。

 最後には、相手がどんな攻撃を繰り出してこようが、必ずカジナが粉砕する。そう信じているからこそ、彼らは脇目も振らずに飛び込んでいけたのだ。

 だったら、俺のやることはただ一つ。

 仲間が信じた俺を、現実にするだけだ。

 無言の声援に背中を押され、俺はひた走る。



 彼我の距離が10メートルを切った。俺はともかく、走る魔狼にとっては一歩分あるかどうかという距離だ。

 そのタイミングで、魔狼は頭を下げた。俺の目の前に現れた頭頂部には、血のように赤い光が一点、灯っていた。

 攻撃は頭突き。しかも、まだ何かを繰り出してくるつもりだろう。

 だが、何がこようと打ち砕く。

 決意と共に右拳を握り込み、引いて、左足を踏み込みながら、俺は叫んだ。

「一式解放、『ヴィクトリィィ――』」

 同時に魔狼が最後の一歩を踏み、身を投げ出すように全体重を頭へ、頭頂部に生えた数多の刃のうちの一本――真紅の光放つ黒曜の刃へとすべてを集約させていき――

「『――ストライク』ッ!!」

 魔狼の全身全霊を込めた一本の刃の頂点へと、俺は全力の右拳を叩き込んだ。



 感じたのは、異様に重い手ごたえだった。

 直撃した瞬間のあまりの衝撃に目を閉じていたが、そのあからさまな異常に思わず目を開けた俺は、予想だにしなかった光景を目にした。

 固まったかのように拮抗する拳と刃。そして、以前この名を叫んだ時にも現れた灰色の輝きはというと、腕から拳を伝って奔流となって流れ出した直後に、真紅に輝く刃によって切り裂かれていた。

 理屈は分からないが、弾丸や戦闘機の先端のように、刃は灰色の輝きを貫いて、受け流していた。

 灰色の輝きは俺の、つまりカジン・ケラトス神の力を媒介するいわば力の流れる水路のようなもの。これが相手に到達せずに切り裂かれるということは、本来の力の大部分が受け流されているということになる。

 ――そりゃあ、重いわけだ。

 大木か岩塊かと押し合っているような錯覚に陥りながら、俺はなおもまっすぐに拳を押し込んでいく。

 この状況を打開する方法は二つ。相手の攻撃をわずかでも逸らすか、相手よりも強い力で押すか。

 理想的なのは前者だ。何故ならば、今俺の拳と接触しているのはあくまで一本の黒曜石。黒曜石は硬さは結構あるものの割れやすい石で、それ故に鋭利な刃物として扱えるわけだが、力のかけ方次第では割れる可能性がある。そして、この黒曜石の刃さえ折ってしまえば受け流されなくなった灰色の奔流が直撃し、岩石の巨人より軽い魔狼などは楽に吹っ飛ばしてしまえる。つまり、楽に勝てるというわけだ。

 だが、前者は実のところ不可能だ。

 全身の力を振り絞って魔狼の一撃と何とか拮抗している現状で、息を吸う余裕すらないというのに、これ以上別のことに力を割けるはずもない。というよりむしろ、ほんのわずかでも力を抜けば瞬時に均衡が崩れてしまう。

 だから、俺は後者を選ぶしかない。

 ものすごく頑丈な右腕だけを頼りに、ただひらすらに、魔狼の全速力で全体重を乗せた一撃を相殺していく。シンプルにして最も困難な、勝ちの目があるのかも分からない、気の遠くなるような戦いだ。

 それでも、俺は力を抜かない。


 幸い、魔狼の巨体は今この瞬間は地面から離れている。つまり、これは魔狼との押し合い――筋力比べではない。故に、勢いが消失するまで耐えきれば、魔狼はこのまま落下するだけだ。

 魔狼は重くて大きい。けれどもそれは、あくまで有限だ。

 そして何より、

 大地そのものと打ち合った絶望感に比べれば、まだまだ生ぬるい。そう考えると、思わず口の端が吊り上がっていた。

 ――そうだ。この程度、大地の神の猛攻に比べれば何でもない。

 瞬間。

 すうっと拳にかかる重さが軽くなった気がした。ついに俺の腕に限界がきて感覚が麻痺しはじめたのかとも思ったが、そうではない。

 腕から放たれる灰色の輝きが、向こうが透けて見えないほどに密度を増していた。そして、勢いを増した灰色の流れは、切り裂かれながらもほんのわずかに黒曜石の刃を押し返していく。

 突然の出力上昇の理屈は、全くもって分からない。だが、この機を逃す手はない。

「うぉおおおおおおお!」

 知らず雄叫びを上げながら、より一層俺は力を振り絞っていく。その度ごとに、輝きは強さを増し、密度を増し、速度を増して、もはや高圧水流と見まがうほどの光線の束と化して魔狼に激突、押し返していく。

 このまま――いや、もっとだ。出し惜しみなどしている場合じゃない。どんどん力を、出力を上げて……

 一気に、全力で、ぶっ飛ばす!

「おおおあああああああ!!」

 絶叫と共に振り絞った後先考えない全力が、瞬間、右腕を中心に爆発的に灰色の光を現出させ、視界が――世界が塗り潰された。



 気づいた時には、俺の足先が高さ50センチ程度のちょっとした崖になっていた。

 激突の余波が大地を削り、クレーターのようなものを作り出したのだろう。

 その歪んだ形のクレーターの先、数百メートル向こうの地面に、小山のような黒い塊がキラキラと太陽光を反射しながら、鎮座していた。

 疑いを差し挟む余裕もない。俺が、魔狼を、殴り飛ばしたのだ。

 つまり、俺が勝ったのだ。

「やった、ぞ……」

 そうと認識した途端、ふわっと体が浮くような感覚が――いや、これは落ちてる。

 ドサリと音を立てて、俺は背中から倒れ込んだ。全力を振り絞ったせいか、足に力が入らない。

「はは、まいったなこれは……」

 俺はそのまま、仲間たちが駆け寄ってくる足音を聞いていた。

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