この身が灰になろうとも

 拳を振り抜いた格好のカジナと、大剣を構えたままのエドムント。

 カジナの一撃が命中した瞬間とほぼ同じ体勢ながら、二人の間合いは数十歩分もの距離になっていた。当然、拳や大剣が役に立つような間合いではない。

 奇しくもカジナに近い立ち位置となったあたしは、大技を防がれた神憑きの少年の顔を横から眺めていた。顔には焦りや危機感のようなものが浮かんではいたが、何故か驚きの色はあまりないようだった。

「正面からは対処される……どうにか隙を……」

 聞こえてきたのはそんな独り言だった。切り替えが早いのはいいことだが、驚きもしないのは少々不気味だ。

 そんなカジナとは対照的に、向こうから聞こえてきたのは勝ち誇ったような声だった。

「ふん、今のが貴様の全力のようだな、神憑きよ。確かに威力は高いようだが、強いだけの神威の流れなど、我が力、我が剣をもってすれば斬れぬものではない!」

 エドムントは片手で赤髪をかき上げながら、自信満々にカジナを見下す。はたから見れば腹の立つ言動だが、戦場においては相手の心を折るという点で有効だったりもするのだ。

 まあカジナには効かなかったようで「あれ神威っていうのか」などという呟きが聞こえてきたが。

 しかし、まさかエドムントにあんな技があるとは知らなかった。あれさえなければ、今の一撃でカジナの勝ちは決まっただろうに。


 やれやれと首を振って、あたしは気持ちを切り替えようとする。

 本当はカジナに勝ってもらいたい。それはあたしの偽りのない本心だ。

 未だに素性も何も分からない神憑きには違いないが、カジナは一応はイェーナたちを助けたわけだし、模擬戦の時も最後まであたしには手を出さなかった。

 何を企んでいるかは不明だが、多少なりとも交渉の余地はありそうだし、有無を言わさず手枷を嵌めてここまで連れてきたエドムントよりはまだ信頼ができるというものだ。

 そして何より、生半可な炎では傷一つ負わないエドムントよりはまだカジナの方が万一の時に殺せる可能性が高い。だから、二人のどちらかを選ぶのならばあたしは迷いなくカジナを選ぶ。

 ただそれは、カジナがエドムントを倒せるという前提の話だ。

 最大威力であろう一撃を無傷で防がれてしまったとあっては、もはやカジナが勝つ可能性は非常に低い。

 ――炎さえ使えれば加勢してやれるけど……いや、考えるだけ無駄か。

 いくらエドムントが太陽神の加護で炎に強いとはいえ、目くらましとしてなら炎も有効だし、不意を突きたいカジナにとっては目くらましも十分な援護になるはずだ。

 だが、できない。

 あたしに嵌められたこの金属の手枷は、単に両手の自由を奪うだけのものではない。拘束の概念が織り込まれた、力の動きそのものを封じ込める特別な手枷なのだ。

 つまり、この手枷がある以上はあたしの炎は手枷以外に届くことはなく、あたしの炎では手枷を焼き切るほどの熱は生み出せないがために、あたしにできることは何もないのだ。

 だから、あたしは諦めるしかない。



 余計な思いを振り切って、あたしは戦場へ、結末の決まった戦いへと意識を戻す。

 どうやらあたしが物思いにふけっていた時間は長くはなかったようで、状況はまだ動いていない。

 カジナはどうにか次の一手をひねり出そうとしているらしく、まだ動こうとはしていない。対するエドムントも警戒心からかこれまでのようには仕掛けられないようだ。

 そんなにらみ合いの状況で、ふと動いたのはエドムントだった。奴の目がほんの一瞬、しかし確実に、あたしを見た。

 瞬間、全身の肌が粟立った。

 素人臭いカジナの一瞥とはわけが違う。エドムントは、このにらみ合いを打破する材料として、あたしを選んだのだ。

 直後、エドムントの手が掲げられる。手のひらには橙色の光が集結、その矛先は明らかにあたしに向いていた。

 ギリっと、あたしは思わず奥歯を噛んだ。

 あたしの第一祖神はフィルグクー神。気まぐれで太陽から火の欠片を奪い一帯の森を焼き払った伝説を持つが故に炎の神の一柱として数えられるが、炎の神としての格はかなりの下位だ。当然、炎に対する加護も低級なものでしかない。

 故に、あの光はあたしを殺しはしないものの、少なからぬ傷と痛みを与えてくる。それでカジナを動揺させて隙を作ろうという策なのだ。

 あたしはせめて、無様な格好だけは晒さないようにと、全身に力を入れて目を閉じる。皮膚を焼く痛みを繰り返し想像しながら。声が漏れないことを願いながら。

 それから数秒後。

 あたしの体を襲ったのは痛みではなく、衝撃。

 身を焼く焦熱ではなく、人肌の温もりがあたしを包み、押し倒していた。



「彼女は関係ないはずだ!」

 耳に飛び込んできたのは少年の声。それはあの神憑きの少年のものによく似ていて、けれどこんなに感情をあらわにしたあいつの声を、あたしは聞いたことがない。

 少年は、カジナは怒っていた。

 ――というか彼女って、誰だ?

 逃避気味な思考を自覚して、あたしはようやく目を開けた。

 カジナの背中が、そこにあった。

「……なんで」

 他に言葉が浮かばなかった。


 困惑するあたしを一人置いて、状況は動いていく。

「関係ない……? ふ、関係ないのは神憑き、貴様の方だぞ。余計な加勢などせず殺させておけばよかったものを」

 怒りと愉しさを混ぜ合わせたような奇怪な声で、エドムントが答える。だが、あたしも、そしてカジナも奴の言葉を理解しきれていないようだった。

「……何の話だ」

 聞き返すカジナに対し、エドムントはすぐには答えなかった。辺りの様子を伺い、カジナの陰に座り込んだままのあたしを見て、それからエドムントは答えた。

「『サイラス以下5名の討伐隊は、大地の神ゴトス・ユエの神憑きに戦いを挑むも、奮戦空しく全滅』……そういう筋書きだったものを、貴様が邪魔立てをしてぶち壊したのだ」

 ……言葉が出なかった。

「だから、これから貴様が死ぬのはいらぬ加勢などをした貴様自身のせいであり、そして、4人の死に損ないどものせいでもある」

 言い終えると、エドムントは剣を構えて一歩踏み出してきた。

 だが、そんなことはもうどうでもよかった。


 後ろ手に拘束されたままの体で無理やり立ち上がり、あたしはカジナの前に歩み出た。

 口を開きかけたカジナは視線で黙らせて、あたしはエドムントへ言葉を投げた。

「てめえ、今、なんつった?」

「貴様のせいでそこの神憑きが死ぬ。そう言ったが」

 肩をすくめて答えるエドムントに対し、湧き上がる怒りで視界が白く飛びかけるが、なんとか抑えて言葉に変える。

「そこじゃねえ。はじめっからサイラスを死なせるつもりで派遣したって、言ったよな?」

 すると、何のつもりかエドムントは鼻を鳴らし、呆れたとでも言いたげに首を振った。

「貴様も知っていると思うが、我が砦の位置する西方にはあまりに脅威が多すぎる。しかしながら、王にはこの状況が正確に伝えられていないのであろう、増援も撤退も王は認めてくださらぬ。全力で死守せよと繰り返されるばかりだ。そこで我は一計を案じた。、と」

「何を、言っている……?」

「ふん、戦場で敵を焼くしか能のない貴様には分からんだろうな。現状で兵力が十分であると王がお考えならば、その状況で多大な被害が生じたことにすればよいのだ。そうすれば、王はこれまで以上の兵力の補充か、あるいは砦の放棄を選択なさるだろう。王の至らぬところを王の名声を傷つけることなく補完することこそ、配下の務めであろう? そのための犠牲は、つまるところ王のための犠牲だ」

 そう、だからこそ自らに罪はないと、この男は言うのだ。

 全ては王のためだと。自らサイラスを死の運命に送り出しながら、殺したという自覚も持たないままに。

「それがてめえの答えか」

 唇からこぼれる言葉が炎となって燃え盛る様を幻視しながら、あたしは神に祈る。

 この枷を燃やし尽くし、サイラスの仇を焼き殺す力をよこせと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る