狼煙
俺は耳を疑った。老風使いのラウレンスが、主力として暴れる、だと。
「あのー、今なんて?」
「ああ、カジナ殿にはまだ見せておらなんだか。まあ、本番でのお楽しみというところですな」
そう言うなり、ラウレンスはフードの下の目をキラリと光らせた。どうも冗談の類いではないらしい。
しかし、風を操ってサポートしている様子しか頭にないせいか、どういう風に主力としてラウレンスが立ち回るのかが全然想像できない。
と思っていたのだが、
「おう、乗り気じゃねえかジジイ! こいつは楽させてもらえそうだぜ」
「ついに梟雄ラウレンスの戦いが見られるのですね!」
「やめやめ、そんなに持ち上げるでない。つうか、イェーナはなんでそんな昔のこと知っとるんじゃ。40年は前じゃぞその話」
「知り合いの弓職人の方からいろいろと教えていただいたのです」
「あー、奴か……まあ奴とはやらかしたからの、いろいろと」
どうやら、トビアスやイェーナはその戦いっぷりを知っているらしい。知っていて止めないということは、ラウレンスは魔狼が相手でも戦力として十分だと、少なくともこの二人は考えているということだ。
そしてもう一人、いやもう一柱。
「なに、おめーがあのラウレンスだってのか!」
「カジン・ケラトス様まで! 知ってるんですか?」
「知ってるも何もおめー……いや、まあ今説明するのも野暮ってもんだろーよ。話は見てからだな」
そう言って灰色目玉は瞼でにやりと笑った。
……なんだこの置いてけぼり感は。
それからさらに進み、さっき目標にした小高い丘の頂上付近までたどり着いた時だった。
「コココ! ココココ!」
俺の手の上に乗っていた粘土製使い魔が、何かを知らせるように鳴きだした。見ると、短い腕ですぐそばの地面を指している。
「なんだ、降りたいのか?」
地面に手を近づけると、ポンと飛び降りて自分が指していた方へとトテトテ走っていく。その先には……使い魔と同じ色をした粘土の塊が落ちて、否、置かれていた。
使い魔は一目散に駆け寄っていき、抱き着くように両手で粘土の塊に触れた。と思ったら、高温にさらされた氷のように瞬く間に輪郭が溶けていき、見る見るうちに使い魔と粘土の塊が一体化していった。
そして後に残ったのは、球状の粘土の塊がひとつきり。
……率直に言うと、何が起こったのかよく分からない。
「えーっと、今のは一体……?」
「元々一つの塊として生み出したのを二つに分けて使い魔とすることで、もう一方を繋がりを辿って探し出せるようにするという仕組みなんじゃ。……とまあそれは置いておいて、敵はもうすぐそこですぞ」
そうだった。
この使い魔が指し示していた場所がここだということは、魔狼の居所もこのすぐ近くということになる。
「……見えました。あの木の根元あたり、例の全身黒曜石の巨大な魔狼が一頭と、通常の狼が5頭ほど。おそらく群れだと思われます」
真剣そのものなイェーナの声色で、俺の意識も臨戦態勢にスイッチしていく。
「まだ警戒態勢というほどでもないですが、人間が近くにいるということには気付いているようですね。このまま近付いていけば確実に戦闘になりますが……よろしいですね?」
覚悟を問うかのようなイェーナの言葉に、何のためらいもなくトビアスとラウレンスが頷き、少し遅れて俺も頷く。
右手を握り、力を入れる。これまでとは違う、自分の側から仕掛ける戦いだ。不安がないと言えば嘘になるが、しかし俺には戦いに向かう理由がある。
昨夜の襲撃で砦の壁が破壊されており、今同じ規模の襲撃を受ければ西の砦自体が危ういのだ。そんな状況であの魔狼を野放しにしては、俺たちの身の安全が脅かされるというもの。だからこそ、今ここで魔狼は排除しなければいけない。
そんな風に言い聞かせて、俺はもう一度頷いた。
トビアスは双剣を抜き、イェーナは矢をつがえ、俺は右手をなんとなく構える。
そんな俺たちを先導して歩くのは、両手に握りこぶし大の石を一個ずつ握ったラウレンス。何やらいつもより足取りが軽いのは自信の表れなのだろうか。
そして灰色目玉のカジン・ケラトスは、少し距離を取りながら俺たちの後ろに付いてくる。干渉する気はないが戦いそのものは見届ける、だそうだ。
ザッと戦闘を行くラウレンスが足を止めた。現れたのは、馬ほどの大きさがある二頭の狼。
彼我の距離はおよそ5メートル。二頭の大型の狼は、その距離を保ったまま二手に分かれて、左右から挟み込むようにゆっくりと位置取りを変えていく。
この二頭が見た目通りの身体能力を有しているとすれば、5メートルなどはひと飛びだろう。俺の常識では絶体絶命と言っていい状況だ。
だが、ローブにフードを纏った風使いの老人は、やれやれと笑って首を振った。
「お前さん方には用はないんじゃがのぉ」
そう言って、ラウレンスは器用に二つの小石を蹴り上げた。
サイズは5センチ程度、どこにでも転がっていそうなただの小石が二つ。
その二個の小石の周りに、極細の緑の輪が一瞬だけ光り――
――ぐにゃり、と小石がその周囲の光景ごと強烈に歪んだ。
違う、歪んだのは光だ。光を歪めるほどに圧縮された高密度の空気が小石を取り囲み、
バシュウ、と空気が噴き出る音と共に、二個の小石が射出された。
間髪入れずに鈍い音が二つ、ほぼ同時に鳴り響く。どうやら二つの小石はどちらも狙い通りに命中していたようで、今にも飛び掛かろうとしていた狼二頭が悲鳴を上げて飛び退っていく。
「さあて、分かったかのぅ。――本命を呼んできなァ」
どすの効いた低い声が、攻撃を食らって及び腰になっていた二頭の狼を威圧する。だが、狼の方もそう簡単に引き下がるわけにはいかないようで、距離を取りながらも背を向けようとはしなかった。
「んー、なまったかのぅ。昔ならこれで逃げてったはずなんじゃが……」
困ったようにラウレンスがぼやいた、と思ったのも一瞬。またしても空中に光の輪が現れ、バシュウと射出音を撃ち鳴らす。今度は空撃ちだったのだが、音だけで先ほどの一撃を思い出したのか、狼二頭は怯んだように一目散に走り去っていった。
彼らの行き先は、黒曜に身を包んだ巨躯。
象より巨大な魔狼、戦神の力を借りた大魔獣が、巨大なその眼で俺たちを睨みつける。
そして俺たちを敵と認めたのか、鼻先を天に向け、全身を震わせて、
ヴォオオオオオオオ――!!
地面が揺れたと錯覚するほどの、渾身の遠吠えを響かせた。
これが開戦の合図、魔狼狩りの幕開けであった。
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