四人の円卓

 時刻は正午。イェーナたちの言葉で言うと、四の時の頭。

 太陽は最も高く、降り注ぐ日差しで肌も地面も焦げそうな、そんな状況。

 しかし、天幕の下は活気ある喧噪で満ちていた。


 ワイワイガヤガヤと賑やかな空気に、時折響く怒号や掛け声。

 細長い天幕の下には円卓や長机が並び、それを囲むように思い思いの場所に座る人々。

 そして喧噪の中にじんわりと漂ってくるのは、焼けたパンの香ばしさや煮立ったスープに溶け込んだ野菜の匂い。……肉や果物もあるという話だったんだけど、その匂いは届いてこないみたいだ。

 ここは砦内部の北側よりに位置する、屋外の調理場と食事スペース。要するに食堂みたいなものだ。

 その中の一つの円卓を囲んで、俺たち四人は座っていた。


「しっかしなー、四人で魔狼退治かぁー。よりにもよってこんな貧乏くじ引くとはなぁー」

 斜め上の方をどことはなしに見つめつつ、トビアスが愚痴る。

「ええ」

「まあ場所が分かっとるだけマシとも言えるがの。あやつなら探すところから任務だとか言いかねん」

「はい」

「とはいえ、昨日ので大体敵さんの特徴なんかは掴めたし、なんとかなるとは思うが……めんどくせえなぁ」

「そうですね」

 トビアスとラウレンスが愚痴っぽく会話しているのにイェーナが相槌を入れているという状態なのだが……イェーナの生返事っぷりがすごい。

 流石にちょっと気になったので声をかけてみたのだが、

「イェーナさん?」

「ええ…………はい!? な、なんでしょう」

 生返事の後に、ものすごいびっくりされた。やっぱり心ここにあらずといった感じだったようだ。

「いや、なんかぼーっとしてるなと思って……大丈夫ですか?」

「いえ、その、すみません……」

「やっぱりまだ気になるか?」

「ああ、いえ、その」

 何が、という部分を省略したトビアスの問いに、イェーナは曖昧に反応した。何の話なんだろう。

 そんな俺の考えが顔に出ていたのか、ラウレンスが付け加えるように言う。

「イェーナは元々下の身分の出なんじゃ」

「はあ」

 そうなんだ、と思いはしたが、それが今の話にどうつながるのか良く分からない。

 すると、続きを引き継いだトビアスが調理場の方を指さした。

「ここには二種類の人間がいる。座って飯を食う俺らと、あっちで料理を作ったり運んだりしてる奴らだ。俺たちはいつもこっち側で、入れ替わることはない。つまり、あっちの奴らは料理だとか荷物運びとか、そういう役割で、俺たちは戦う役割、と。そういうわけだ」

 ……あ、なるほど。これ身分の説明か。

 どうやら俺は身分とかそういう概念自体知らないと思われていたのかもしれない。まあ、灰色目玉もといカジン・ケラトスが「ついさっき生まれたようなもの」だとか言っていたからそう思われるのも無理はないんだが。

 だが、今の言葉で分かったこともある。料理の用意が下の身分の者の仕事であるなら、元々そっち側にいたイェーナにとっては少々思うところもあるだろうということだ。つまり、

「前は料理を作ったりする側だったから居心地が悪い、みたいな?」

「お、理解が早いなカジナ殿。そういうことだぜ」

「ま、昔はそんなことはなかったんじゃがな。そもそも身分が変わること自体がめったになかったからの」

「というと?」

「先王の時代までは身分と言ったら代々引き継がれていくものじゃったんじゃ。それを今のレイケルス王が戦士・役人・神官から次々に身分を取り上げていってな。そんで人が足りんようになって下の身分からどんどん上の身分に上げられる者も出てきて……ってな話じゃ」

「ほへー」

 ぶっちゃけて言うと、なんだか大変そうだなという印象しかない。他に気になる点があるとすれば神憑きが身分的にはどの辺に位置するのか、くらいだ。

 と、そんな俺を置き去りにしてトビアスとラウレンスの身分談義は続いていく。

「けどな、身分取り上げられたのはちゃんと責務を果たしてないとかで、ふさわしくないって判断された奴ららしいじゃねえか」

「そうは言うがの、身分を引き継げるってことは知識や技術が蓄積できるという意味じゃぞ? 当代がポンコツでも、そういうこれまでの積み重ねごと無にするのはどうかと思うがね」

「んなこと言っても――」

「あの、えっと、違うのです……」

 申し訳なさそうに割り込んできたのはイェーナだった。

「あー、違うっていうと?」

「ベアトリスの姿が見えないのが、少し気になってしまって」

 そう言われて、俺たちはそろって周りを見回した。確かに見た限りではベアトリスの姿はなさそうだった。

「……確かにいねえな」

「まだ具合が悪いんかのぉ」

「俺さっきベアトリスと模擬戦してましたけど、結構元気そうに見えましたよ」

 そう何気なく俺は情報を伝えたつもりだったが、

あいつベアトリスと模擬戦!?」

「あー、その服はそういう……」

 トビアスにはひどく驚かれ、ラウレンスには同情するかのような目で見られた。

「その件もあって探していたんですが……何かあったんでしょうか」

「時間ずらして来る気かもしんねえな。つうか、その模擬戦の話をもう少し詳しく――」

「お待たせしました! お食事お持ちしました!」

 と、トビアスの出鼻を挫くタイミングで、料理がやってきた。

 カゴに山のように盛られた焼きたてのパンと、素焼きの器に注がれたスープ。そしてもう一つ器が――乳で肉や野菜を煮たものらしいので、シチューみたいなものだろう。どれも素朴ながらおいしそうな匂いだ。

 食事自体は昨日の夜も食べたはずだが、残り物だったし疲れていたしで実はあまり記憶にない。そういう意味ではこれが初めての食事らしい食事だ。

「まあ、話は食べながらってことで」

 腹の音を抑えながらそう言うと、俺たちはそろって昼食に手を付けた。


 ◆


 時刻は四の時の頭。

 個室の中では最大級の大きさを誇る部屋――砦の長の私室にあたしは呼び出されていた。

 この部屋の出入り口は一つ。通気口くらいならばいくつかあるが、いくらあたしが小さくて細いと言っても通り抜けられるような大きさではない。

 そして肝心の出入り口はというと、

「炎使いベアトリス、お前に話がある」

 唯一の逃げ道を潰すかのように、この部屋の主、エドムントが立ち塞がっていた。


 このエドムントという男は、大人の男の中でもやや大柄な部類に入る。身長はあたしより頭二つ分ほども高く、体格も身長にふさわしいほどの筋骨隆々だ。重さにすれば、おそらくあたしの倍はある。

 その気になれば力ずくでねじ伏せることさえ容易な体格差だ。

 ごくり、と思わず喉が鳴る。

 加えて、頼みの綱の炎はこいつにはほぼ効かない。太陽神の中でも砂漠の日差しのような熱と暑さを司る『焦熱の炎天』の加護を受けているのだ、生半可な炎では火傷どころか熱さすら感じないだろう。

 つまり今この状況では、殴られようが何をされようが、あたしには抵抗する手段すらない。

 火のような赤さの髪と猛獣のような牙が特徴的なその男の顔を、あたしは下から見上げる。その目は、その口は、さも愉快そうに歪んでいる。

 分かっているのだ。今この瞬間、あたしの全てが自分の支配下にあることを。

「ハッ、こんなところに押し込めて、一体何の用だって?」

 今あたしに許された自由は、無駄口を叩くことと、自分を焼き尽くして死ぬことくらいだ。

 当然、あたしには従う以外の選択肢はない。

「命令だ。お前にはこれから、我と同行してもらう」

 自らの不運を嘆きながら、ついにあたしは反抗心そのものを心の奥底に追いやった。

 下手にあがくよりも諦めた方が傷つかずに済むこともある。今がその時だと、自らに言い聞かせながら。

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