熾火

 3回か4回くらいバウンドして、そこからさらに5秒だか10秒だか転がって、ガコッと硬いものに腰をぶつけて。そうしてようやく俺は止まった。

 ボールのごとく跳ねたり転がったりしたせいで全身は痛いし、やたらめったら回転したせいで三半規管ぐりぐりで気分はげろげろだし、ばかすか炎をまき散らされたせいかなんか焦げ臭いし。率直に言って最悪である。

 まあ、この状況に幸運があるとすれば、さっきので満足したのか追撃の炎が飛んでこないことか。

 このまま終わりってことにしてくんないかなーと、俺が大の字で寝っ転がっていると、

「これは一体、何事ですか!」

 聞き慣れた少女の声が飛んできた。


「なんでもないって、模擬戦だよ模擬戦」

 めんどくさそうに答えるのはベアトリスの声だろう。

「もっ……模擬戦でここまでするものがありますか! 相手は無事なんでしょうねえ!?」

「心配なら見てきたらいいじゃん。そこに寝っ転がってるから」

 そんなやり取りが聞こえたかと思うと、一陣の風がやってきた。

「だいじょ……カジナ様!?」

 綺麗な黒い瞳が零れ落ちてしまいそうなほどに目を見開いたイェーナが、口元に手を当てて立ちすくんでいた。

「あー、うん。大丈夫。模擬戦ですし」

 片手を持ち上げて答えてみせたが、心配の色は少しも消えなかった。と思うと、イェーナは屈み込んで俺の袖や裾をまくって、さするように怪我がないかを確かめだした。

 ……心配されているのは分かるんだけど、くすぐったい上にかなり気恥ずかしい。仕方ないんだけども。

 そして気が済むまで触りまくって、ようやくイェーナは少し安堵したような表情を見せた。

「お怪我はないみたいですね。ですが、お召し物が……」

 そう言われて俺も体を起こして見てみると、確かにところどころ焼け焦げていたり穴が開いたりしている。

 着替えなんか持ってないし、どうするかな。っていうか、俺はどんな服を着ていたんだろうか。

 ちょっと気になったし訊いてみよう、と口を開きかけたところで、飛んできた声が邪魔をした。

「この程度で神憑きがくたばるわけないだろ。用も済んだしあたしは行くぜ」

 まるでもう興味はないと言わんばかりの無表情で、ベアトリスは気だるげに歩き去っていく。暑苦しそうに青髪を跳ね上げ、そうして露わになった左の頬は、なんだか……。

「待ちなさい、ベアトリス」

 一言、イェーナが言い放つ。凛としたよく通る声が、この場の雰囲気から熱を奪う。

「カジナ様に危害を加えるようなことがあれば、例えあなたでも許さないと……言ったはずですが」

 瞬間、空気に亀裂が入ったかのような、強烈な緊張が走った。

 臨界点を超えれば、その瞬間には戦いが、否、殺し合いが始まってしまいそうな、そんな空気。

 だというのに、そんな緊迫感など感じていないかのような軽さで、ベアトリスは肩をすくめてみせた。

「やれやれ、だから模擬戦だって言ってんだろー? 多少服は焦げたかもしんないけど、怪我らしい怪我をさせた覚えはねえよ。……つうか、あたしはまだ万全じゃないんだぜ? 寝首を掻くならともかく、正面からやり合って神憑きを殺せると勘違いするほど思い上がっちゃいねえよ」

 軽い調子で、しかし堂々と、イェーナの言葉にベアトリスは答えていく。

 見た目はイェーナよりも2、3歳幼く見える彼女だが、言葉や立ち居振る舞いからはそんな様子は欠片も見えない。

 そして言いたいだけ言うと、ベアトリスは踵を軸にくるりと半回転。

 こちらに背を向けて――そのまま歩いて行ってしまった。


「あ、ちょっと待ちなさい! こら!」

 イェーナの呼びかけも空しく足早にベアトリスは立ち去り、その背中をイェーナは怒り半分困惑半分といった表情で見送っていた。

 改めてこちらに向き直ったイェーナは、眉をひそめながら俺に尋ねた。

「本当に、ただの模擬戦だったんでしょうか……」

 ……どうだろう。最後の瞬間は本気で仕留めに来ていたような気もしたのに、それにしてはやけにあっさりと手を引いた印象だ。

 答えが出ないまま俺が黙っていると、切り替えるように笑顔を浮かべてイェーナは俺の手を取った。

「立てますか?」

「ええ、大丈夫です。……ところで、イェーナさんは見張りに回ってたんじゃ?」

 俺がそう言うと、彼女の笑顔は苦笑に変わった。

「あの、急で申し訳ないのですが、実は私たちに召集がかかりまして」

 召集、というと集まれっていう命令なわけで、この砦でそんな指示を出すとすれば。

「砦の長、かぁ。もしかして俺も?」

「はい、そうなのです」

 今のベアトリスの一件に続いて今度は砦の長エドムントと、ってのがあまりいい予感じゃないんだが、まあ仕方ないか。


 ◆


 横一列に並んだ俺たち四人の前に、輝く大剣を担いで砦の長エドムントは姿を現した。

「ようやく集まったか……なんだ、その格好は」

 なんだ、と言った彼の視線の先にいるのは、俺だ。

 そりゃまあ焼け焦げてところどころ穴まで開いている服を着ていたら気にもなるか。

「いやー、ちょっと模擬戦をしてまして」

「フン、まあよい。早速だが本題に入る」

 いいんだ、と心の中で突っ込みつつ、エドムントの告げる本題とやらを待つ。

 どっかと玉座のような立派な椅子に腰を下ろし、権威を示す錫杖の如く大剣を床に突き、肉食獣を思わせる犬歯を覗かせながら、砦の長は言った。

「昨夜の魔狼の住処を掴んだ。方角は北東、詳細な位置は調査隊に聞け。そこにいるであろう魔狼一族の討伐を、お前たちに命じる。出発時刻は――」

「お待ちください。討伐隊はということでしょうか?」

 割って入ったのはイェーナだった。確かに今の言いようだとそういうことなのだろうが。

 脳裏に蘇るのは体高10メートル超の体格に、松明の光を受けてぎらつく全身の刃と巨大な牙。もしあれが複数いるとなると、この砦の最大戦力たるエドムントを借りられたとしてもそう簡単には片付くまい。

 それを四人でやれというのはちょっとというか、かなり――

「そうだ。調査隊から一体、案内用の使い魔を出させるが、戦闘に関してはお前たち四人の役割だ」

「そうは言いましてもねぇ」

 トビアスが嫌そうな顔をしながら食い下がる。

「あんな魔狼が複数いるってんなら、俺たち四人には少々荷が勝ちすぎてんじゃないかと思われますがね?」

 そう続けたトビアスの言葉は、俺からすればかなり真っ当なものに聞こえた。

「せめて、一人二人――」

「ならぬ」

 だが、エドムントは頑として譲らなかった。

「我々が現在抱えている問題は、この魔狼の件だけではない。霊魂を引き連れた正体不明の神憑きの件もある。邪神に与した不届きな村の件もある。そこに加えて砦の防備もある。一見すればまだ人手に余裕があるように見えるかもしれんが、その余裕まで切り詰めれば万一に対応できん」

「ちっ、分かりましたよ」

 確かに、エドムントの理屈は間違ってはいない。理論上可能な限界までフルに使っていると、ふとした拍子に壊滅的にぶっ壊れる。よくある話だ。

 だが、それなら討伐隊を余裕を持たせた編成にしないのは筋が通っていない。はっきり言って矛盾だ。

 その点を指摘しようかと口を開きかけた、瞬間。

「神憑きよ、よもや出来ぬと言うのではないだろうな?」

 猛獣の眼差しが真正面から突き刺さる。冷徹で、残酷で、ほんのわずかな弱みも見逃さない、そんな目だ。

「あの程度、騎士サイラスならば問題なく片付ける。ならば、お前にもできるだろう」

 サイラス。イェーナたち討伐隊を率いるリーダーであり、エドムントに匹敵する戦士であり、そして仲間を逃がすために単身で岩石の巨人に立ち向かい、命を落とした男。……タイミング的にどうしようもなかったとはいえ、俺が救えなかった人でもある。

 サイラスは岩石の巨人に敗れ、その岩石を巨人を俺は倒した。だから俺はサイラスより強い、と考えるのは、まあおかしな話ではない。

 というかむしろ、

「――勝って実力を証明せよ、と?」

「フン、そのようなことはどうでもよい」

 エドムントは俺から視線を外し、鼻を鳴らした。

 ……やはりこの男の考えは読めない。

「改めて、我々の使命をお前らに伝える。この砦は我らが国、ひいては我ら人間に仇なす敵――魔獣や邪神、邪神の手先に矢を放つための弓であり、それら敵から人間を守るための盾である。

 益あるものを讃え、害あるものを討つ。これこそが、我らが王への忠誠となると心得よ」

 砦の長エドムントの口から語られたのは、人類を守るなんていう崇高な理念だった。

 しかし、どうしてだか、俺にはそれがひどく虚ろなものに聞こえた。

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