蒼炎が問う・下

 飛んだり噴き出したりしてくる蒼炎を避けながら拾った小石を、蒼炎の壁で遮られている間に拳で上空に撃ち出し、それが地面に着弾すると同時に炎を拳の勢いで掻き消して突破する。

 考え抜いて、というわけでもないが、とっさに思い付いた作戦としては上々だろう。結果としてこうして炎の壁も突破できたのだから。

 だが、まだまだ間合いは遠い。そしてこれはただの勘だが、次のチャンスはないだろう。

 だから、ここからは足を止めずに一気に距離を詰めるしかない。

 そう決意を固めて走る俺の目の前に、それは現れた。


「いい気になるなよ? こっからが本番だからなぁ!」

 大悪党みたいな口ぶりで少女が出現させたのは、地面から湧き出る獣の口を模した炎と、その両脇から放たれる火の玉だ。

 直径30センチ程度の火の玉はともかく、幅1メートル超の炎の大顎は近くにいるだけで体の前面がジリジリ炙られている気がする。加えて眩しさも結構なもので、視界全体が青色に染まっていてほとんど何も見えない状態だ。しかし、そんな状況下でも足を止めないまま、俺は考えを巡らせる。

 正面の炎の大顎は、突破を手間取らせるための盾であり、他を目立たなくさせるための目くらましだ。この大顎を避けて左右に回り込んだり、足を止めて大顎を消し飛ばそうとすれば、両脇からの火の玉が襲い掛かってくるだろう。そして、これらに気を取られている隙に真下――地面に張り巡らされた光の網からの炎で不意を突くというのもまた十分にあり得る話だ。

 こうして考えてみるとどうも隙のない布陣に思えてくるが、俺にも打つ手がないわけじゃない。


 あの石造りの建物の中で初めて右拳をぶっ放した時、ズパンだかバシンだか音が鳴ったのを俺は覚えている。

 次は石の箱に閉じ込められた中で踏みつけてきた巨人の脚を殴り飛ばした時。あの時、巨人の片足が粉々になって吹き飛んでいったにも関わらず、俺に向かって破片だの瓦礫だのが飛んできた覚えはない。

 最後は魔狼の刃だらけの脇腹を殴りつけた時。あの時は、まるで隕石がクレーターを作るかのように拳の何倍もの範囲で刃がへし折れ砕けていた。

 これらから考えるに、俺が全力で右拳を振りぬくとそれだけで何か――風圧か衝撃波かあるいはそれ以外の何かが、拳の周りに広がっていくのだと推測できる。

 そして、さっきの炎の壁に向かって拳を放った結果、それは確信に変わった。俺の拳にはなんかそういう機能、あるいは能力が付いているのだと。


 俺は走る速度を少し緩めて、前傾していた上体を起こした。

 揺らいでいる上に光を放っている炎は距離感が掴みにくいが、しかし炎に拳を当てるわけではないので狙いは少々雑でも問題はない。

 歩幅を調整し、右拳を振りかぶる。左足を大きく踏み込み、右足で大地を蹴る。

 肩の高さで構えた拳に、全身の勢いと体重、そして脚から胴体を通り右肩へと全ての力を集約し――拳を放つ。


 ドウッと風が唸る。

 振り抜いた拳は、蒼炎の大顎のど真ん中に突き刺さった。

 そして、拳本体からわずか一瞬遅れて、見えない砲弾が貫いたかのように炎の大顎がバラバラにちぎれ、蒼い火の粉となって飛び散っていく。

 俺の拳は見事炎の大顎を粉砕し、ついでに火の玉二つも掻き消していたようだった。

 しかし、刹那に渦巻く暴風と火の粉の向こうで、炎使いの少女は青いサイドテールをなびかせながら、笑っていた。


 少女の両足に光が宿ったかと思うと、すぐさま地面に描かれた格子へと流れ込んでいく。

 その青白い光の行きつく先は……俺の足元。考える間もなく俺は前に飛び、ワンテンポ遅れて炎が噴き上がった。

 飛び込んだ先で両手両足を使って着地、すぐさま二発目が来ると思って慌てて体勢を立て直そうとした、のだが。

 視界に入ってきたのは、華奢で白い足。

 見上げると、目と鼻の先にベアトリスがいた。

 そして、同じく白くて細い両手には、すでに轟々と燃え盛る炎が握られていた。


 ――手を開いた瞬間、炎が炸裂する。

 一目見た瞬間に、俺は本能的に察知した。もはや一秒の猶予すらない。

 俺は反射的に右拳を振りかぶっていた。

 たった一日とはいえ、何度か死線をくぐり抜けた俺の直感がそうさせていた。それほどの極限状態だった。

 これはもう、模擬戦じゃない。少なくともベアトリスは本気――殺す気だ。

 でも、俺はどうすればいい?

 握った右拳をベアトリスに向かって打てば、いかな腕だけのパンチだとしても、少女の華奢な体は無事では済まないだろう。

 だって、この右拳は何よりも頑丈なうえに、打ち出した瞬間の手応えをほとんど感じたことがないのだ。それはすなわち、本来あるはずの手応えすら跳ね返してしまうということ。つまり、助走がなかろうが、全身の力を使ってなかろうが、この右拳で殴るというだけで、もう普通の人間に対しては十分に脅威なのだと。

 それをこの華奢な、しかもまだ回復しきっていないだろう少女の体に打ち込めば、それだけで片が付くだろう。

 ……でも、そんなことはできない。

 イェーナに昨夜みたいな顔をさせるわけには、しかも俺が原因でそうさせるなんて、そんなのは死んでもごめんだ。

 だったら、どうするか。この間にもベアトリスの指は開き始めている。俺に許された時間は、それこそ右拳を打ち出すだけの時間くらいしかない。

 そこでふと、俺は思い出した。

 こんなのための技が俺にはあるのだと。


 ◆


 神憑きは見るからに焦っていた。

 攻撃のために距離を詰めていたはずが、いつの間にか追い詰められていたのだから、焦らない方がおかしいのだが。

 そして、ここに来てようやく、神憑きはあたしが生み出した炎ではなく、あたしそのものに向かって拳を振りかぶった。その事実に、あたしはうっかり笑みをこぼしそうになった。


 イェーナは、このカジナという神憑きが命がけで自分たちを助けてくれたのだと語っていた。だから信じているのだと。

 だが、そんな話があるものか。

 人間のために力を振るう神々――善神であれば話は分かる。だが、善神のほとんど全ては人間に広く名が知られている。その中に、カジン・ケラトスという名はない。

 であれば、邪神の類いが名を偽り、人間に取り入って利用するために気まぐれな人助けをしてみせたと考える方が妥当だ。

 そして、そんな神の力を借りた神憑きならば、いざとなれば人間などいくらでも見捨てるし、邪魔になると見れば人間の一人や二人など何のためらいもなく消すだろう。

 そんな神憑きの性根を暴くには、徹底的に追い込むのが手っ取り早い。


 この状況、カジナの側から打破する手段は一つ。あたしを殺すくらいの一撃を叩き込んで止めるしかない。そして、そんな選択ができるのはまず間違いなく邪神の手の者だ。

 無論、「追い詰められたから」「他にどうしようもなかった」なんて言い訳はできる。だけど、そんなことをすればイェーナだって目が覚めるだろう。ああ、そうだ。イェーナさえ正気に戻ってくれればそれでいいんだ。

 あたしは急かすように、握り込んだ炎に余計に力を注ぎ込む。

 ――さあ、打て。打って自らの正体をさらけ出せ。あたしの腹をぶち抜いて、その血で自らの罪を証明しろ!

 その言葉が届いたかのように、神憑きはついに迷いを振り切ったようだった。

 グッと拳を握り込み、揺れていた瞳に光が宿る。

 そして、いたずらっぽく口が歪み――何かがおかしい。これではまるで――

 あたしの考えが言葉になるより早く、神憑きの拳は繰り出された。

 轟音と共に地面は揺れ、吹き荒れた暴風が炎と土煙をない交ぜにし、そして肝心の神憑きはというと――蹴り飛ばされた小石のごとく、すさまじい勢いで吹き飛んでいった。

 あたしは、呆然と立ち尽くすしかなかった。

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