対面

 ドゴオオンと、気持ちよくなるほどの衝撃と共に、巨人の脚が吹き飛んだ。あの脚一本がどれだけの重さかはまるで見当が付かないが、どう見たって100キロ、いや1トン以上はあるはずだ。

 そして、そんなものを殴り飛ばした俺の拳はと言うと、傷一つ受けた感覚もない。

「おー、初めてにしちゃなかなかやるじゃねーか」

 そんな俺へと巨大目玉の神が称賛を送る。

 ただし一言付け加えて。

「でも、後先考えろよ?」


(後先考えろ? 何かまずいことでもあるのか)

 背後からの声を聞きながら、俺は周囲を確かめる。老人と若者の満身創痍な二人組と、失神したままの少女と、そのそばに立つ弓と矢筒を背負った少女。

 神であるところのカジン・ケラトス曰く、ここにはかみきは一人しかいないはずで、今俺が殴り飛ばした岩の巨人がその神憑きのはずだ。だったら、もう脅威はないはずで……

 そこで、ふと気が付いた。俺の足元から前方にかけて大きな影が広がっていることに。

 影ってことは上? と反射的に見上げて、俺は間の抜けた声を上げた。

「へ?」

 そこには、横倒しになった巨人が浮いていた。


 浮いている? 違う。あれはそんな軽い手ごたえじゃなかった。つまり、走馬灯現象的なものでゆっくり見えているだけで――

 ――あれはこのまま落ちてくる。

「危ない!」

 直後、悲鳴のような叫び声と共に俺は真横へと突き飛ばされた。



 気が付くと、俺は温かいものの下敷きになっていた。

 岩石ほどは硬くないし、膨らんだりへこんだりするので、多分生き物なんだろう。

 あと、なんだかいい匂いが――

「あの、大丈夫ですか!?」

 すぐそばから聞こえる緊迫した様子の少女の声。俺の下半身から胸にかけて密着している温かい何かはその声に合わせて振動する。

 つまり、そういうことだ。俺は少女に全身密着した状態で押し倒されている。


「あ、えっと、ありが――」

 と答えかけた俺の口に大量の土砂が降り注ぐ。少し遅れて、にわか雨のようなザアッという音。どうやらあの巨体が墜落したせいでこれまでの比ではない量の砂埃が巻き起こったようだった。

 ペッと土やら砂利やらを吐き出し、土砂の雨が止んだのを確かめてから、気を取り直して答える。

「ありがとうござ――」

「ああああああああああああああああ!! 許さない許さない許さない! 絶対に許さないんだからぁ!!」

 そして今度は大地を揺らすほどの絶叫が俺の声を遮った。

 そうだった。今は呑気に会話などしている場合ではなかった。



 砂埃が晴れていく。

 弾かれたように素早く跳ね起きた少女の手を借りながら、俺は立ち上がる。

 そして岩石の巨人もまた、怨嗟の声を撒きながらゆっくりと巨体を起こしていた。

「一体誰なのよ……私の邪魔をした上にこんな目に合わせるなんて、百回殺しても許さないんだからぁ……!」

 声質は幼さの残る女の子の声なのに、言葉に込められた怨念は悪寒が走るほどに強烈で濃厚。そのアンバランスさが得体の知れない恐ろしさを倍増させる。

「これが、神憑き……」

 思わず零れた言葉に、いつの間にか真横に来ていた灰色目玉――カジン・ケラトスが応える。

「ああそうだ。こいつらが神憑き、おめーらの敵だ。……さてカジナ、準備はいいか?」

「準備?」

 一体何の? と俺が聞くより早く、巨大目玉がくるりと回りながら浮かび上がる。

 そして、くわっと目を見開くなり、向こうの神憑きにも劣らないほどの大声を上げた。

「俺の名は『カジン・ケラトス』、霊長の頂点にして、世界の秩序と均衡を司る裁定神の一柱だ! 大地の神よ、あんまり無茶が過ぎるんで直々に横槍入れさせてもらうぜ! そして!」

 チラリと灰色目玉が横目で見てきた。

 ……え? 「そして!」って何? 俺は何を期待されているんだ?

(名乗りを上げんだよ! 分かんだろ? そういう文化とかあったろ!?)

 目玉の神が小声で耳打ちしてくるが……準備というのがそういう意図だとは思わなかった。

 ともあれ、黙っているわけにはいかない。巨人も声を止めて待ってくれているような気もするし。

「あー…………カジナ! だ!」

(『だ!』じゃねーよ。もうちょっと何かあんだろーがよぉ……)

 俺にしか聞こえない声量でそうぼやく神は、何だかものすごく落ち込んでいるようで、その神に召喚された身としては申し訳なさでいっぱいだった。とはいえ俺だって弁解はしたい。

(申し訳ないですけど、俺の世界じゃ名乗りを上げる文化とか廃れてるっぽいです……)

(まじかよぉ。誤算だなぁ……)

 そう言うと、しおらしくなっていた灰色目玉は虚勢を張るかのごとく瞼をかっぴらいて、俺の代わりに声を張り上げた。

「このカジナこそ、俺が力を分け与えた真性の神憑き、てめーら秩序を乱す者の天敵だ!」


 荒野に響き渡った目玉の神のしゃがれ声を聞き終えると、応えるように岩石の巨人が声を上げた。しかしその声はそれまでの幼い女の子の声ではなかった。

「ふん、まさか貴様ごときが我に楯突くか。……まあよかろう、我が名を聞かせてやる」

 それは地の底から響くような重々しく威厳にあふれた地鳴りのような声。加えてその態度は神であるはずのカジン・ケラトスさえも下に見る尊大さ。

 その時点で俺は直感的に理解していた。この声の主もまた神なのだと。

「我は全ての礎を築きし大地の神が一柱、愚かなる人間どもに鉄槌を下す者、『ゴトス・ユエ』なり。カジン・ケラトスとその力を借りし人間よ、次に我が前に姿を晒しし時が貴様らの最期だ」

 大地の神ゴトス・ユエがそう告げると、岩石の巨人は地面にうずくまるように崩れ落ち、その体を荒野に生えた巨大な一本の腕とその手の中に握られた岩の球体へと変形させた。

「では、しばしの余生をくれてやる」

 岩石の巨腕は全体を淡い白色に光らせながら大きく振りかぶり、空を切る轟音と共に手の中の岩石球を投げ放った。

 大空目掛けて飛んで行った岩石球は瞬く間に点になって消え、残された腕は纏っていた光を失って間もなく崩壊した。そこに残ったのは、うず高く積み上げられた岩石の山だけだった。

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