岩石の巨人
地面が揺れる。爆風にも似た強烈な空気の壁が全身を叩き、土煙が荒れ狂い、そして吹き飛ばされた小石が全身を叩く。
せめて背中のベアトリスを庇おうと思ったが、どこから小石が叩き付けられているのかすら、分からなかった。
気が付けば小石の嵐は収まっていて慌てて目を開けるが、土煙がもうもうと立ち込めていて何も見えなかった。
そんな、何もできない私の上に、声は降り注いだ。
「あっはっはっはっは! 私から逃げられるとでも思ったぁ?」
十歳前後と思しき、まだ幼い少女の哄笑。幼さゆえの残酷さと、全能感から来る高揚に彩られた狂気の声。
それは一生忘れないと心に刻んだ声。けれど、今は聞こえてはならない声。
「ざぁんねぇえええええん!! ぜぇええええったいに逃がさないからぁ!!」
薄れゆく土煙の向こう、少しずつ見えてくるその輪郭は、私にとっての絶望だった。
◆
浮遊する巨大目玉――カジン・ケラトスに言われるがまま石造りの社を飛び出した俺は、目に突き刺さるような強烈な日光を堪えながら、無理矢理に目を見開いた。
俺の立つ斜面の下、灰褐色な荒野の只中から、あからさまに不自然な土煙が上がっていた。
何より、規模がおかしい。まるで砲撃か爆発かによって引き起こされたような土煙は、正直なところその大きさが分からないくらいに巨大だった。
「あれが、その、原因ってやつ!?」
「ああ、そうだ。あん中に神憑きが一人いやがる」
俺の質問に、真横に浮かぶ目玉が答える。その目は土煙の向こうを見透かそうとでもするかのように細められていた。
と見つめていると、目玉がグリッと回ってこちらに視線を向けた。
「そういやおめー、さっき試し打ちしたいだとか言ってたな?」
「え、あ、はい。そうですが……」
「だったらあいつで試し打ちするこったな! さあ走れぃ!」
それって試し打ちじゃなくて本番じゃん……と心中で呟きつつ、喚きたてるしゃがれ声に従って俺は斜面を駆け下りた。
◆
土煙が収まり、視界が開けていく。現れたのは巨大な岩の集合体だった。
高さはイェーナの三倍をゆうに超え、重量となるともはや見当も付かない。
そんな岩石の塊は、二本の脚に二本の腕を備えた、岩石の巨人とでも呼ぶべき姿をしていた。
「さあさあ、ミナゴロシだよぉ!」
そして、胴体中央に不自然に空いた二つの小さな穴から、強烈な視線が迸る。その刺すような鋭さに、思わずイェーナは射すくめられる。
少女の声をした岩石の巨人はそんなイェーナを気にも留めず、巨腕で足元の人間を指差しで数えていく。
「いち、にぃ、さん……あれぇ? すばしっこいお兄さんは一足先に逃げちゃったのかなぁ?」
直後、巨人の背後に影が躍った。
「この豹爪のトビアスを、舐めるんじゃねえ!」
火花が散り、甲高い金属音が炸裂する。そこで慌てて隣を見たイェーナは、背負われていたはずの老人が一人で立っているのを見た。つまり、トビアスは土煙が晴れる前に彼を下ろし、岩石の巨人の背後に回り込んでいたことになる。
「あは! もう後ろにいたんだね、ほんとにすばしっこいんだから。でも残念、そんな攻撃、痛くもかゆくもないんだぁ!」
甲高い声で喚きながら、振り向きざまに岩の巨腕が振るわれる。この攻撃をすんでのところで躱し、トビアスは巨人の足元をすり抜けようとした。その動きを読んだかのように続けて巨人は蹴りを繰り出すが、トビアスはこれも躱して再び背後を取った。
「へっ、こっちだってそんな攻撃、当たりゃしねえよ!」
だが、それさえも巨人の読み通りだった。
「あはは! ざんねぇん!」
けたたましい笑い声と同調するように、振り上げられた足の踵が白く光を放った。足はそのまま地面に振り下ろされ、荒野の地面を踏み砕く。
轟音、火花、鮮血。
白い光に力を与えられた砂礫が、宙を飛びながら槍を形作り、横殴りの雨のようにトビアスに襲い掛かる。トビアスも双剣で槍の雨を弾き逸らしていくが、防ぎきれなかった槍が右の肩口と左の頬を掠めるように刺し貫いていった。
槍の雨は一瞬にして止み、すぐに土煙も消えていった。だが、今度はその中にトビアスがいた。
肩で息をし、頬の血を拭う。その姿はこの戦いに勝ち目がないことを予感させる。だが、その目はまだ闘志に燃えていた。
「おい、ジジイ! そろそろ援護頼むぜ!」
そして、さっきまでトビアスに負われていた老人も、足を大股に開き、両手を前に突き出して構えを取っていた。
「やれやれまったく、仕方ないから付き合ってやるわい! 老梟ラウレンス、推して参る!」
戦闘態勢に入った二人に、岩石の巨人も狂ったように笑い声を撒き散らして応える。
「あっひゃっひゃっひゃ! いいよいいよ、さっきの騎士みたいに殺してあげるからさぁ!」
巨人が両の拳を振り上げる。そこには先程と同じ白い光が灯され、徐々に強さを増していく。
その様子を真正面に見据えながら、トビアスは声を張り上げる。
「おい、イェーナ!」
「は、はい! 私も援護を――」
名前を呼ばれたイェーナは慌てて背中の少女を下ろそうとした。
だが、続く言葉は予想もしないほど優しい口調で語られた。
「あんたは逃げてくれ。俺達やサイラスのためにもな」
「なっ……」
「そうじゃな。こいつの危険性を砦に伝える役が必要じゃからのう」
「そ、そんなのトビアスさんの方が走るの速いじゃないですか!」
「あんたの弓じゃこいつは止められねえだろ? だから俺達二人で――」
そこで言葉は途切れた。その瞬間に巨人の拳が振り下ろされたからだ。
三度目の土煙が上がり、砂礫が乱れ舞う。
地面が裂け、尖塔のような岩が何本も何本も天を突くように立ち上る。
土煙が収まった時には、二人の男は血まみれで立っていた。
「あははははは! おじいさんもお兄さんもしぶといねぇ! でもそろそろ終わりかなぁ?」
どう見ても立つのがやっとという二人へと、岩石の巨人は笑い声を上げながら歩み寄ってくる。
その光景を目の前にして、イェーナは身動き一つ取れなくなっていた。
逃げなくちゃ、逃げてこのことを砦のみんなに伝えなきゃ。そうしないと二人の、いや三人の犠牲が無駄になってしまう。私も死んでしまう。なのに、なのに……。
ただ立ち尽くすイェーナの前で、岩石の巨腕が振り上げられる。二人の戦意は消えてはいないが、体力的に次が無いのはイェーナにも分かった。
逃げなきゃ。足が。早く。体が。ベアトリスも連れて。動かない。無駄にしちゃだめ。どうやって。急がないと。力が入らない。こんなことしてる場合じゃ。動けない。早く。駄目だ。手遅れに。無理だ。もう。何も。終わりだ。死んで。しまう。
頭の中は騒がしくて、それでも不思議と周りの音はよく聞こえた。
吹き抜ける風、岩の軋む音、狂ったような笑い声、荒い息遣い、
大地を蹴る音、息を吸う音、雄叫び、雄叫び、雄叫び。
雄叫びは、イェーナを追い越していった。
拳を固く握り、武器も何も持たない少年が、見知らぬ少年が、巨人の足元へと。見上げるほど巨大な岩の塊に向かって、雄叫びを上げながら走っていく。
「うおおおおおおおああああ!!」
握りしめた右拳を肩まで振りかぶり、左足を大きく踏み込んで、少年は渾身の一撃を繰り出した。
少年の一撃は、重い衝撃音を生み――
あっけなく巨人の脚を殴り飛ばした。
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