第2話 響詩郎と雷奈(前編・下の巻)

 鬼留おにどめ神社での一件を終えてから数日後、響詩郎きょうしろうのもとに仕事の依頼の電話が舞い込んできた。


「罪を償いたいんだ」


 そう言う男の声を電話口で聞いた響詩郎きょうしろうは、その言葉を頭から疑ってかかるようなことはしなかった。

 もちろん無条件で信じるわけではないが、実はこうした話は時折持ちかけられることがある。

 罪を犯し、それをひた隠しにして逃げるように生きていく者の中には、そうした日陰の生活に嫌気が差し、自ら罪を清算したいと考える者もいる。

 あるいは人生の転機となるような出来事があり、新たなる一歩を踏み出すために「綺麗な体」になりたいと考える者もいるのだ。

 響詩郎きょうしろうが男の話を電話で詳しく聞くと、どうやら男は後者のようであった。


「強盗を数件やった。もちろん殺しなんてやってねえし、被害者にひどいケガを負わせたこともねえ。あんたにこんなこと言っても無意味だろうが、断じてうそじゃねえ。誓って言う」


 必死な様子でそう訴える男の話によれば、どうやら交際している女が身ごもったらしく、その女と生まれてくる子供を守るために、いつ逮捕の手が伸びてくるか分からない怯えた生活から脱却したいのだと言う。

 割とよく聞く理由だと響詩郎きょうしろうは思った。


神凪かんなぎ響詩郎きょうしろう。あんただったら俺の罪を正確に洗い出してくれるだろう?」

「ああ。まあな」


 警察へ直接自首せず、響詩郎きょうしろうのような罪科換金士に相談してくるのは、取り調べや裁判で不利な状況に追い込まれるのを避けたいという思惑からだろう。

 妖魔による犯罪はその悪印象から重い刑を科せられがちだからだ。

 法的に認められている罪科換金士ならば客観的事実のみを洗い出してくれる。

 だからこうした案件は時々舞い込んでくる。

 今まで幾度も同じような件を処理したことのある響詩郎きょうしろうが話を頭から疑ってかからないのは、そうした背景もあってのことだった。


「んじゃ、とりあえず面会しようか」


 そう言うと響詩郎きょうしろうは待ち合わせの場所と時刻を相手と決めて電話を切った。

 そしていつも通り、護身用の護符やら一式を携えて出かけだのだった。

 その道すがら、彼は思い返していた。

 先日の鬼留神社での一件を。


「桃先生のアイデアには驚いたけど、悪くないかもしれないな」


 鬼ヶ崎雷奈らいなと漆黒の大鬼・悪路王あくろおうとの代償契約に代償として選ばれたのは魔界通貨の妖貨だった。

 そして香桃シャンタオはさらなる提案を口にした。


響詩郎きょうしろう。あんたが雷奈らいなのために妖貨を稼いでやりな。その代わり雷奈らいな響詩郎きょうしろうを守ってやること。どうだい? なかなかいいギブアンドテイクだと思わないかい?」


 香桃シャンタオのその話を聞いた直後こそ驚きはしたが、考えるほどにそれは適材適所の優れたアイデアだと響詩郎きょうしろうは思うようになっていった。

 自身の憑物つきものである勘定丸かんじょうまるを使って罪科換金で妖貨を稼ぐことの出来る響詩郎きょうしろうは、悪路王あくろおうを使役するために妖貨を必要とする雷奈らいなにとって最適のパートナーとなり得る。

 同じ様に、戦闘能力を持たず自分の身を守る手段に乏しい響詩郎きょうしろうにとっても、腕っぷしの強い雷奈らいなはボディーガード役として適任だった。


 要するに2人は互いの足りない部分を補い合うことが出来るのだ。

 この提案に対する返答は数日のうちに行う予定だったが、響詩郎きょうしろうの心はすでに決まっていた。


「あとは相手が飲むかどうかだな。その前に残ってる仕事を片付けとかないと」


 そうこうしているうちに響詩郎きょうしろうは先ほど連絡してきた妖魔との待ち合わせ場所とした廃工場に到着した。

 そこは近日中に取り壊しが決定している古びた工場だった。

 その玄関前で響詩郎きょうしろうを待っていたのは1人の冴えない中年男だった。

 強盗犯ということもあってガラの悪い面構えを予想していたのだが、そこに立つ男はおよそ人に危害を加えるようなやからには見えない。

 念の為にこの場所におもむくことは仲介人である香桃シャンタオに伝えておいたのだが、危険を伴う事態にはなりそうになかった。


「お待たせ。罪科換金士の神凪かんなぎ響詩郎きょうしろうだ」

「あ、ああ。待ってたぜ」


 響詩郎きょうしろうと男は互いに身分を明かし合う。

 昼の間ということもあって男は人の姿をしているが、日が暮れると齧歯類げっしるいの妖魔に変化するとのことだった。

 最初の印象が意外だったこともあるが、響詩郎きょうしろうにはどうにも目の前の男が強盗をはたらく姿が想像しにくかった。

 とは言え、仏の顔で鬼の所業を働くやからもいるので、警戒だけは怠らないようにした。


 男のほうは事前に響詩郎きょうしろうのことを香桃シャンタオから聞いていたようで、若い響詩郎きょうしろうを見ても不審がる様子はなかった。

 ただ男はどこかソワソワしている様子で、響詩郎きょうしろうは内心で眉を潜めた。


(落ち着かない様子だな。単に気が小さい男なのか……?)


 男はこれから響詩郎きょうしろうの罪科換金によって己の罪状を警察のホストコンピューターに登録され、その後に響詩郎きょうしろうに付き添われて警察に出頭する予定である。

 今さら警察の手を恐れてビクビクする必要はない。


「じゃあさっそく頼む」


 そう言う男にうなづき、響詩郎きょうしろうはいつものように指で印を組んで異形の憑物つきもの勘定丸かんじょうまるを呼び出した。

 灰色の仮面を被った黒衣の勘定丸かんじょうまるが現れて、男の額に刻印を施す。

 響詩郎きょうしろうはすぐさまケータイを取り出した。

 その顔に緊張の色がにじむ。


 スキャナー機能で刻印を読み取る数秒間、相手にはおとなしくしていてもらう必要がある。

 もし相手に暴れられたら、無防備な状態の響詩郎きょうしろうの身に危険が及ぶためだ。

 響詩郎きょうしろうの業務の中でも細心の注意が必要な作業だった。

 毎度、響詩郎きょうしろうが緊張する場面だったが、男は神妙な顔でじっと立ったまま動かなかった。


「よし。終わったぜ」


 つつがなく刻印の読み取りが終わり、男がホッとした表情を浮かべる中、響詩郎きょうしろうはケータイの画面に目を走らせた。

 男が電話で話していた通り、そこには数件の強盗犯罪の内容が記されていた。

 確かに金品を奪うのみで被害者は縄で縛り上げる以上の危害を加えていなかった様子が窺える。

 だが響詩郎きょうしろうはそこに表示されている換金額を見てわずかに眉根を寄せた。


(ん? この金額……)

 

 響詩郎きょうしろうはふと気になったことを尋ねてみた。


「あんた……もしかして事件後、被害者に弁済か何かしてるか?」


 強盗犯が被害者に弁済。

 すなわち強盗の被害額の全額もしくは一部の額を金で弁償する。

 もしまったく的外れなことを聞いていたとしたら、それは随分と奇妙な問いだったろう。

 しかし響詩郎きょうしろうのその言葉を聞いた男はあまりにも驚いて、両目を見開きくちびるを震わせた。

 その様子を見た響詩郎きょうしろうは自分が感じていた違和感の正体に気付いて得心した。


「なるほど。あんたとしては強盗は不本意にやったことなんだな」


 罪科換金士として2年あまりの業務経験を持つ響詩郎きょうしろうは、これまでに幾度も行ってきたこの罪科換金の作業において、罪状と件数を聞けばある程度の換金額を割り出せるようになっていた。

 勘定丸かんじょうまるの答えを待たずとも、経験則によって「このくらいの罪ならばこのくらいの金額」というある程度の相場をつかむことが出来るのだ。

 そうした彼の感覚からすると男の犯した強盗数件という罪の重さに対して勘定丸かんじょうまるの算出した換金額が低すぎるのだ。

 男は拳を握り締めながら伏し目がちに言った。


「……ここに来る前、今までコツコツ貯めてた金を被害者宛てに現金書留で送った。俺の身元を包み隠さず。もちろん俺が奪った金に比べたら全然足りない額だ。罪滅ぼしなんかじゃない。ただの自己満足だ」


 罪滅ぼしではないと男は言ったが、多少であっても被害者への弁済行為は法的に情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地を生み出す。

 それが勘定丸かんじょうまるの換金額にも影響を及ぼしていたのだった。


「なるほど。ま、どんな理由があるにせよ、あんたが強盗犯だって事実は揺るぎないからな。けどまあ、警察に行く前によければ事情を聞こうか」

  

 響詩郎きょうしろうがそう言うと男は自分が抱えてきた懺悔ざんげの気持ちを訥々とつとつと語った。

 旧友の妖魔が国外逃亡するのに必要な資金集めのため、強盗を数件手伝った。

 当時、男は魔界からこちらに移り住んだばかりであり、その時は軽い気持ちで犯罪行為に手を染めたのだが、その後人間社会で暮らすうちに人の情というものに触れるようになった。

 すると男の胸には自分が犯した強盗犯罪に対する悔恨の念が生じるようになったという。

 被害者への申し訳ない気持ちが男の胸の中に収まりきらなくなったのは、彼が伴侶を得て身を固める決意をした時だった。

 男はいてもたってもいられず、妻から紹介されたチョウ香桃シャンタオを頼ることにした。

 そして罪を償うことに決めたのだ。

 その話の最後に男は言った。


「こんな決断をしたのは、結局はただ自分が重い荷物を下ろして楽になりたかっただけだ。こんなことしても俺が罪を犯した事実は消えない。だが、けじめはつけなきゃならないんだ」


 覚悟を決めたように男はそう言った。

 自分の心情を吐露とろするうちに落ち着いてきたようで、男から先ほどまでのようなソワソワとした態度は消えていた。

 響詩郎きょうしろうは男が話し終えるのを待って静かに言葉を返した。


「なるほど。事情は分かったよ。ま、俺なんかから言ってやれることは特にないが、達者でやりな」


 響詩郎きょうしろうがそう言うと男は「恩に着る」と言って静かに頭を下げた。

 その直後だった。


「おっと待ちな。それで一件落着ってわけにはいかねえな」


 ふいに背後から声をかけられ、響詩郎きょうしろうは思わず嫌そうな表情を浮かべた。

 声の主に心当たりがあるためだ。

 妖魔の男も同様のようで、途端に怯えた顔を見せる。

 響詩郎きょうしろうは覚悟を決めて背後を振り返った。

 果たしてそこには数日前に響詩郎きょうしろうと仕事をし、報酬の不当な減額を要求した挙げ句に響詩郎きょうしろうをさんざん殴りつけた大柄な僧侶が傲然ごうぜんたる顔で立っていた。


「見つけたぞ。クソ妖魔。テメーには聞きたいことがあるんだ。警察に行くなら俺が連れて行ってやるよ」


 そう言うと僧侶は武骨な拳をボキボキと鳴らしながら、その顔におよそ僧籍にある者とは思えないような邪悪な笑みを浮かべるのだった。


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*本編はこちら

『オニカノ・スプラッシュアウト!』

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882154222

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