第4話 神凪 響詩郎の事情(後編・下の巻)
「がっ!」
狼男の爪が
だが、響き渡ったのは
すると
「うっ……」
すると
「あ、あれは……」
物心ついたときからずっと身近に見てきた美しい金色の毛を。
「桃先生!」
狼男の腕に巻き付いた毛は頭上から
その場にいた数十人の妖魔ら全員が
するとそこには金色に輝く髪と三又に分かれた長い尾を持つ美しい女が、重力をまるで無視して天井に足を着けて立っていた。
「ちょ、
妖魔の一人が驚きの声を上げた。
そう。
彼女こそが東京一帯を仕切る妖魔の頭目にして
「うちの坊主をかわいがってくれたのかい? 薄汚いゴミどもが」
そう言う
狼男の腕に巻き付いている毛は
すると狼男の腕が急激に上方に引っ張られ、そのショックでバキリと音をたててへし折れた。
「うっぎゃああああ!」
狼男は悲鳴を上げて必死に腕から毛を引きはがそうとしたが、ついには
すると
「ぐげっ!」
狼男は全身を石壁に強打し、口から
一瞬にしてその場がシーンと静まり返る。
妖魔たちは仲間があっさりとやられたのを見て、
その隙を見た
「あ……も、桃先生。ぼ、僕……」
途端にその白い札は彼の腕に巻きついて包帯となり、止血の役割を果たした。
そして
「う、うぐっ……桃先生」
「ここに入ってな」
そう言うと
「桃先生!」
「私が合図するまで絶対に出てきちゃダメだ。今度は私の言いつけを守れるね」
自分から家を飛び出してきたというのに、今は一時でも彼女から離れたくないと思ってしまう
そんな彼を見て目を細めると、
途端に暗闇が訪れ、ほんの小さな扉の隙間からわずかに光が漏れ出るばかりの静寂の世界で、
それはまるで親鳥の帰りを巣の中でじっと待つ
(桃先生……)
だが、静寂はすぐに打ち破られた。
ロッカーの外の世界に喧騒と怒号、そして悲鳴が渦巻いた。
それは果たして10分間のことだったのか、それとも1時間のことだったのか
自分ではどうすることも出来ない出来事が、扉一枚隔てた向こう側で繰り広げられている。
そのことがただ怖くてたまらなかったのだ。
恐ろしくて震えながらその場にうずくまっていると、やがて外から
「
その声を聞いて恐る恐る扉を開けた
彼女の満面の笑みというのを見たことはなかったが、うっすらと目を細めるその笑い方が
彼女はロッカーの前に座り込んでいる。
だが、その肩越しに見える光景に
そこには地獄絵図と呼んでも大げさではないほどの、
倒れて動かなくなった多くの妖魔の死体が転がり、床や壁や天井まで鮮血がこびりついている。
「ひっ!」
悲鳴を上げそうになる
「そっちは見なくていい。私のことだけ見てな」
そんな彼に彼女は穏やかな口調で語りかけた。
「さて。
そう言われると
「……ご、ごめんなさい。ぼ、僕……」
「言わなくていいよ。理由は分かってる。しかし馬鹿だね。おまえの両親がいるのは魔界だよ。どんなにほっつき歩いても簡単には行けない場所なんだ」
「はい……」
「それより分かってるね? 言いつけを破った子には罰が与えられるんだよ」
そう言うと
「あうっ!」
彼が悪さをすると
だが、
そんな彼の小さな肩を
「寂しい思いをさせたね。すまなかった」
「も、桃先生……?」
戸惑う
「私は間違っていたようだ。もう遠慮するのはやめるよ」
「え?」
「今日からあんたが15歳になるまでの間、私はあんたの母親になるよ」
そんな彼の頭を
「だからあんたも私に遠慮なんかしなくていい。あんたは私の息子だよ」
そう言うと
柔らかな温もりに包まれて
だが、同時に彼は気付いてしまった。
「も、桃先生? 桃先生! ケガしてるの?」
三又の尾のうちの一本がちぎれていたのだ。
出血を止めるための護符がすでに巻かれていたが、
自分を守るために妖魔たちとの戦いで
「そ、そんな。桃先生のしっぽが……僕のせいで」
そして彼女は今まで
「そりゃ違うよ。元々あいつらは私の抗争相手だった」
「こうそう……あいて?」
「そうだな。分かりやすく言うと元々私とは敵なんだ。
「ツイてた? 何で? ケガしちゃったのに!」
涙声でそう言う
負傷していることを
「ああ。確かにしっぽ一本失った。だが、もし仮にあんたを人質にとられていたら、しっぽ一本じゃ済まなかったろうさ。そうなる前に間に合って良かったんだ」
「で、でも……」
「命があるだけマシさ。この結果はラッキーだった。あんたが気に病むことじゃない」
そう言うと
それ以上、彼に言葉を重ねさせないように、自分の胸に彼の小さな頭を包み込むようにして。
「うぅ……うぅぅ。桃先生。ごめんなさい」
「もういいさ。反省は十分にしたろう」
だが、そこで彼女はふいに手を止めた。
(……何だ?)
瞬きをする間に突如として
それは黒衣を羽織り、珍妙な灰色の仮面を被った異形の化け物だった。
何か危害を加えられるかと思い、
だが、その異形の化け物が
それだけではなく傷口が
そして戦いによって消耗していた
さすがに欠損した尾が元に戻ることはなかったが、それでも重傷だった彼女の体はみるみるうちに
(これは……
彼の体には何かが宿っていて、そのために幼いながらも膨大な量の霊力を身の内に秘めているということを。
(命の危機的な状況に置かれて、
香桃はそうした自分の予想が恐らく正しいということを直感していた。
彼女の体が緊張に硬くなっていたのを感じて、
「桃先生。どうしたの?」
そんな彼の顔を静かに見据え、
そしてしばらくの間はこのことを本人には黙っておくことを心に決めたのだった。
「……いや、何でもないよ。それよりさっきの話を忘れないように。今日から私もあんたの母親だよ。あんたには母親が二人いることになるね」
そう言う
「ぼ、僕。桃先生のことお母さんって呼ぶの?」
「それだと魔界の母親と同じで紛らわしいだろう? 今まで通りじゃダメかい?」
その笑顔に
「うん。僕も桃先生のほうがいい」
「そうかい」
そう言うと
二人は手を繋ぐと惨劇の地となった地下街を後にするのだった。
「うちに帰ろう」
そう言う
そこには彼がずっと求めていた母の顔があったからだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そして少々うんざりとした顔で頭を振る。
これまで幾度も繰り返し見た夢をまた見たのだ。
「古い夢だな。俺はいつまでこの夢を見るんだ」
そう言うと
今日はこれから
あの時、
これによって彼女は第一線で妖魔と戦う力を失ってしまい、以来前線には立たなくなったのだ。
だが彼女はそこから発想の転換をし、自分が前線に立たなくても済むように妖力や知略謀略を使って自分の勢力を拡大していった。
結果としてそっちのほうが自分の性に合っていたと
自分が罪悪感を感じなくていいようにとの彼女の配慮であることも
だが、皮肉なことにそれから
それでも
「さて。仕事するか。俺にはそれしかねえからな」
身支度を整えてそう言うと、彼は家を出た。
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*本編はこちら
『オニカノ・スプラッシュアウト!』
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