第1部 第二幕 神凪 響詩郎

第1話 神凪 響詩郎の事情(前編・上の巻)

 真夜中の工業地帯。

 人気のない廃材置き場で人知れず行われていた争いに決着がついた。

 その場所には三名の人物が居合わせたが、一人は地面に横たわっていた。

 立っている二人のうちの一人は体格のいい男で、その装束から彼が僧侶であることを窺わせる。

 その大柄な僧侶の目の前に倒れているのは、体は人間だが頭部と手足が牛という奇妙な姿をした人物だった。


「フンッ! 妖魔ふぜいがコソコソと盗人の真似事とは片腹痛い。まったくふざけた話だ」


 およそ僧籍にあるとは思えない粗暴な口ぶりで僧侶はそう吐き捨てると、つい今しがた自分が打ち倒した牛の姿をしたその男の頭を爪先で小突いた。

 妖魔。

 人ならざる存在。

 そう呼ばれた牛男は僧侶によってずいぶんと叩きのめされたようで、ほとんど虫の息で横たわっていた。

 僧侶はつまらなさそうに背後を振り返る。


「おい。出番だぞ。勘定かんじょう屋」

「はいよ」


 そう言って僧侶の後方から現れたのは、まだ10代後半と思しき若い男だった。

 彼は横たわる牛男の姿を見ると少々憐れむような光をその目に宿してその近くにしゃがみ込んだ。


「お気の毒さま。悪さしなけりゃこんな目に遭わずに済んだのに。馬鹿やったもんだな」


 そう言う若者の名は神凪かんなぎ響詩郎きょうしろう

 罪科換金士ざいかかんきんしという肩書きを持つ彼は、倒れている牛男の体の上で宙に何やら文字を書くかのように奇怪な動きで指をおどらせた。


勘定丸かんじょうまる。罪の清算をしてくれ」


 響詩郎きょうしろうがそう言うと、彼をその背後から見下ろすような格好で影なき影が宙に浮かび上がる。

 黒い衣をまとい灰色の仮面をかぶった不気味なそれは、まるで死神のようにおぞましく、それでいて裁判官のようにおごそかであり、現れた途端にその場の空気が重くよどむように感じられた。

 

なんじの罪を清算せよ。刻印」


 響詩郎きょうしろうがそう言うと、勘定丸かんじょうまると呼ばれた不気味なその存在は何事かをつぶやく。

 ブツブツと聞こえるその言葉はおよそ人間の言語とはかけ離れた奇怪な響きを伴っていた。

 すぐに倒れている牛男の胸に奇妙な模様もようが現れる。

 それは四角い枠の内側に記されたバーコードのような模様もようだった。


 響詩郎きょうしろうはポケットからタブレット端末を取り出して、牛男の胸のバーコードを読み込む。

 すると端末の画面には次々と文字が浮かび上がった。

 響詩郎きょうしろうは淡々とその文字を読み上げる。


「窃盗6件、強盗2件。しめて5000イービル」


 イービルとは人間社会と表裏一体で存在する魔界の通貨である妖貨ようかを表わす単位である。

 響詩郎きょうしろう勘定丸かんじょうまるを使役して妖魔に刻印をほどこし、その妖魔が過去に犯した刑事犯罪の記録、通称『閻魔帳えんまちょう』を暴き出す。

 それによって判明した妖魔の犯罪歴は客観的事実および確たる証拠としてみなされ、響詩郎きょうしろうのタブレットから警視庁のホストコンピューターへと転送されるのだ。

 そうすることで警察の取り調べおよび法廷での裁判を簡略化でき、その対価として妖貨を受け取ることか出来る。


 罪の重さを金に換算しているように見えることが、罪科換金士ざいかかんきんしという名称の由来だった。

 罪科換金した妖貨は今回の依頼者である僧侶の専用口座に振り込まれ、その見返りとして響詩郎きょうしろうは所定の依頼料を日本円で受け取る。

 これが罪科換金士としての彼の仕事内容だった。

 響詩郎きょうしろうはこのようにして妖魔退治の現場におもむき、妖魔の罪を金に換えるのだ。


 響詩郎きょうしろうの言葉を聞いた僧侶は予想外の低い値段に落胆して不満の声を上げた。


「はぁ? そんなもんなのかよ」

「ま、罪科を考えれば適正な換金額だと思うけど?」


 あくまでも冷静にそう言う響詩郎きょうしろうに僧侶は怒りをぶつける。


「チッ! とんだ小物つかまされちまったぜ」

「俺に言われても困るよ。とりあえずこれで契約完了だ。所定の金額を振り込んでもらうぜ」


 そう言うと響詩郎きょうしろうは手にしたタブレットを僧侶に差し出した。

 その画面上には響詩郎きょうしろうから僧侶への請求金額が表示されている。

 事前に契約書を取り交わして決めた依頼料だった。


「チッ!」


 僧侶はタブレットを受け取ると、面倒くさそうにタッチペンで画面にサインして親指の指紋を押し当てた。

 僧侶の尊大な態度に苛立いらだちを覚える響詩郎きょうしろうだったが、これを我慢して僧侶からタブレットを受け取る。


(金さえもらえればどうでも……ん?)


 響詩郎きょうしろうは画面を見た途端、顔色を変えた。

 タブレット画面に表示されている金額が僧侶によって本来より低く書き換えられていたのだ。

 これを受けて響詩郎きょうしろうは僧侶をにらみつけた。


「ちょっと待ちな。代金の額が契約書の内容に足りてないんだが、これは俺の見間違いか?」


 怒気をはらんだ声でそう言う響詩郎きょうしろうだったが、僧侶は悪びれた様子もなくニヤニヤした顔でこれに答える。


「割引してくれよ。いいだろ? なっ?」


 明らかに自分を見下したその態度に、いよいよ響詩郎きょうしろうは腹に据えかねて僧侶に詰め寄った。


「おい坊さんよ。ガキだと思ってナメてんじゃねえぞ。まがりなりにも坊主なら約束を守りな」


 響詩郎きょうしろうの声には厳然たる響きが含まれていた。

 それを聞いた途端、僧侶は冷たい目線を彼に向ける。


「馬鹿野郎。テメーは荒事が片付いた後にヘラヘラ出てきて虫の息の妖魔相手にチョロい仕事をするだけだろうが。そんなんで満額もらおうなんて甘いんだよ」


 僧侶は低くドスのきいた声でそう言うが、響詩郎きょうしろうは一歩も引こうとしない。


「それが俺の仕事だ。四の五の言わずに帳面通りの金を気持ちよく払いな。支払いの時にゴタつくセコい坊主だって、評判を落とすことになるぞ」

「ガキが! この業界でそう気張るにゃ、ちいとばかし腕っぷしが足りないんじゃねえか?」


 僧侶は気色ばんで怒声を上げると、いきなりその太い腕を素早く振り下ろして響詩郎きょうしろうを殴りつけた。


「ぐっ!」


 響詩郎きょうしろうほほを殴られ後方に飛ばされて地面に転がった。

 だがすぐに起き上がり僧侶に食ってかかる。


「何しやがる! この野郎!」

「うるせえ! 身の程をわきまえろ! 小僧が! 社会の厳しさを教えてやる!」


 そう言うと僧侶は彼の胸倉をつかみ、二度三度とその顔を殴りつける。

 必死の抵抗を見せる響詩郎きょうしろうだったが、換金士としての特異な能力を持っているとは言え、肉体的には普通の男子高校生と何ら変わりない。

 自分よりも二回り以上も大きな体の僧侶に対してかなうはずもなかった。

 ましてや相手は妖魔退治のエキスパートとして鍛え上げられた肉体を誇る男だ。

 成す術なく倒れ込んだ響詩郎きょうしろうの腹を僧侶は容赦なく幾度も蹴りつけた。


「オラッ! 生意気なんだよ! 口のきき方に気をつけろ! ガキは大人に従ってりゃいいんだ!」

「うっ! ぐっ! ぐぅっ!」


 真夜中の廃材置き場で、僧侶が響詩郎きょうしろうに暴行をはたらく音と、響詩郎きょうしろうの短いうめき声がしばらくの間続くのだった。


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*本編はこちら

『オニカノ・スプラッシュアウト!』

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882154222

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