ギフト:7 カサブランカ



 よう、雅。ちゃんとメシ食ってるか? たまには顔出せよ。


 違う違う。そりゃ単に腕振って握り拳ぶつけてるだけだ。「パンチ」とは言えない。お前ならそうだな……ガタイが良いから、腕立てとかウエイトトレーニングしっかりやって、空手の「突き」を覚えた方がいいかもな。もちろん素振りも忘れるなよ。


 どうしたそんな落ち込んで。そんなに「初仕事」が応えたか?……まあ、普通はそうだろうな。俺だってそうだった。まともじゃいられないぜ。だが、お前は決めた。決めたから、引き金引いたんだろ。


 「信じるも者は救われる」ってフレーズな、実はあれ裏があるんだ。「信じる者しか救われない」って意味だ。まあ、神様もそんな余裕はないってわけだ。だから迷わず引き金引け。今日みたいに。昨日みたいに。今までみたいに。自分を救えるのは、自分だけだ。他のことは考えるな。いいな。


 ……勘が良いお前だ。いつかこうなるとは思ってた。なあ、覚えてるか。「初仕事」の内容。記憶。今でも決められるか。俺に向けて、引き金引けるか。決めろ。じゃないと、俺が先に決めるぞ。



□□□


「あー、曇ってきたなあ……雨降るかも」


「……」


「せめて雪ならなあ、ホワイトクリスマスって雰囲気出るのになあ」


「……」


 霧子、無言で隣に立つ雅の脇をつつく。


「あひょ!」


「暗い! うっとうしい! なぁーにずっしりしてんの! こっちまで気分が滅入るじゃない!」


 町中で信号待ちをしている最中、他の通行人の視線を集めるが、人々はすぐに関心をスマートフォンや隣人との雑談に戻した。


「何をって……そりゃ……」


「へこむのはあんたの自由だけどね。こうなったら私の問題でもあるのよ? さ、配達始まる夜までに、ちゃちゃっと終わらせるよ」


「そんな小用みたいに片付く相手じゃないでしょう……」


 信号が青に切り替わり、霧子は先にてくてくと歩いて行く。雅はそれを追いかけ、


「爆弾は警察が何とかしてくれるのを祈るとして、アイツが……月輪幸之助が出張ってくるなら、いや。必ず姿を見せる。見せるとしたらイベントが始まる時間からよ」


 霧子は腕時計で時刻を確認する。現時刻、午後4時。


「イルミネーションの点灯式は午後6時からですから……あと2時間」


 歩く人々の数はこの時間帯でも多い。今もすれ違う人だけでも結構な数だった。


「それに、気になるのは「我々」って書いてあったあれ。必ず月輪幸之助は関わってる。けど、あいつだけじゃないってことかな」


「確かに……あの人なら、何をやっても不思議じゃな……」


 雅が顔を上げたとき、びたりと靴底が地面に縫い付けられた。


「何立ち止まってんの、信号変わるよ」


 霧子が振り返って注意するが、雅の視線は霧子の後ろへと向けられていた。


「久しぶりだな、雅。少し背が伸びたか?」


 心臓の音が聞こえた。破裂寸前にまで膨れあがった、みしりといびつな音だった。


「霧子は相変わらずだな。雅をいじめてないだろうな? こいつは俺の弟分でもあるんだ。大事にしてやってくれよ」


 青い点滅が繰り返される。


「……あんた……」


「そうにらむなよ。俺を探してたみたいだからな。出てきてやったんだ。……雨が降りそうだな、そうだ。そこの通りの喫茶店に上手いパフェが食える店があるんだ。そこへ行って話そうか」


 ガチンと固い金属音が、のんびりと話す声を遮った。青い点滅は、赤に切り替わる。


「……おいおい物騒だな、雅」


 雅は右手にはめたグローブを、ゆらりと飛下がった人影に向けたまま、荒い息をかみ殺していた。横断歩道を挟んで、車のクラクションが鳴り響く。


 だがそれを無視して、雅は人影の一挙一動を寸分も見逃さすまいと、まばたきの機能を肉体から一時的に削除した。


「おい何つったってんだ!」


 クラクションを鳴らす車の窓から、一人の男性が身を乗り出し怒鳴り声を上げる。それに雅は何も返さない。目には、人影しか映っていない。


「おいこのすっとぼけ! どけってんだ! ひき殺されてえかボケが!!」


「……やれやれ。雅。邪魔だって言ってるよ」


 人影がため息をつく。しょうがないなぁと、苦笑する様に。雅は左腕ぶらりと垂らす。


「いい加減にしやがれ! 殺されてえか! ぶっ」


 タン……という、軽い銃声によって男の声は途中でなくなった。

 雅は裾に垂らし、硝煙をくゆらせる小型の拳銃を人影に向けた。


「可哀想に」


 人影は肩をすくめる。


「あの車、高そうだ。サイドミラーだけでも結構な修理費すると思うぞ?」


 怒鳴り散らしていた男は、目の前で弾き飛ばされたサイドミラーがことん、と自分

の頭の上に乗っかるまで硬直していた。

 悲鳴が重なり上がるまで、パニックが起こるまで、男が気を失ってクラクションが鳴りっぱなしになるまで、5秒もかからなかった。


「幸之助ぇええええ!!!!」


 怒号が雅の牙から吠え、スローナイフを指の間に挟み右拳をひねり腰に戻し、横断歩道の中央から一気に歩行者用信号機の側を突っ切った。


「怖い顔だ」


 人影は動くことく、目の前で止まったスローナイフに前髪を揺らがせ言う。


「それ、女性に言わない方がいいわよ」


 突進する雅の前に踏み出し、肘をみぞおちに食い込ませた霧子は、苦虫を噛み潰したよう口元を歪ませる。


「……緒戦はあんたにあげる。でも第二ラウンドからは私たちがもらう」


「楽しみだ。逆転劇を期待する」


 露骨な舌打ちをし、気を失った雅の体を肩に担ぐと、霧子は一足飛びで通りを抜けた。地面には、赤く焦げた煙が残っていた。


「はは……戻ってきて良かったな。雅に霧子、か」


 人混みが人混みを呼ぶ中で、人影はひらりと身を翻し雑踏の中へと消えていった。




ギフト:7 カサブランカ



「こうして直接お会いするのは、市長就任の時以来ですかなあ」


「は、はあ……」


 と、西村は名刺を受け取り要領の得ない返事で頭を下げる。


「渡辺さん……サンタクロース協会日本支部……」


 確かに就任式の日、そんな人物から名刺をもらった記憶はある。そんな風変わりな名刺を忘れるはずがない。だが、目の目にいる人物が、記憶にある男性だったかどうか、イメージがずいぶんと違っていた。


「ほ、本当に「サンタクロース」の格好をするんですね……」


「ははは。まあこの風体の方がこの時期、怪しまれませんのでねえ」


 と、恰幅のいい腹をたたき、渡辺は赤い「サンタクロース」の赤い衣装に着替えた身で言う。


「さて、ここに伺ったのは他でもない。私の部下である、浅香霧子と黒船雅がお邪魔していることについて、でして」


「……爆弾の件、ですな」


 応接室。時刻は午後五時を回り、社員はほぼ退社している。オフィスは静かで、時計の音だけがこつこつと大きく聞こえた。


「浅香さんは、同じ「サンタクロース」が関わっているとおっしゃっていました。元、と言っていましたが……」


「……お恥ずかしい話です。その話は、おそらく真実でしょう。彼は……月輪幸之助は、かつて「サンタクロース」として子供たちにプレゼントを配っていた、優秀な人物でした」


 渡辺の声には憂うものがあった。自然と視線を下にうつむけたのも、責任を感じているからだろうか。


「それと同時に、彼はとある組織……とも言えない、小さなグループのリーダーでもありました」


 西村はうなずき、無言で先を促した。渡辺もうなずき返し、続きを口にする。


「名は『カサブランカ』。身寄りのない子供たちが集まった、まあ……あまり良い集団ではありませんでした」


「……その名前には聞き覚えがあります。私もこの町の政を司る人間です。報告は、届いています」


「その子供たち全てではないのですが」


 渡辺が言葉を句切り、西村の目を見つめ、言葉を選ぶようにして言う。


「特定の子供は、「仕事」を行っていたようです」


「……「仕事」?」


 西村が怪訝そうに眉を寄せる。


「裏にはろくでもない大人たちが繋がっていたようで、今はもうそんなつながりは消えたとのことですが……」


 西村の顔に戸惑いの色が浮かび始める。そこまでのことは報告になかった。ただの不良グループの集まり……そんな風にしか捉えていなかった。


「そ、その……「仕事」とは」


「……。当時の『カサブランカ』には、バックに海外の反政府勢力が着いていたようです」


 西村は言葉を失う。海外の。反政府勢力? バカな。


 急に大きくなった話のスケールに、現実味がなくなった。そこへ、渡辺の次の言葉が続けられる。


「行われていた「仕事」は、要人の、暗殺」


「……ッ!?」


 がたり、と西村が座っていたソファーが音を立てて揺れる。


「そ、そんな……子供が、ですか!? 漫画じゃあるまいし……!」


 困惑と混乱。渡辺の言葉を理解し、処理しきれていない。だが渡辺は淡々と続ける。


「子供だからこそ出来た場面もあったのでしょう。そして、そのまとめ役として指揮を執っていた人物こそ……月輪幸之助なのです」


「……」


「今回の爆弾騒ぎも、海外の反政府勢力の人間が絡んでいるのでしょう。月輪幸之助はそれを利用している。爆弾を用意出来たのも、そのツテを使ってのことでしょう」


「そ、そんな……け、警察どころじゃない、公安の出張る事件ではないですか!」


 西村は思わず立ち上がり、途切れ途切れになる息を何とか整えながら言った。


「月輪幸之助は、「サンタクロース」にしか使えない特殊な技術を利用しております。普通に向かい合っては解決は難しい」


「……だから、あの二人だけに、あの子たちだけに任せるのですか」


 それはあまりに酷な話ではないか。まだ二人とも、若く自分の人生の三分の一も生きていない命だ。西村はもどかしさに次の句を告げられる、握り拳を震わせるだけに終わった。


「分かっております。我々も、「出来うること」をやるつもりです。ですので、今日ここにお邪魔したのは他でもない、西村市長に「出来ること」をお願いしにきた次第であります」


「私に……?」


「イルミネーションのイベントを、必ず成功させることです」


「……それ、は……しかし」


「そして、それを約束してくれるのは、あの二人なのです」


 渡辺の静かな言葉に、西村はごくりと固唾を吞んだ。




□□□



「どう、頭は冷えた?」


 雑居ビルの空きテナントはひんやりとしていた。町外れの一角にあるビルの一室で、ぐったりと首を垂らし座り込む雅は返事の代わりにかすかなため息をもらす。


 騒ぎは一時的なもので終わったらしく、町の様子は元に戻ってる様だった。


「まんまと相手の手に乗っちゃったわね。……止められなかった私も含めて。ごめん」


「……師匠の落ち度じゃありません……あれは」


 かすれた声で言い、雅は首を横に力なく振った。


「ううん、私も……動けなかった。いきなり目の前に現れて……恐怖した」


「……」


「情けない師匠でごめんね。……はい、これで反省会おしまい」


 パン、と手のひらをたたいて、明るい口調で言い、霧子は顔を上げる。


「さて、第二ラウンドを勝ち取る作戦会議と行きましょうか」


 その言葉に、雅も顔を上げ、無言でうなずく。


「時刻は午後5時半……リミットはあと30分」


「爆弾を探している暇はないですね……。直接月輪幸之助をたたき、はき出させる。それが最良かと」


 立ち上がった雅に、霧子は「へえ」と口元をつり上げる。


「珍しく同意見じゃん」


「師匠が頭を冷やしてくれたおかげです。一度頭に血が上ったからか、すっきりしてます」


「とはいえ、次は簡単に姿を見せないでしょうね。さっき現れたのは、私たちの戦意を削ぐため。不意打ちを狙って、足下をすくうため。その意味じゃ、半分成功されたけどね」


「ですが、ただ高みの見物を気取るとは思えません。どこかに……必ずこの町にいます」


 そう言って、雅は脅迫文の文面を思い出した。


「……「我々」……どういう意味なんでしょうね……」


 同じことを考えいたらしく、霧子は腕を組み、とんとんとつま先を床にたたきつけて唸っている。


「アイツが主犯っていうのは確かだろうけど、複数犯ってことよね……。荷担するテロリストどものことかしら。……だとしたら、まだろくでもない連中とつながりがあるってことだろうけど」


 霧子の言葉に、昨日の男が思い出される。爆弾を仕掛け、屋上から転落したあの男。


「……アイツは、月輪幸之助の一味だったのか……?」


 独り言のつもりだったが、霧子の耳にも届いていた様だ。霧子は「アイツって、昨日の爆弾魔の?」と尋ねてくる。


「はい。一連の爆弾魔かと思われていましたが……爆弾を仕掛ける場所、頻度、時間帯、どれも統一性がなくランダムで、目的らしきものが感じられなかった。昨日も何故あのビルに狙いを定めていたのか、分からずじまい……」


 雅の言葉を聞くと、霧子はスマートフォンを取り出し、地図のアプリを起動させ、町全体の地図を表示させる。


「ちょっと見て。爆弾が仕掛けられた場所って、分かる?」


「はい、だいたいなら……」


 地図を指さし、霧子はその地点に目印のピンを立てていく。


「じゃあ、この図を意識しながら……「夢意識」で見てみて」


 霧子の言葉に、嫌な予感がよぎる。目を閉じなくても、予想がつくような気がした。


 目を閉じ、地図につけたピンの位置を意識しながら、町をまぶたの裏で「見る」。

 自分の意識を上空へと押し出し、上空へ昇る感覚を脳内が感じ取る。


「……ビンゴですね」


 舌打ちしたい気分だった。


 爆発があった地点。主にビルには、淡い赤色のもやのようなものが張り付いていた。人間の「夢」に似た色であり、「ダミー」が持つ硬質感が、ビルに引っかかるようゆらゆらとなびいている。


「爆弾が……爆破された場所には、「ダミー」がセットされた形跡があります」


「……。ワトソンくんならぬ雅くん。昨日、爆弾を仕掛けたとおぼしき男と出会った時、何か感じることはなかったかね」


 霧子はスマートフォンの画面を見つめながらつぶやく。雅は目を開け、「いえ……特に」と返す。あの時……渡辺と喫茶店にいたとき、爆発が起こり、屋上に駆けつけた時には既に、男のセットした爆弾は全て起動していたのだろう。


「じゃあ切り口を変えよう。「ダミー」が設置された痕跡がある、としたら……何で「ダミー」はなくなったのかな」


「……さあ。爆発があった場所ですから、爆弾に吹き飛ばされた、とか」


「わざわざ設置した「ダミー」を?」


「自分に聞かれても……。何故「ダミー」をセットしたのかも分かりませんし」


「そこなんだ。私が引っかかってるの」


 地図のアプリを閉じ、腕を組んで霧子が眉を寄せる。


「事前に設置した「ダミー」を破壊する……じゃなくて、「ダミー」を破壊することに意味があるのだとしたら?」


「……あ、あの……言っていることの意味がよく……」


「あの「ダミー」は人間の「夢」を模倣した訓練用のものなんだ。「サンタクロース」が仕事を覚えるために、練習のために作られたもの。……でも、それを練習以外の「練習」に使っていたとしたら?」


 練習以外の「練習」?


「そもそも、「サンタクロース」の……『夢渡り』の能力を、『夢渡り』以外の目的で使おうとしたら……。分かるね。それが月輪幸之助だった」


 ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。


 あの晩のことを思い出す。結局、追いつけなかったあの背中を思い出す。


「君が屋上で会った男。なんでそいつが屋上なんかにいたのか。「確認」のためだよ。……「ダミー」を上手く扱えたかどうか」


 つまりは。そう頭に置いて、霧子は言う。


「あの男は『夢渡り』で爆弾をプレゼントしていったわけさ。……「サンタクロース」の力を使ってね。月輪幸之助から与えられた、『夢渡り』の能力を使って」


 喉がひりひりと痛むほど乾く。言葉が出ず、呼吸もしばしままならなかった。かろうじて出たか細い息と共に、雅は何とか声を出す。


「そ、そんなことが……『夢渡り』はそんなたやすく習得出来るものじゃ……!」


「おそらく何らかの外法チートを使ってるはず。これはまずいよ。最悪のパターンだ。テロリストの数だけ『夢渡り』で爆弾をばらまける人間がいることになる」


「……ッ!」


「雅、よく思い出して。23日の屋上で、あの男と対峙した時、何かなかった? どんな些細なことでもいいの」


 23日。爆発がした後、屋上へ駆け上がった。男と向かい合い、けん制しあって、グローブに仕込んだスローナイフを打ち、動きを封じた。その後、男は自ら柵を破り、投身自殺。


「……違う」


 それだけか? 思い返してみて、何かが足りない、引っかかるものを感じた。あの男と出会った時、感じたものがあったはずだ。


 かつての自分? 彼を追い詰めてしまった自分の過失?


 違う。違う。彼は、彼がこちらを見る目は……。




「俺と同じ……裏の世界の人間だ」




「……同じ、裏の世界の人間……」


 ぼそりとつぶやいた言葉に、妙な違和感を感じた。

 裏、とは。

 かつての「仕事」のことだろうか。身に染みついた、「仕事」のための業術のことか。


「……裏、って、そいつ言ったの?」


 雅をじっと見つめる霧子が真剣なまなざしで言った。


「はい。……意図は上手くとれませんでしたが……」


「……。分かった」


 小さく、それだけ言うと、霧子は雅の背中をそっとなでた。


「師匠……?」


「広い場所に出るよ。ケリをつける。……そうだね、このビルの屋上へでようか」



 □□□



 風が強くなっていた。ごうごうとなる冷たい風は、突き刺さる固さで足の先から身を凍えさせた。遠くには晴れやかな街の光が見える。そろそろ、イルミネーションイベントが始まる頃だ。


 廃ビルや、更地が目立つ郊外に建つ空きビルの屋上に立ち、雅は町明かりをじれったそうに見て、焦る気持ちを抑えられずにいる。


「師匠、こんなところにいたって……早く月輪幸之助を……」


「分かってるって。その条件ならさ」


 後ろからぽん、と肩に手を置いた霧子が言った。


「もう整っている」


「え……」


「とっとと出てきなさい。私の弟子の体から」


 ドスン。


 体が上下に激しく揺れた様な感覚が雅を襲う。視界が激しくブレ、目の前の光景が視認出来ない。自分が立っているのか、倒れているのか、それとも地面に足がついているのかも曖昧だった。


 ただ、視界は真っ赤に染まっていた。


「おやおや。あっさり見破られたな。さすがは霧子だ。俺の自慢の後輩なだけある」


 頭の中で声が聞こえた。聞き覚えのある、見知った顔が、涼しい顔で言う様子を簡単に想像出来た。


「軽々しく名前を口にしないでほしいわね。あんたはもう先輩でも「サンタクロース」でもない。ただの外道なんだから」


 霧子の声は、壁か何かか、ぶ厚いものを通したかの様に遠くから聞こえた。


「それは言いがかりというものだ。俺の本来の生業はその外道さ。「サンタクロース」はそのサイドビジネス。副業をやってる人間は他にも……というか、ほとんどがそうだろう?年に一度の仕事だけじゃ、食っていけるはずがないからな」


「世間じゃそれを詭弁と言うんだよ」


 またしてもドン、と体が激しく揺れる。今度は内部が重たくなったように、体内の臓器が金組織や骨を押しやって、体から突きだそうとしていた。


「その「仕事」の中でも雅は一番の古株だったんだ。それを「ヘッドハンティング」された俺としては、ちょっと複雑な気分かな」


「そこは本人の意志を尊重したら?……でも、それ以外の道も選べたはずよ。あんたなら」


「それは買いかぶりだよ霧子。俺だって非力な人間の一人さ。だから時には手段を選ぶ余裕なんてなくなる」


 なあ、雅。

 そんな声が頭の中で聞こえた気がした。


「あんたが海外の連中とつるんでたって話は……」


「ああ、台湾マフィアね。危ない橋だったけど、それだけ金とツテが必要だったんだ。俺たち『カサブランカ』が生き残るためにはな」


 体が全てを覚えている。その名前を覚えている。

 だから。今を生きると。


「あんた、タフだね。「サンタクロース」やってみない?」


 これからを与えてくれた世界に。


 ビルの屋上には亀裂が走っていた。その亀裂から赤い霧が噴き出し始めている。


「これは、驚きだ」


 とん、と床に「着地」した赤い光は人の形を型どり、やがて細身の青年へ変貌する。


「霧子から引っ張り出されるならともかく」


 長く伸びた前髪をかきあげると、唇をつりあげ、整った顔立ちを柔和な笑みに変えた。


「まさか追い出されるとはね」


 白いジャケットを着た、一人の青年。肌は白く、まるで血流など通っていない、氷でできているかの様な美しさだった。


「やあ、霧子。雅」


 月輪幸之助は、無邪気とも見える笑みで言った。


「あんた……やっぱり『夢渡り』で雅の「中」に潜んでたのね」


「やっぱりってことは、勘づいていたか。いつからだい?」


「昨日『夢渡り』のリハやったときね……ちょっと反応がおかしかったの。私が用意した「ダミー」に、雅一人が入っていった。しかし、その時妙な違和感があってね」


「リハねえ……本当は俺の存在を確認するためにやったんじゃないか?」


「杞憂かなって思ったけど。でも、市長に贈られてきた爆弾を見て気づいた。『夢渡り』を使って移動してるって。今までの爆弾魔にも「同伴」してたんじゃない? 擬似的に『夢渡り』の能力を植え付け、テストさせ結果を見るために」


 あの時。

 爆弾魔の男がスローナイフを引き抜き、ぎろりと目をむき、雅をにらんだ時、目が合った。その瞬間、雅はひるんでしまった。張り詰めたままでいなければならない胆力を、無防備な状態にしてしまったのである。


 心に隙を作った。それが、思わぬ「出入り口」になってしまっていた。


「師匠、俺から一ついいでしょうか」


 小さく息をついてから、雅が言う。視線は月輪幸之助から外さない。


「あの時確かに俺はひるみ、心に隙を作ってしまった……ですが、『夢渡り』はあくまで人間が眠っている間に生まれる「夢」の中を移動する術……何故それが、日中に、乗り移るように出来たのですか?」


「それにはちょっとしたコツがあってね」


 霧子ではなく、月輪幸之助が得意げに答えた。


「人間は起きている間でも、始終意識を張り詰めているわけじゃないだろう? 

時にのんびりと、ぼーっとする時もある。雅がひるみ、心をノーガードにしてしまったように、心はむき出しになる。いわゆる無意識な状態さ」


 とんとん、と人差し指でこめかみをつつき、月輪幸之助は言った。


「それは「夢」の状態と周波数が酷似している時があってね。見極めれば、「飛ぶ」ことも不可能じゃないんだ」


 雅は答える代わりに隣に立つ霧子に視線をやった。霧子はぎしり、と奥歯をかみしめていた。


「とはいえ、言うが安し……さ。この波長、タイミング、感覚。俺がこれを出来るようになるまで相当苦労したんだ。『夢渡り』の応用だとはいえ、仕組みをしったところでどうにかなるもんじゃない」


 肩をすくめ、ふうとため息をつく月輪幸之助だった。


「でも全ては『カサブランカ』を守るためだ。雅、お前なら分かってくれるな」


「……。答えは1年前と変わらない」


 両手にグローブをはめ、袖から小型拳銃を取り出し、雅は銃口を月輪幸之助に突きつけた。


「それに、もう『カサブランカ』はない。……それこそお前が一番分かっているはずだ」


「……」


「なぜなら。お前が売ったからだ。『カサブランカ』のみんなを……俺たちを裏切った」


 銃口を向けられてなお、月輪幸之助からは対立する、という構えた雰囲気は感じられなかった。それどころか、やや疲れた、といった様子で肩を下げ、はあと小さく息を漏らす。


「分かってくれ、雅。俺は守るつもりでやったんだ。寒空の中、飢えをしのぐにはそれが一番だった。社会も大人も誰も何も信用出来ないのは、お前もよく知っていただろう」


 しばしの間、二人の視線はぶつかったままで動こうとしない。


「霧子。お前もお前だ。これは俺たちの問題だった。何故割って……「サンタクロース」が邪魔をしようとした」


 視線を先にずらしたのは月輪幸之助だった。霧子は視線を正面から見返し、仏頂面で言う。


「気にくわなかったからよ。あんたがどんなサイドビジネスやろうが、確かにプライベートに口出しする権利はないわ。でもね」


 霧子は片足のつま先をとんとん、と地面に打ち付けながら言った。


「さっきから聞いてれば、ずいぶん耳障り良く聞こえる言葉ならべるわね」


「何だ、事実だぞ?」


「そうね。飢餓に苦しむ子供たちを、奴隷商人に売った人身売買。子供たちに選択の余地はなく、海外マフィアには道具とされ戸籍ごと連れ去られる……事実よね」


 ふわり、と風が舞った。乾いた空気が月輪幸之助の前髪を揺らし、


「そうだけど、それで?」


 銃声と共に身を沈め、月輪幸之助の赤く染まった体が真横へと飛ぶ。


「はは、相変わらず敵意を隠せない癖は何とかした方がいいなぁ雅。相手にバレバレだぞ?」


 赤く染まった光が、光源灯される町明かりの方へと一瞬にして消えた。


「今度は逃がさないっての」


 こつんとつま先を打っていた霧子の靴が、赤く燃え上がり、一瞬にして大きな炎の塊となり渦を巻く。


 燃える光から現れたのは、カウルを備え付けられた、大型のスポーツバイク。鋼管トレリスフレームが採用され、初代のフレームを受け継ぎ様々な改良が成された、2代目とされるモデル。


 ドゥカティ900SSと呼ばれる、スポーツバイクの代表格の大型バイクだった。


「こ、これは……見覚えがあるような……う、頭が」


「『夢意識』をコントロールしてこね上げて作る、私なりの「サンタのソリ」よ。早く後ろに乗って!」


 驚くのはまた後にしよう。加え霧子の剣幕に負け慌ててバイク……ソリの後ろにまたがった。


「しっかり捉まってなさい。一瞬だからね」


 返事をする前に、体がひゅ……と無重力につられる感覚が雅を包んだ。眼下には、イルミネーションの点灯を待つ人たちが歩く通りを見ることが出来た。


 だがそれも強い衝撃により視界がぶれ、今度は乾いた地面を焼く赤い煙が周囲を包んでいた。


「はは。相変わらずそのバイク……じゃないや、ソリか。おっかないなあ」


 ぱんぱん、とのんきな青年がした。

 咄嗟に周りを見渡し、声の主……月輪幸之助を探す。が、


「……ここは……」


 見覚えがあった。もう日は沈み、辺りはひっそりと静まりかえっているが、記憶に新しい。


「しかし、相変わらずの手腕だねえ、シスター神崎は。入り込むどころか跳ね返されてしまった」


「あんたがシスターを舐めすぎなのよ。てか、あんたごときが適う人じゃないし」


 ソリが赤い煙となって消え、砂地に霧子が立つ。草も生えない更地。その通りの向こうには、


「……教会……!?」


 昼間訪れた教会が、月輪幸之助の後ろにある。


「んー。せっかく第二の拠点として、ここを乗っ取ろうと思ってたんだけど」


 月輪幸之助は口惜しそうに眉を寄せ、口を尖らせる。


「拠点……とは何の話だ?」


「もちろん、『カサブランカ』再結成さ」


 雅へと向き直り、ばっと両手を広げる。


「雅と俺がいれば、『カサブランカ』を続けることが出来る。それに今雅は「サンタクロース」としての能力も持っている。これで、いくらでも子供たちを救えるんだ」


 晴れやかににこやかに。すがすがしい程の声で月輪幸之助は笑っていた。微笑んでいた。慈しみ、慈悲深く、優しく柔らかな笑顔だった。


「手始めにここの子供たちから始めよう。ろくでなしの親なんかよりも立派な主人のいる生活へと、応援してあげようじゃないか! 素敵なクリスマスプレゼントだろ!?」


「……いよいよ化けの皮はがれてきたわね」


 浮かれて小躍りする月輪幸之助を見て、吐き捨てる様に霧子が言った。


「霧子には分からないよ。俺も、雅も、親に売られたんだ。俺は売春組織へ、雅は親戚たらい回しにされたあげく、ちんけなヤクザの下っ端に借金の肩替りで丁稚奉公。ほろ苦い幼少期だ」


「同情しないわけでもないけど」


 霧子の体が赤く煌めき始める。それを見て、月輪幸之助の口元に笑みが刻まれた。


「人の仕事邪魔しないでよね。爆弾撤去しなさい。じゃないとあんたの中に入って暴れ回るわよ」


「へえ、霧子も「ジャンプ」出来るのか」


「まさか。あんた殴り倒して気絶せてから、堂々と乗り込むのよ」


「ふふ。らしい答えだ」


 そう言うと、月輪幸之助は改めて霧子に向き直った。


「『夢意識』状態で体をコーティングする……人の意識に触れやすくする。物理ではなく精神的に相手を攻撃出来るわけだ。だけど、覚えておいた方がいい」


 月輪幸之助の細い体が、霧子と同じく赤い輝きに包まれ、シルエットが揺らぐ。


「『夢意識』状態とは、「無意識」……「意識体」を無防備にさらしているも同じなんだ。だから」


 月輪幸之助の手のひらが、ゆっくり歩いて近づく霧子に向けられる。


「受けるダメージは、むき出しの意識そのものへダイレクトに叩き込まれることになる」


 炎の火柱が、空中を割って出現した。その真下にいた霧子は靴底を地面にこすりつけ、足元の地面を割って出現したドゥカティソリをサーフボード代わりにして回避、前へと突進する。


 とん、と地面を蹴り、月輪幸之助は大きく10メートルを一足で飛んで離れた。離れ際には、安全ピンの抜かれた手榴弾が二つ、宙を舞っている。


 霧子は舌打ちして手榴弾をつかむと、足でハンドルを操作し、フルスロットルで地面を削りドゥカティソリを高く飛び上がらせた。赤い火の玉となった霧子は上空150メートルまでは加速したのを確認すると、力の限り手榴弾を上に投げ捨てる。地上へと戻る頃には、鼓膜にとん……と響く小さな音が聖夜の闇に転がった。


「お見事だ。だけど、これじゃ後手に周りじり貧。時間は……もうすぐ6時だ」


 腕時計を確認する。もう6時まで5分となかった。


「あんた、何人仲間がいるの! どれぐらい、どこに爆弾をセットしたの!」


「仲間っていうか、借りてきたのは5人ほどさ。昨日1人死んじゃったけどさ。爆弾をセットしたのは大通りに5カ所。もちろん加工した「ダミー」でコーティングしている」


 つらつらという月輪幸之助はとても楽しそうに……嬉しそうに言う。いたずらが成功したかのような、子供の無邪気な笑みそのものだった。


「くっそ……」


 歯ぎしりするよう唸りをあげるドゥカティソリの前に、すっと割って入った人影に、霧子も月輪幸之助もきょとんとした。


「師匠、今から解除だけに専念すればそのソリで……間に合いますか。爆弾が「ダミー」の中なら、直接移動出来るはずです」


「……。やれるの?」


「上手くいけば、ですが」


「……任せる。バカするんじゃないわよ」


 こくりと無言で雅はうなずいた。霧子は視線だけをわずかの間、もう霧子に背を向けている雅にやり、すぐさま赤い光となって街の明かりへと飛び上がって行った。


「ほう。何か、俺を倒すとっておきでもあるのか、雅」


「まあ、そんなところだ」


 霧子が消えた街へと目をやっていた月輪幸之助は、目の前に立った雅に向き直り肩をすくめた。


「去年のリベンジか? あれだけ実力差を見せつけられて、まだ挑むとは」


「諦めが悪くてな。それに、お前を放置することは出来ない」


「それは、お前が「サンタクロース」になったからかい?」


「それもある。が、実際俺をここで返り討ちにしたとしよう。その後お前はどうする?」


 雅の言葉にクスクスと笑い、月輪幸之助は「そうだなぁー」と楽しそうに指先をくるくる回す。


「まずは拠点確保だな。あの教会をもらおう。以前『カサブランカ』で寝床に使っていた教会は、お前がぶっ飛ばしてしまったからな。俺も根無し草というのもちょっとな」


「なるほど承知できんな、邪魔するとしよう」


「決断早いな。もっと聞いてくれよ」


 月輪幸之助は無造作にジャケットの懐から拳銃を取り出す。引き金を引くのも手慣れた、じゃれた相手と戯れるようなさりげない動作だった。


 小型サイレンサーを銃口につけた拳銃は空気の抜けた音を立て、弾丸は雅の足元へ突きさる。


「あれ、そんなにびびらなかったな」


「拳銃の扱いはお前から学んだ。お前が「撃つ」のなら、頭より体が先に反応するさ」


「ふーん……じゃあ、次からは外さないぞ。当てるつもりで狙うからな」


 薄笑みを浮かべたまま、ゆっくりと銃口が鎌首をもたげる。それに雅はグローブをきつく握り、体に赤い炎を灯した。


 二連続、軽い音が踊り、赤い影がその間を縫うように前へと左右に飛んで突進した。拳銃はスローナイフにより銃身をえぐり取られ、地面を滑る。


「はは、なるほど」


 スローナイフがグローブから発射され、空を切った。赤い残像が長い髪の後を揺らして月夜に消える。


 雅は目の前で赤く消えた月輪幸之助の姿を目で追うより、体が感じた危機感に身を任せ、体をよじり宙に舞い、半回転させる。背中のすぐ側を、ぞっとするスピードの「何か」が通り過ぎた。


 軸足である右足が地面に着いた瞬間、大きく後ろへと飛んだ。体を後ろへ傾けながら、目の前まで追撃してきた月輪幸之助にグローブを向ける。


「ちょい惜しい」


 ばぐん、と爆発したような音が鳴った。雅の顔を、月輪幸之助の手がわしづかみにした。


「逃げるなら逃げる、反撃なら反撃する。両立は難しいって何度も言っただろ?」


 地面に後頭部が押しつけられる。巨大な壁が落ちてきた様な錯覚に襲われた。上下左右の感覚が麻痺する。


「これで終わりじゃないだろう」


 顔をつかんだままの手を引き抜く様に持ち上げ、もう一度地面に雅の長身を叩きつける。


「反撃の糸口ぐらいつかむんだ」


 片手で顔をつかみ、持ち上げる。雅の腕は力なくだらりと垂れていた。体からは、赤い光は消えている。


「『無意識』も途切れたか。言ったのになあ。ダメージも倍増しになるって」


 垂れた両腕からするりと二丁の小型拳銃が落ち、月輪幸之助は雅の胸を靴底で押しやる様に蹴り出した。遅れて銃声が月輪幸之助の耳元をかすめ、肌に赤い筋を作る。


「……特技に「死んだふり」って追加したら?」


「断る。三途の川を引き返してきたところだ」


 ゆっくりと立ち上がった雅は、首を鳴らし血の混じった唾を吐き捨てる。


「タフになったな。余程霧子のいびり……もとい修行が厳しかったとみえる」


「タフなものか。くそ……」


 痛む後頭部をさすると、どろりとした血がグローブに張り付いた。


「確かに、ダメージというか、痛覚は倍以上に感じるな……気絶してしまった」


 視界がくらり、と歪んだ。痛みで耳も麻痺している。平衡感覚が上手く取れなかった。


「そんな状態で格闘が出来るか? もう先手を打たれたお前に勝ち目はないぞ」


「……だろうな」


 『夢意識』同士での戦闘など想像したこともなかったが、ここまで使い手の差が出るとは思わなかった。頭部は骨折こそしてないものの、出血がひどい。じきに貧血で倒れてしまうだろう。


「なら、大人しく撃たれるんだ。お前は、俺の同志にはなってくれんだろう」


 月輪幸之助はわずかに目を細め、懐からもう一丁の拳銃を取り出す。今度はサイレンサーは着いていない。


「なあ……1年前……。こうして俺はお前の前に立った」


 グローブを掲げようとするが、上手く腕が上がらず、前のめりになり、バランスを崩して雅は膝を突いた。肩で大きく息をついて、肺を膨らませる。


「そうだな。その時は分かってくれると思っていた。お前なら、『カサブランカ』を幸せに出来ると。一緒に戦っていけると」


「……「サンタクロース」は……いつから始めていたんだ?」


 うつむいたままの雅に、わずかな間を置いて月輪幸之助が答える。


「3年前……霧子が入りたての頃だな。これでも誰にも正体を明かさない、ばれないように苦労したんだぞ?」


「……師匠の入りたてか。聞きたいもんだ」


 声だけがクツクツと笑っている。


「雅。雑談は時間稼ぎのつもりか? それとももう余命を悟り、心置きなく去っていくための確認事項か?」


 頭部の割れた皮膚からの出血が、顔を濡らし頬を垂れ、地面にシミを作っていく。


「どちらでも、ない」


 垂れて落ちる血が逆流するように、引火しさかのぼる炎の様に、雅の体をまた『夢意識』の赤が包み込んでいく。


「このダメージではな……少し、「探しにくかった」んだ……」


「探す……だと?」


 銃口をそのままに、月輪幸之助もまた『夢意識』を纏い、半歩下がった。


「俺はまだ『夢渡り』の勝手を知らん。知らん故、無知故、「こんな方法」でしか逆転を思いつかなかった」


 月輪幸之助が引き金を引こうとした時には既に、雅の手が銃身と肩を強くつかんでいた。雅を包む赤い光の濃度が増す。地面を揺らす程の出力に、月輪幸之助は思わずたじろいだ。


「な、何をするつもりだ!」


「何、「サンタクロース」がすることと言えば一つだろう。「夢」の中に入る」

 ただし。


 そう区切って、真上を仰ぐ。意識を一直線に夜空に飛ばし、街を見下ろす高さまで急上昇した。


 その頭上に迫るのは、赤く、人間の「夢」に似せて作られたもの。


「だ、「ダミー」だと!?」


 『夢渡り』の実習の際、霧子は3つ「ダミー」を用意したと言っていた。そのうち1つは雅が見つけクリアしたが、残り2つは撤去もせずまま帰宅してしまっていた。


「このままでは衝突する……! 雅、お前も無事では済まんぞ!」


 「ダミー」は人間の「夢」と違い、ドアを開けなければ中には入れない「外装」を持っている。訓練のために作られた人工の「夢」であり、運用も人の手によってしか行われない。


「そうだな……だが、俺は「サンタクロース」だ」


 「ダミー」までの距離はぐんぐんと迫っていた。赤い風になった雅はにたりと笑い、


「とっておきのプレゼントを届ける……ただそれだけだ」


 烈火の閃光が弾け、聖夜の夜は赤い波に揺らされた。大きくたゆたい、波打ち、波紋を広げ、夜空は紅の果てを飲み込んだ。



□□□



 瞳は特に期待することもなく。

 窓の外を眺めていた。今日は冷える。そろそろ街はイルミネーションイベントが始まる頃だろうか。


「……はぁ」


 夜更かしは、止めておこう。疲れて、余計しんどくなるだけだ。そうなるとまた薬が増えてしまう。


 瞳が窓際を離れようとした時、ふと視界に赤い光が差し込んだ。


「え……」


 花火? と思い窓の外を振り返る。


 しかし、赤く輝いたのは一瞬で、派手な色は消えてしまった。


「何だったのかな……」


 気の早い、誰かが打ち上げた花火だろうと、戻ろうとしたとき、窓の外がやけに明るいのに気がついた。


「あれ……?」


 向かいの通りの家並が鮮明に見える。夜道が明るい。普段なら薄暗さの中に消えてしまう、アスファルトの道路も、その中にあるマンホールの蓋も、今ははっきりとくっきりと見えた。


「あ……」


 夜空を見上げる。


 落ちてきそう。それが最初に抱いた気持ちだった。だけど、不安にはならない。一つ一つの光がひしめき合い、絡まることなく輝き、煌めき、夜の彼方全てに満ちあふれている。


「……お星様……なの……?」


 窓の外の異変に気が着いたのは瞳だけではなかった。向かいの家の人間も、何人もい窓を開け夜空を見上げる。明るくなった、星降る夜空を見上げていく。


「すごい……本でしか見たことない、こんな景色……」


 もうスモッグで汚れた都会の空では見えないと思っていた夜空。

 ふと、昼間の青年の言葉がよみがえる。


俺は、「今」を生きる命のみが行える特権だと思っているよ


 「今」見える星の輝きは、既に光った何億光年も前の光なのだと。


「……「今」生きることありき、か……」


 特権ですね。とつぶやき、瞳はしばらく夜空の天体を眺めていた。





続く

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