ギフト:5 夜空を駆ける

ギフト:5 夜空を駆ける


「さて。『夢渡り』の復習といこうか」


 荒ら屋の自宅に着くなり、霧子は上着を羽織ったまま言う。雅は「今からですか?」と腕時計を見る。時計の針は10時を通過したばかりだった。


「今から『夢渡り』というのは……」


「何さ。「サンタクロース」最大の醍醐味、プレゼント配りに必要な「もの」よ。事前に復習というか、行動確認してやっておくに超したことはないでしょ?」


「……至極正論です。まさか、タマネギの毒に当てられて!?」


「熱はない! あと私は犬じゃない!」


 救急箱から体温計と漢方薬を取り出した雅の頭を軽くはたく。


「う、いえ。まったくその通りです。その通りですから……もう少し時間が経過した深夜に行うべきでは? 『夢渡り』を行うにはまだあまり時間が早いと思うのですが」


「まあそこはちゃんと考えてるから。とりあえず2階のベランダ行こう。サンタ大原則一つ、思い立ったら即行動」



 二階のベランダの風当たりは強い。ごうごうと風が鳴り、しびれる寒さに固さを持たせているようだった。

「さむ……。さて、『夢渡り』だけど……あんたはちゃんと実践するのは今年が初めてよね」


「そうですね。初陣となります」


 霧子は上着の裾に指を引っ込め、口先で暖めながら言う。雅は前髪をバサバサ揺らす風など素知らぬものとばかりにまばたきすらなく、こくりとうなずいた。


「じゃあ、『夢渡り』とは何か。まず口頭で内容を述べてみて」


「基礎復習ですか。……端的に言えば、人間が睡眠時に見る「夢」に入り、また別の人間の「夢」へと転移する移動術、というところでしょうか」


「素っ気ない言い方だけど、概ね合ってるからいいか。40点」


 低い、と雅は少し悲しくなった。


「まあ「ジョブ:サンタ」のみが使える『スキル』だよね。このスキルが『夢渡り』って呼ばれてるんだけど……。なんか古くさくない? もうちょっと今っぽくてもいいよね?」


「今っぽく、ですか?」


「うん。必殺技みたいな……漢字で書いてカタカナで読ます系のアレよ」


「……職務に支障ないと思うのですけど……」


「あーこれだから仕事人間はー。遊び心ってもんを知らないの? 昼間も言ったでしょ、ガス抜き。こういうところで遊ぶんだよー」


 霧子は拗ねるように口を尖らせてしまった。それにどう対応すればいいか分からず、雅は困惑顔のままであった。


「じゃ、じゃあ師匠なら、どういう風に名付けます? 『夢渡り』を」


「お、乗ってきた? いいねいいね。んーそうだねー……っちゅん! ああさぶ! 寒くて肌が痛い! 名前なんてどうでもいいわ、とっとと終わらせるよ!」


 弟子はとりあえずうなずいておいた。


「確かにこの時間帯、まだ起きてるお子様もいるかもだから、あらかじめ「ダミー」を3つ、周囲に用意しておいたよ」


「え、「ダミー」って……いつの間にですか」


「駅からここまで帰ってくるがてら。仕事は言われなくてもするもんなんだよ」

 市長の西村との食事を終えて、この荒ら屋最寄りの駅へと電車で揺られ、帰ってくる間特に何のそぶりも見せなかったのだが……。


「な、何よまじまじと見て……」


「いえ。感服していたところです」


「ほ、ほほ褒めたってなんもやらんからね! ほら準備する!」


 何故か背中を蹴られた。ともあれ今は「ダミー」に集中しよう。雅は目を閉じ、呼吸を整える。

 瞳を閉じると、真っ暗なまぶたの裏にチカリチカリと、町明かりのようなものが浮かび上がってくる。


「もう目を閉じるだけで寝てる人の「夢」が認識出来るようになったみたいね。その辺の常日頃の訓練は流石と褒めてあげよう」


 後ろで霧子の声がする。


「感じて分かる様に、「夢」は人が寝ている時にのみ現れる「ステージ」よ。日々の記憶をリセットしたり整理したりするため、一端肉体から離れるの。ある意味無防備な状態とも言えるわ」


 眠っている時に見る「夢」の内容が荒唐無稽だったり、何かの再現だったりと、脳内では情報処理が成されている。そこを意識的に本人がコントロールするのは未だ不可能だと言われている。


「まあ、そんな無防備状態だから私たち「サンタクロース」は「夢」へ入れる術が使えるんだけど……今は人間の「夢」じゃなくて、設置した「ダミー」に照準を向けてくれる?」


 霧子の声に従って周囲を探るが、ぽつりぽつりと明かりが見えるだけで、「ダミー」らしきものは見当たらない。


「誰が近所に置いたって言ったかな。配達区域は広いんだよ? もっと意識を飛ばし、伸ばしなさい」


 この近隣……最寄り駅付近の範囲ではない?

 雅は霧子の「駅からここまで帰ってくるがてら」と言った言葉を思い出す。

 駅とは、市長と別れた町中の駅も含まれているならば……距離は直線にして約10キロ以上になる。


「どーしたー? 見つけられないのー?」


 後ろでつまらなそうにいう霧子の声が、焦り始めた雅の心にじわりと揺さぶりをかけた。


 集中しろ。まず最寄り駅までの道のりを思い出せ。そこまで意識を飛ばし、町中まで記憶を巻き戻せ。今日行った順路でいい、電車にのり、どこの駅で降り、どこを歩き、ビルに入り、町中を歩き、その歩道を少しずつ見下ろしていく。


 少しずつ、歩道を一つの通りにし、ビルをビル群にまで小さく、人の「夢」だけをそのままに、高く高く昇って。


「……! 見つけた!」


 思わず口に出た。自分が町の夜空を舞っているような錯覚の中に、いくつもの「夢」の明かりと、同じような輝きを持ちながらも形が風船に似た、明らかに質感が違うものが浮かんでいる。


 ぷかぷかと浮かんでいる様子は、「ダミー」というよりも「バルーン」といった方がしっくりくるかもしれない。ラグビーボールのような形で、人間の「夢」よりも一回り大きく、赤い色をしている。


「見つけた? ちなみにどこの?」


「えっと……」


 ここまで意識を遠くに飛ばしたことはなかった。話ながらでは集中力が欠けてしまいそうで危うかったが、


「はあー。一番遠くに意地悪しておいたのを見つけちゃったかー」


 と、隣で霧子が複雑そうな声でうなずいていた。その体は、ほのかに赤く光っていた。


「……し、師匠!? か、体! 燃えてます! 火事! 火事です!」


「夜に騒がない。あ、そっか。あんた今まで誰かと『夢渡り』したことなかったか」


「え、え?」


 困惑する雅は更に混乱することになる。霧子の足元には、何もない。何もないどころか、眼下……「夢」の明かりが見える町の上に、霧子は浮かんでいるということになる。


「え……これは、一体……」


「私から見たら、あんたも赤く光って夜空に浮いてんのよ? 鏡見る?」


 にたりと笑って霧子が言った。


「これが『夢渡り』の真骨頂ともいえるかな。「夢」の中に入るってことは、自分も「夢」に近い「意識体」にする必要があるの。これを「夢意識体むいしきたい」と呼びます」


 どこから用意したのか、霧子は教鞭用のペンをもって、教師っぽく振る舞う。


「で、では我々の肉体は……?」


「今こうして浮かんでるわ。毎晩「夢」を意識し捉えるイメージをしなさい、っていう訓練。あれを欠かさなかったことは本当にすごいと思った」


 最後を早口に言って霧子は背を向ける。


「気づいてた? 言って二ヶ月ぐらいであんた、赤い光に包まれ始めてたのよ。つまり、もう『夢渡り』のコツを体得してたの。……よくやるわ、雨の日も台風来ても熱帯夜でも」


「……師匠」


 雅は続いて言いかけた言葉を飲み込み、ただ無言で頭だけを下げた。


「んじゃ、「ダミー」に入ってみなさい。で、これを置いてきて」


 ぽい、と手渡されたのは小さな箱だった。中身は空と手にした軽さで分かる、プレゼント用の装飾がされたものだ。


「了解です。では」


 意識を「ダミー」へと向ける。「ダミー」は町の中でもいくつかある「夢」より一つ高く浮かんでいる。自分が夜空に浮かんでいる、という感覚はなかった。


眼下に広がるのはあくまで雅がイメージし、意識で捉えた「町」でありそこに眠る「夢」の明かりのみなので、漫画のようなものを一瞬期待したがそれは贅沢なものだろうと自分で苦笑する。もし本当に見えていたら、高さでパニックになりそうだ。

意識だけを「ダミー」へと伸ばす。額の奥を指で後押しするようなイメージを、「ダミー」に向けた。


「ダミー」は近づけばかなり大きく、小さなワンルームマンションの一室ほどあった。丁寧にドアまで着いている。


「実際の「夢」もこんな感じなのかな……」


 「ステージ」と呼ばれていた、にしては所帯じみたものであるが。なんとなくドアをノックしてからドアノブを引き、室内に入る。

 室内は何もない、四角い空間だった。淡いピンク色の壁紙がなんとも可愛らしい。雅は箱をそっと部屋の真ん中に置くとドアを閉め、赤く光る霧子を目印に意識を飛ばした。


「戻りました。次は……」


「……」


 戻ってくると、霧子は眉間にしわを寄せ、険しい目元で雅を向かえた。無言のまま、雅ではなく、雅が行った「ダミー」に視線を向けている。


(何か失敗したかな……あ)


 間の抜けた失敗をした。そのまま出てきてどうする。


「しまった……「ダミー」から別の「ダミー」へ移動するんでしたっけ……」


 実際、プレゼントの配達に向かう際には、子供たちの「夢」に入り、プレゼントを用意すると「夢」の中から別の子供の「夢」へとジャンプするのだ。

 それもまた、雅は未体験である。


「あー、それはいいわ」


「……へ?」


「今日はここまで。お疲れ様」


 ぽん、と頭に手を置かれ、雅は目を点にする。


「あ、あの……まだ行程の半分が残ってると思うのですが」


「いーのいーの。明日は明日で忙しいし、休むのも仕事のうちよ」


 と、霧子の体を包んでいた赤い煌めきが薄れていく。同時に、体も透過していき、姿は完全に夜の中に消える。


「ほら、あんたもいつまでも「夢意識体」でいると疲労がたたるわよー」


 遠いのに、真後ろから声がする。もう霧子はあの荒ら屋に戻ったのだろう。


「……どういう風の吹き回しだ? まあ、いいか……」


 再び目を閉じ、伸ばしていた意識をリラックスさせる。拡大していた自律神経がどんどん弛緩していくのが感じ取れた。何もかもが自分の中に巻き戻ってくる。


 ふう、と小さく息をついた。まぶたを開けると、荒ら屋のベランダから見える町明かりが普通に灯っており、人の生活が見えた。


 霧子は既にいない。霧子の生活スペースである1階のテレビの音が小さく漏れていた。今からゲームを始めるらしい。ベランダから声をかけてみる。


「師匠、夜更かしはどうかと思われますよ」


「もうちょいでエンディングなのー」


 薄い窓なので、声はすぐに返ってきた。


「人には休めておいっておいて」


「私にはこれが癒やしなのー」


「明日は予定があるとか言ってませんでしたか」


「レベル1つあげるだけだからー」


「いやもう終盤でしょうそれ」


 しばし、そんな間の抜けた師弟の会話が続いた。




続く

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