眠りについた街に、しんしんと降る雪が純白じゅんぱくきつめ続ける深夜二時過ぎ。

 外付けされた階段から繋がる、”白日荘しらびそう”二階の居住きょじゅうスペース――ワイルドハントたちそれぞれに与えられた十畳ほどの個室、その内のひとつ。

 一月半ひとつきはんの間、人間ヒト相手に向けることのなかった針撃ち小銃ライフルの重みを久方ひさかたぶりに確かめながら、聖二は物思いにふけっていた。


 下された命令は、捕縛ほばくでも無力化むりょくかでもなく『殺害さつがい』のみ。

 いざという時にれるかどうか、試されていることは明らかだった。


 同類ワイルドハントを殺した経験は、今までにも何度かある。ただしそれは明確に叛意はんいを抱いていた者や、完全に『狂って』戻ってこれなくなった者に限っての話だ。

 今から始末しようとしているのは、まだ誰も傷つけておらず、少なくとも都市に潜んでいられる程度には理性を保った、ちきっていない相手だった。


 ここから先はもう、引き返せないの時だと悟った。

 規範きはんのため、秩序ちつじょのため、大衆たいしゅうのためとかいった言い訳エクスキューズはこれから不可逆ふかぎゃくに失われてゆき、自分たちの生存のために他人を殺すという後ろ暗い真実が、喉元に突きつけられ続けるのだろう。


 かつての自分には耐えられないと思った。ひつぎの中で眠る、幼い宗像聖二むなかたせいじには。

 今は違う。守るもののためなら、捨てるべきものを捨てられる。


 これまでの日々を思い返す――ノーマークの三人を猟犬ハウンドに引き上げるためには、積極的に人型を狩るというだけでは足りなかった。

 多くのものがどころとする嗜好品しこうひん――酒や煙草や麻薬を、生かさず殺さず密告してポイントを稼ぎ続けた。

 彼らのことを思うなら黙認するか、いっそたせるかすべきだと分かった上で、そうはしなかった。


 自分はとうに、奪うそちらがわに足を踏み入れている。

 愛海あみも元より、チーム外の人間に対する関心をさほど抱いていない。

 深雪みゆきも、じきに順応するだろう。

 陽彦はるひこだけが分からなかった。ただ、時間が解決してくれることを願った。

 そのための猶予ゆうよだけは残してやりたかった。

 叶わない望みと折り合いをつけ、正しく葬り去れるように。

 強制ではなく自らの意志で、道を選んだという実感を得られるように。


 小銃ライフルをケースに収めて背負った。暗色あんしょく外套マント羽織はおり、そっと部屋を抜け出す。

 いきしらませながら階下かいかで待つこと数分――おそろいの外套をまとった愛海が音もなくとびらを開け、そばまで歩み寄ってきた。

 聖二の方を向いてニコリと笑った顔が、街灯がいとうもとゆきせいのように美しかった。

 口元に指を立てたまま、ゆっくりとその場を離れた。


 白日荘の二階窓――遠ざかっていく二人の背を、カーテンの隙間すきまから少年の目がじっと見ていた。


 ※※※


「はっ、はっ、はっ、はっ……」

 頭がガンガンする。全身がそわそわしてたまらない――シーツ代わりのボロ布を抱きしめた。食いしばった唇から、血の味がにじんだ。


瑞希みずきちゃん……大丈夫?」

 暗がりの向こうから声がする――なえだ。

 あたしたちが今いる建物――金属部品工場の元社員寮には、空いている部屋がたくさんある。なのにコイツは、わざわざ一緒の部屋に踏み込んでくる。


「瑞希ちゃん、苦しいの? 薬を打った方が……」

「うるっさい……分かってる……!」

 一発ぶん殴ってやりたい衝動をなんとか抑えながら、床を手探りして革のカバンを引き寄せた。注射器を取り出そうとして、手がぶれる。

「私がやるよ」

 苗があたしに近寄って腕を取る。空中でぽうっ、となにかの粒が発光して、ほこりのようにゆっくりと落ちながらただよう。


 ぶるぶる震えるあたしの背中をあやすみたいにトントンと叩きながら、苗は注射器をそっと刺し込んだ。

 じんわりと熱がひろがりめぐる――衝動が徐々に収まる。思考が穏やかになっていく。


 北海道で見上げた夜空を思わせるきらめきが、苗の横顔を照らし続けていた。

 光の鱗粉リンプンを操る『妖精フェアリー』の因子――そのイメージにぴったりな、人形みたいに整った顔立ち。

 治まりかけたフィンブルの衝動とは別に、なんだか腹が立ってきた。あたしなんて戦うたび、大嫌いでブサイクな怪獣の姿にならなくちゃいけないのに。

 その顔で、そのキラキラした能力って、ちょっと不公平なんじゃない?

 そんなくだらないことを考える余裕を取り戻したことに気づいて、少し安堵あんどする。


「もう大丈夫だね、瑞希ちゃん」

 苗がそう言うのと同時に、光が霧散むさんする。暗闇と沈黙がまた部屋を満たした。


 なんとか現金化できたわずかばかりの給金きゅうきんの残りを気にしながら、安くてジャンクなご飯とシャワーにどうにかありつき、人の目に怯えながらボロ布に包まれて眠る。

 あたしが望んだのは、こういう暮らしだっただろうか。生活の水準はむしろ、駐屯基地ちゅうとんきちにいた頃よりも下がっている。


 基地を抜け出して一週間ほど――寝泊まりできる場所を探している時、たまたま知り合った男がこの場所を教えてくれた。

 数年前に潰れた会社の関連施設が取り壊されることなく放置され、今は非合法な物品の保管や取引、後ろ暗い人間のための宿などとして使われていると。

 男はあたしたち二人がワイルドハントであることを分かった上で、非正規の経路ルートから流れた安定剤を売ってもいいし、稼げる仕事も紹介してくれるとも言った。

 どうしてそんなことしてくれるのかと訊くと、あたしたちみたいに基地を抜け出す奴はたまにいて、暴力団とかそういう手合いが欲しがるので、仲介ビジネスが成り立っているのだと説明していた。


 稼げる仕事というのは、ほぼ間違いなく暴力沙汰ぼうりょくざただろう。喧嘩ケンカの代役とかならまだいい方で、殺し屋とかもやらされるのかもしれない。

 あたしたちはそっちの返事を保留して、とりあえず安定剤だけ買うことにした。得体のしれない感じがして正直不安だったけど、問題なく作用しているようだった。

 ただ値段はそれなりに張るので、さっきみたいに発作が出るまで使っていない。現金以上にこっちをたくさん持ち出すべきだったと後悔した。


 お金を稼ぐ手段は必要だ。身元のはっきりしないあたしたちにできるやり方なんて限られている。人殺しが嫌だったら、それこそ――を売るとか。

 苗はまあ、いくらでもお客が付きそうだなと思う。あたしも――苗みたいに見てくれは良くないけど。十四歳の女の子ってだけで、たぶん、需要じゅようはある。


「はは、あははははっ……はぁ……」

 馬鹿馬鹿しすぎて笑えて来た。人間の尊厳ってなんなんだろうとか思う。いいや、ワイルドハントとは元からそういうものなんだ。

 本当は生きられないはずだった子供たち。死せる魂の軍勢。

 そんな風に終わりたくないと思ってしまったことが、この世界では罪だっていうのだろう。


「あたし、きっとぶっ壊れちゃったんだな」

「瑞希ちゃん?」


 こんなクソくらえな二択を迫られていたって、それでもまだ本心から、あたしは帰りたくないと思っていた。

 北海道で暮らす死の恐怖と比べれば、カスみたいな生活だって、人殺しだって、■■だって、どうにでもなる明るい未来に思える。


「死にたくないよ」

「瑞希ちゃんは、壊れてなんかいないよ」

「……ありがとぉ」


 男の紹介する仕事を受けるかどうかについて、苗は何も言わなかった。あたしに合わせるつもりでいるらしい。

 あたしのことを、恨んでいないのだろうかと思う。

 あたしはただ、使える能力チカラを持ってて、あたしよりも弱くて、勧誘に失敗しても密告しなさそうって理由だけで、苗に声をかけた。


 本来は脱走なんてするタイプじゃないだろう。あたしは自分でも気づかない内に、苗を脅迫してしまったんじゃないかと思った。

 苗はそんなことないと否定するけれど、何が本当なのかも分からなかった。

 そしてそんな巻き込んでしまった苗に対して、嫉妬とか、ムカついたりとか、あろうことかめちゃくちゃにしてみたいとか、そんなことを時々思う自分がたまらなく嫌だった。


「もう眠ろう、瑞希ちゃん」

「うん……」


 目をつむって、瞼の裏側をじっと見つめる。

 苗が部屋を出ていく足音と、次いで扉を閉める音がした。

 とても眠れそうにないけれど、このダルい脳ミソを、せめて休ませてやらないと。

 

 そう、思っていたのに。


「――逃げて、瑞希ちゃん!!」

 ドア越しに響いた声。

 ほとんど蹴破るように部屋を出た。社員寮の長い廊下――その片隅に、光の粒が煌めいていた。

 苗が倒れている――急いで抱き起こす。目立った傷もないのに、がくがくと痙攣けいれんして反応しない。

 暴発する火花のように光が振り撒かれ、そこらじゅうを跳ね回る。

 通路の両端に、人影が照らし出された。


「誰だ!!」


 入り口側――金髪を揺らす女。のほほんと場違いに笑っていやがる。

「あれれ、暗闇に乗じてもう一人も……ってはずだったのに。明るくなっちゃいましたよ、聖二せいじくん?」


 奥側――マスクをした男。小銃ライフルを手に構えている。

「構わない。そのまま出入り口を塞いでおけ、愛海あみ

「はぁい♪」

 あたしの言葉に、二人は答えなかった。眼中にないとでも言うように。


「――殺す!!!」


 男の方へ猛烈に駆け出す。口が横に裂け、全身の肉が盛り上がり、肌にウロコが浮き上がる。

 頭の中が、目の前の相手を食い殺す衝動でいっぱいになる。

 ふいに、右の目に激痛が走った。

 針のようなものが眼球がんきゅうつらぬいたのだと分かった。


「『竜人リザードマン前島まえじま瑞希みずき。『妖精フェアリー菅原すがわらなえ

「あ、あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!」

 男が何かを言っているのは分かった。あたし自身の口から吐き出される絶叫に掻き消されて、ほとんど聞こえなかった。


「君たちは、ここで終わる」

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