駐屯基地地下ちゅうとんきちちかの通信室――「助けてやる」と、通話口で兄が告げた。

 他の『猟犬ハウンド』候補たちとチームを組めば、孤立を解消しつつ効率的に戦果を挙げられる。そのためのマッチングを図ってくれるという。


 その時になって聖二せいじは、自分が兄のことを嫌うほど、兄は自分を嫌っていないのだと理解した。彼は弱者に厳しい反面、自分が認める相手には寛容かんようだった。

 彼は自分などよりもずっと一貫した世界で生きていて、そんな相手を何も知らず軽蔑けいべつし続けてきたのだと思い知らされた。

 人のために戦いたいなどと大層たいそうなことをかかげながら、本当の意味で人と向き合ってはこなかった、おのれあさはかさに銃口じゅうこうを突きつけられているようだった。


 弱い自分なんて撃ち殺して、兄と同じ世界ルールに踏み込め。そうすれば、少なくとも矛盾を抱えずに済む。今よりもずっと人生を歩める。

 銃口の向こう側で、暗闇がそうささやいていた。


 ※※※


 かつて北海道の中心都市として栄えたP市には、怪物フィンブルたちがとする建造物が大量に存在する。

 その年、市内のいたるところに発生したネストを根絶やしにすべく五百を超えるワイルドハントたちが招集しょうしゅうされた。


 殺戮さつりくのための装置にでもなったかのように、怪物フィンブルを殺し続けた。

 強さだけを肯定こうていする白銀はくぎんの世界が、自分の心をすり減らしていくのが分かった。

 そのまま余計なものを削り取って最適な自分をかたどってゆくのだろうと、流れのままに任せた。


 結果として巣の九割が駆逐くちくされたが、代償として百五十余りが殺されるか狂うかしてうしなわれた。


 この北海道で、自分にできることは何もない――そういう無力感だけが残り、いよいよ決断の時が来たのだと悟った。

 生き残った者たちは早々に離れていったが、聖二は一日だけその街に居残ることにした。

 生臭なまぐさい死と悲しみの満ちる場所が、幼い自分と別れを告げるのに相応ふさわしく思えた。


 その日は良く晴れていて、けかけた雪がきらきらと反射していた。

 最も激しく戦いが繰り広げられた、スポーツドーム跡地――その外周がいしゅう広場ひろばを歩いていると、奇妙なものを見つけた。


 そこだけ雪の被っていないしの土に、幾本いくほんも突き刺さるカタナおのモリ機銃きじゅうetcエトセトラ.――明らかに人為的じんいてきに集められたワイルドハントたちの武器。


 はかだ、と直感的に理解できた。

 だが、誰が? 何のために?

 疑問に答えるように、背後から「おい」とぶっきらぼうな声を掛けられた。

 短い髪を逆立たせた少年が袋詰ふくろづめの何かをかついで、聖二をじっと見つめていた。


「誰か探してるのか? 認識票ドッグタグ見るか?」

 仲間の遺体いたいを探しているのだと思われていた。変な気を使わせないように、はっきりと首を振った。

「いいや、大丈夫だ。それより、これは君が?」

「ああ、うん。おれと、あと二人で作った……ほら、あそこ」


 少年が遠くの方を指差す。人影ひとかげが二つ――どちらも小柄で、女の子のようだった。

「ぐちゃぐちゃになって、人なのか怪物なのかも分かんねえような破片はへんばっかだけどな。何もしねえよりはいいだろ」


 あくまで努力義務どりょくぎむではあるが、本来であればワイルドハントならびにフィンブルの死体は、貴重なサンプルとなりうるため持ち帰らねばならない。

 回収もせず、かといって放置するでもなく、墓を作ってとむらう。少なくとも聖二にはない発想だった。


「よければ手伝いたい」

 ルール違反いはんとがめる気にもなれず、それより少年たちのことをもう少し知りたいと思って、そう口にしていた。


 ※※※


「うちは四人チームだったけど、深雪みゆきとおれ以外死んじまった。せめて野ざらしにはしたくねえと思ったんだけどよ。そこら中死体だらけなのに、うちの奴だけ埋めてはいサヨナラってのは、寝覚めが悪かったんだよな」

 チェーンソーで器用に穴を掘りながら、少年こと陽彦はるひこがそうぼやく。そんな使い方をして武器が痛まないのかという疑問は、心にしまっておいた。


「あなたはどうしてここに?……仲間を探しているわけじゃないらしいけれど」

 黒髪の少女――深雪が、運んできた袋を降ろしながら尋ねた。


「いや、特に理由があるわけでは……」

「じゃ~あ、きっとわたしとおんなじですねっ♪」

 金毛をふわりとなびかせた少女――愛海あみが、歌うように言った。


「陽彦くんと深雪ちゃんが、みんなのことをちゃんと埋めてあげてるのを見て、なんか『いいなあ』って思ったんです! ね、聖二くんもそうですよね?」

「あ、ああ、うん……じゃあだいたい同じ、かなあ……」

 表情一つ変えずに遺体から素手すで認識票ドッグタグをもぎり取る愛海の姿に釈然しゃくぜんとしないものを覚えながら、聖二は頷いた。


「ヤバいよな、愛海そいつ。誰もチーム組んでくれなくて、一人で動いてたらしいぜ」

「……ええと……実は僕もそうだ」

「……マッジかぁ~~~~~~~~~~~~~」

 完全に地雷じらいを踏み抜いたという顔で、陽彦はわざとらしく仰け反った。


単独行動者たんどくこうどうしゃ……金色の目……思い出した。あなた、宗像聖二むなかたせいじ

 深雪がそうつぶやき、聖二をまじまじと見た。一瞬だけぎくりとしたが、隠しても仕方がないと向き直った。


「知ってんのか、深雪」

「……良くない評判だろう」

「否定はしない。けれど、あなたがうわさ通りの人とは思えない」

「どういう噂なんですかっ?」

「凄く強いけど、他人を見下していて冷たい人だって」

 深雪のそのひょうに、聖二は苦笑するしかなかった。人からみた自分は、まるで兄のような人間だったのかと。


「でも、ホンモノはこうやって手伝ってくれてるいい人じゃないですかぁ」

「いいや、噂の通りだよ。僕は人の気持ちも分からないクソ野郎だった。きっと何人も、心ない言葉で傷つけてきたんだろう。『君たちは真面目に生き残るつもりがあるのか』とかってね」

「そんなこと言ったの?」

「似たようなニュアンスのことは言ったさ。自分の言うとおりにすれば生き残れるのに、どうして言うとおりにしないんだ、なんて思ったりもした。そのくせ、誰一人救えなかった」


 言い終えてから、しまったと思った。こんな話をされても気まずいだけだろう――一人でいた時間が長すぎて、よほど話し相手に飢えていたのだろうかと自省じせいする。


 不快ふかいな想いを抱かせてしまっただろうか。すぐにこの場を離れるべきかもしれない。こんな奴に手伝われたって、死者も浮かばれないだろう。

 そう、思っていたのだが。


「なんだ、やっぱいい奴だな」

 陽彦の口から出たのは、そんな言葉だった。


「気をつかわないでくれよ。僕は……」

 動揺どうようのあまり、思わず突っぱねようとした。陽彦は目を逸らさなかった。

「だってあんた、救ってやりたかったんだろ? 赤の他人を」

 ガツン――と、頭を強烈きょうれつに殴られたような感覚。本当に、目の前がチカチカした。


「おれだって、仲間が死んだら嫌だとか思うけどさ。一番大事なのはやっぱ自分だと思うし、嫌われる覚悟決めてまで人のためになんて戦えねえよ、普通」

「止してくれ」

 柔らかなはずの少年の言葉が、だからこそ深く突き刺さった。そんな自分はもう捨ててしまえと思っていたはずなのに――せっかく付きかけた決心が揺らいでしまいそうな気がして、ける以外にどうすればいいか分からなかった。


「あんたが自分をどう思おうと、おれはすげえと思う。大変だっただろ」

 ただの言葉が、どうしてこんなにも自分の心を揺さぶるのか分からず――ふとそれが、自分が求めてやまないものだったからだと気づいた。

 強さではなく、道を踏み外さないということ。少年の持つの心こそが、その答えだった。


 きっと世界が救えると思った。どんな時でも正しくいられると思った。

 平凡ありがちでつまらない、けれど理想を叶えるには十分じゅうぶんるだけの力が、この手に握られていると思っていた。

 それは世間知らずな少年がいだいたはかなゆめだったけれど、決して間違った想いではなかったと、陽彦は肯定こうていしてくれていた。


「その……ありがとう」

 後ろを振り向いて、涙を一度だけ拭った。あとはもう泣かなかった。


 ※※※


 一週間後、本土の駐屯基地に戻った聖二は、正式に陽彦たちとチームを組んだ。

 それから地下の通信室に入り、初めて自分の方から兄に通話をかけた。


「あなたの望むまま、します」


 あの日――厳冬げんとうの世界でただてていくだけだった幼い自分の魂は救われた。

 そして聖二は、やはりそれをことにした。

 正しくあれという願いの非力ひりきさを、嫌というほど知っていたから。

 ただそれを野ざらしではなく、墓標ぼひょうに収められた。それだけで良かった。

 あの日、自分を受け入れてくれたものが、幼い自分にとっての墓標だった。

 残された自分は、その墓守はかもりになろうと決めた。


「僕の他にもう三人、猟犬に引き上げてください」

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