むかし、自分の名の意味を父に尋ねたことがある。

 二の字は分かる、秀一しゅういち兄さんの次に生まれてきたのだから。

 では、聖という字にはどんな意味があるのだろう、と。


 父は答えた。聖とは穢れないこと。道を踏み外さないこと。理想的であること。

 その答えをいたく気に入ったことが、自分という人間の原型を作ったのだと思っている。


 厚生省の直属――すなわちワイルドハントの運用に携わる部署で、兄の秀一は働いていた。

 歳の離れた兄は幼い聖二せいじから見ても名の通り『ひいでた』人だったが、他人を容赦なく見下す冷たい男でもあった。

 

 そんな兄の在り方が、どうしても好きになれなかった。

 優れた人間でなくてもいい。それよりも正しい人間であるほうが、ずっととうとぶべきことのはずだ。

 聖二は幼いながらも心の中でその信念を育て、そのようにあろうとしてきた。

 兄と比べれば凡庸ぼんように思える自分の力を、たゆまず磨き続けた。

 そしてそれを、ひとを傷つけ優位に立つための道具にしてはならない、誰かを助けるために役立てるべきだと、純粋なほどに信じていた。


 ※※※


 十三歳の時、発砲事件の流れ弾で生身の両目を失いワイルドハントとなった後も、くさることはなかった。

 運動能力フィジカルも再生力も低く当時ハズレと思われていた『蛇の王バジリスク』の細胞に適合しながらも、死に物狂いの訓練でその特性を完璧に引き出し、優秀な成績スコアを収めた。

 そんな聖二に兄が声を掛けた。長生きしたければ自分に仕えろ、と。


 戦闘力と忠誠心を兼ね備えたワイルドハントが、猟犬に選抜される――後に陽彦はるひこに語ったそれは、実際のところ一番肝心な部分をぼかした条件だった。

 上昇志向の強い役人たちがめぼしい者や縁故の者にあらかじめ人参をぶら下げておいて、私兵として引き上げる。そうやって都合のいい駒を増やしているのだ。なんの人脈コネも持たないものが後から引き抜かれることなど、本当にごくまれにしかない。


 その時の聖二は、兄の誘いを保留した。

 自分の力を生かすべき場所は、彼の近くではないと思ったから。

 北海道で戦い続けるということの過酷さを、理解していなかったのもある。

 そして何より、自分の力を見誤っていた。


 ※※※


 勉強も、運動も、習い事も、人並み以上にこなすことができた。

 自分の平凡さを知る聖二にとってそれは努力の賜物であり、正しさの証明だった。

 特別な才能などいらない。根気強く、丁寧に、納得いくまで反復すればいい。

 自分がワイルドハントとして優れているというのならば、同じやり方で誰だって強くなれるはずだ。

 だからまず、人と繋がろうと思った。教える、などというのはおこがましいかもしれないけれど。

 北海道で戦うワイルドハントたちが頑張れば、本土からの支援だってきっと手厚くなる。そうすることで救われる者も増えていく。

 助け合いとか、良心とか、努力とか、そういったものの力で、きっと世界を変えられるのだと思っていた。


 北海道に足を踏み入れて十日で、人型一体を含む四十体近い怪物フィンブルを殺した。

 最初にチームを組んだ三人の仲間は、八日目までに全員死んだ。


 愕然がくぜんとした。自分のことで精一杯だった本土での訓練中は気づかなかったが、他のワイルドハントたちは驚くほどに弱かった。

 怪物フィンブルとの初めての交戦のあと、思ったことをはっきりと伝えた。チームメイトたちは気を付けるよ、などとどこか他人事のように軽々しく受け止め、特に自主的な訓練をするでもなかった。

 再生力に任せた雑な戦い方を続け、おそらく本人たちも何が起こったのかよく分からないうちに、敵の群れに呑み込まれていった。


 その後組んだ者たちも、さほど変わり映えしなかった。

 鍛錬たんれんが足りないだけならまだいい。酒や薬に溺れて身を崩す者がいた。

 命がけの状況でどうしてそこまで不真面目になれるのかと、しばしば怒りをいだいた。


 目の前で何人もが死んでいき、そりの合わない者たちとの別れを繰り返し、一年が経つ頃、ようやく聖二も気づき始めていた。


 自分は特別な存在なんかじゃなく、平凡な人間だ。

 自分が人より強いとしたら、それは正しく努力してきた結果だ。

 誰だって頑張れば、自分と同じぐらいにはなれる。

 ということに。


 聖二が当たり前にやっていることは、多くの者にとって当然ではなかった。

 身体を動かす感覚一つとっても、聖二と他人では学びの質が違った。

 反復はんぷくして洗練せんれんする過程に、人がストレスを感じるなんて知らなかった。

 獣の細胞に侵食しんしょくされた人間は、理性を保ちながら戦うだけで精一杯らしかった。

 未来の見えない戦いで、自棄ヤケにならずにいられるのはそれだけで資質だった。


 自分は、正しく努力したから強いのではない。

 元々強いから、人よりたくさん頑張れただけなのだ。

 そんなことにも気づかず他人に同じ高みを求めてきた己が、人間であるはずがなかった。

 そしてその頃には、聖二と組んでくれる者など誰もいなくなっていた。

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