4
「クソが……なんだよ
シェアハウス"
「陽彦は忍耐力が足りていない。先を急ぎすぎて基礎が疎かだから分からなくなる」
「お前さぁ、おれより前で
「躓いてない。時間をかけて完璧に覚えようとしているだけ」
「二人ともすごいですよ、わたしわり算で止まってます!」
「あー、
「えへへ♪ 褒めてくれてるんですよね?」
「違う、アホ呼ばわりされてる」
テーブルを囲んでわあわあと言い合う三人の姿に、
数年前まで、入居者の大学生たちがあんな風に
彼らがキャンパスの移転に伴って出ていってしまってからずっと、こんな騒がしさとは無縁だった。
「少し休憩したら?」
「……ども」「いただきます」「おいしそう! ありがとうございまーす!」
焼き菓子とお茶を盆に載せて、卓へと運ぶ。
フォークを豪快に突き刺して、愛海が一つ目のパイにかぶりついた。
サクサクと小気味の良い音を立てて
遠慮がちにパイをつつく陽彦や深雪も、来た当初と比べれば幾分か表情が柔らかくなった。
陽彦たちがこの家にやってきておよそ一月半――彼らは都市の治安を守るべく夜な夜な出かける
社会に溶け込むために年相応の教養を身に付けておこう、ということらしい。
恵子が彼らぐらいの歳の頃は、もっとずっと親や大人に甘えていた覚えがある。
『
ここまで長く厳しい時代が続くなんて、どれほどの人が予想できていただろうか。
「みんな、本当に立派ね」
そんな言葉が、自然と口から
「あなたたちが世の中を守ってくれているから、平和に暮らせているんだわ」
恵子は快適な住環境を提供するように
凍り付いた土地で、怪物の
こんなふうに喋って、ご飯を食べて、明るく笑う、生きた人間としての姿をまるで想像していなかった自分が、なんだかひどく
「あなたたちのことを頼もしく思うし、それ以上に申し訳ないと思う。どうして私たちが、代わってあげられないのかって」
「いや……そんなの、仕方ないじゃないっすか」
理屈の上では分かっている。
けれど――他人を
prrrrrr――にわかに着信音。深雪がポケットから連絡端末を取り出し、耳に当てる。
「……そう。二人とも一緒にいる。連れてくる」
簡潔に
「聞こえた。仕事か」
「うん。聖二、外で待ってるって」
「ええーっ、じゃあ……急いで食べなきゃ!」
「
「らいじょーぶれふよ……ッ、カハッ、コハッ!」
「落ち着いて」
「お菓子、うまかったです。晩飯も、楽しみにしてます」
ぽつりと、目も合わせずに陽彦が言った。
気を使わせてしまったのだろうと思う。けれど、そのことにまで突っ込むほど恵子も
「行ってらっしゃい。気をつけて」
美味しい料理を作ろう。部屋の隅々まで綺麗にしよう。柔らかい寝床を用意しよう。恵子が彼らにしてあげられるのは、きっとそれだけなのだと思った。
※※※
「う、ぁ……」
「おばちゃんが言うんだよ。おれたちが、立派だって。んな訳ねえよなあ」
薄暗いアパートの一室――
土足のまま踏み込んだ靴で、ひどく顔を
陽彦の
「……僕らは務めを果たしている。
押し入れを探っていた聖二が、金の入ったバッグを目ざとく引っ張り出しながら応える。
他にも何か事件の臭いのする物が見つからないかと思っていたが、
「おれさ、どうしておれたちだけが苦しまなくちゃいけないんだって思ってたよ」
聖二の言葉が届いていないかのように、陽彦は続ける。言葉のキャッチボールというよりも、ただ感情を吐き出す先が欲しいようだった。
「ワイルドハントに戦いを押し付けて、都会のやつらはのうのうと生きてるんだって思ってた。けど、たぶん違うんだ。みんな苦しんでる」
たった一月半の間に、何人もの犯罪者を捕らえた。絵に描いたような
人生を変えるために金が必要だった。
子供や老いた親の面倒を見るのに疲れてしまった。
何もかも失くした者が、社会への
人が人を傷つけるとき、悪意よりも貧しさが根底にあった。
そして富めるものは、貧する者の絶望に無理解だった。
「おばちゃんには、おれたちが悪者をやっつけるヒーローか何かに見えてるのかもしれないけど、やってることは弱いものいじめだよ。でもおれは、それをわざわざ言うつもりもない」
温かくてやさしい味のスープがある。ふかふかできれいなベッドがある。
明日死ぬかもしれないと思いながら眠らなくてもいい。
自分がいつか自分じゃなくなることも、狂った自分が仲間を喰い殺すことも、恐れなくていい。
少し前までは知ることすらなかった
「北海道に、戻りたくねえ」
「陽彦、お前は何も悪くない。僕に任せておけ」
決意の感情を悟られないよう努めながら、聖二は言った。
果たして陽彦の感覚を
(大丈夫だ。お前にできなくても、僕がやる)
ここまでの成績は問題ない。だが、猟犬たるもの飼い主に対しては絶対の忠誠を見せつけなければならない。
先ほど下された悪趣味な指令を
『基地を脱走し街に潜伏中のワイルドハント、二名を殺害せよ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます