降りやまない雪の中――アクセルペダルを踏み込んだ。無限軌道キャタピラが雪をつぶす鈍い感触。フロントガラスいっぱいに広がる、モザイクのようにかすんだ白い世界。

 もう、少しの猶予ゆうよもなかった。私たちはおそらく、この街のフィンブルから攻撃を受けている。

 姿かたちもなく、けれど確実に、それは私たちに迫っていた。

 後部座席では、陽彦はるひこ聖二せいじかすかな寝息を立てて眠っている。助手席に座る愛海あみ欠伸あくびをし、眠たげに目をこする。


「愛海、眠っちゃダメ」

深雪みゆきちゃん」

「私がみんな死なせない。私が守るから」

「違うの深雪ちゃん。怖くないんですよぉ」


 どうしてか愛海は、曖昧あいまいに微笑んだ。


「愛海?」

「たぶん、聖二くんも陽彦くんも、起きられないんじゃない。起きたくないだけなんです」


 何を言っているの――そう出かかった言葉が喉元のどもとまる。

 陽彦はるひこも、聖二せいじも、愛海あみも、誰一人として苦痛を浮かべてはいなかった。

 こんなにも安らぎにちた表情を、私はほかで見たおぼえが無い。


 何も言い返せない――おもたくなるまぶた/にぶっていくこう。

 どうしてクルマをはしらせているのか、その意味いみすらあいまいになっていく。

 エンジンおんがやかましくひびくしずけさ/ドロのようにながれる時間じかん景色けしき/こくり、こくりとあたまをゆらす愛海あみ

 どうすればいいのかわからず――手をさしのべることすらできないまま、かのじょもまたねむりのへとしずんだ。


 アクセルをふみこむちからがゆるむ/「■■■■■――」かんだかいこえ/まっしろだったガラスのこうに、まばらなクロがまじる/「■■■■■■■■」「■■■■■■――ッ!」「■■■■■■■■■■■――!!」こえがじょじょにおおきくなる――とりかこまれている。


 アクセルからかんぜんにあしをうかせた。なにかのかげが、ぜんぽうのゆきにおりつのがみえた。

 りょううでのあるところにおおきなはねをはやした、げんじつてきにうつくしいおんな

 うずをまくようにまわりのそらをとぶ、100をゆうにこえるフィンブルたち。


 のまえにひろがる、こののおわりみたいなこうけい。

 それをほったらかしにすることに、ことばにできないさむざむしさをかんじながら。

 なみにながされて、とうとうわたしもわたしをてばなしてしまった――


 ※※※


 辺り一面が、な血と肉片にくへんにまみれていました。私がこれをやったのでしょう。

「ありがとな、深雪みゆき

 目の前の男の子は傷一つ、返り血の一つもつけてはいません。出会ったあの日のまま、不器用に頭をいて、短くそう告げました。

 私は身体のあちこちが痛くて、熱くて、仕方なかったけれど、けれどそれだけで満足でした。

 だから私は、胸を張って言えるのです。

 これが私――灰川はいかわ深雪みゆきの望みなのだと。


 ※※※


 天井を伝わる振動――猛禽もうきんたちが、ちからまかせに装甲そうこうを食いやぶろうとする衝撃しょうげき

 世界をはっきりと知覚ちかくし、置かれた状況を把握はあくした。私たちは今、道の只中ただなかで襲われ、雪上車の壁一枚に守られている。


 私が見る夢にはいつも新規性しんきせいがなかった。過去の記憶を振り返るだけ。

 だからあの見覚えのないほんの刹那せつなの夢が、見せられたものであることもすぐに理解できたし、それがあの鳥女とりおんなの持つ力なのだということも推測すいそくできた。

 原理げんりは分からないけれど、幸福な夢を見せる毒を、何らかの形でばらいているのだろう。


 とても満たされていて、幸せな夢だった。少なくとも駐屯基地ちゅうとんきちの医師やカウンセラーたちよりも、よほど私の願いを言い当てていたと思う。

 私はきっと、灰川深雪あの子に――誰か人間になりたかったのだ。

 彼女の命をうばって生まれてきてしまった自分が、ひどく罪深つみぶかいものに思えて。世界中のどこにも、存在を許されていないような気がして。

 だから、陽彦たちのためになろうとしていた。そうすることで、私が私を認められるようになりたかった。


 がんっ、がんっ、と天井を穿うがつ音。もうじき怪物フィンブルたちのくちばしが、私たちに届くだろう。

 ふと、降りてくるひらめき――今まさに、最初で最後の機会チャンスが与えられているのかもしれない。


 ワイルドハントが、幸福な最期さいごを迎えられる確率は限りなく低い。ほとんどはフィンブルに食い殺されるか、発狂するか――けれど、もしここで幸せな夢にひたったまま、全てを終わらせることができたなら?


 くちばしのどえぐられる瞬間しゅんかんの痛みまで、この毒が消してくれるかどうかは分からない。

 私ならそれが確実にできる――手足のないねこを眠らせた、のように。


(「いたずらに苦痛を長引かせることは、お前のエゴだろう」)

 聖二の言葉ことばがフラッシュバックする。

 未来みらいになんの希望きぼういだけないとしたら、ワイルドハントたちもあのねこと同じに違いない。


 深雪あの子ではきっと、こう選択することはできなかっただろう。

 ――それは、とても甘美かんびな響きに思えた。


 三人の首筋くびすじに、私はゆっくりと糸を伸ばした。

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