せまくて青白あおじろ暗闇くらやみやいばのようにひやややかな空気/壁一枚をへだてて、ごうごうとすさ吹雪ふぶきおと


 T市に点在するネストの一つ――かつて水産加工品すいさんかこうひんの工場だった木造建築もくぞうけんちく廊下ろうかを、私はただ、息を殺しながら進んでいた。


深雪みゆき配置はいちについたか?』

 聖二せいじの呼びかけ。少しだけあゆみをはやめる。

「もう少し待って」


 神経しんけい線維せんいめぐらせて周囲しゅうい振動しんどうさぐった――陽彦はるひこの耳や鼻ほどではないけれど、索敵さくてき能力のうりょくにはそれなりに自信がある。


 やがてそれは見つかった。長い通路を抜けた突き当たり――群れの中で、最も大きな個体がそこに居る。

 周囲にもはべらすかのように数体。飛び出せば、囲まれることは明らかだった。


 逃げ道をふさぎながら徐々に追い詰めて、聖二と連携するのが定石じょうせき

――そんなの関係ない。一番強い私が、リスクを背負えばいい。


「着いた。いつでも大丈夫」

『……なあ深雪、お前もう奥まで行ってるだろ』

「うん。始めるから」

 通信機ごしに、とても深いため息が聞こえた。

 スイッチを切って、全速力で駆け出す。


「■■■■■■■■ッ!」「■■■■!!」

 浮き上がるいくつもの眼光がんこう――バサバサと羽音はおとを立てて、狭い空間内をね回るように飛ぶ猛禽もうきんがた怪物フィンブルたち。


弱敵じゃくてき

 うなじから繊維を延ばす。逃げ場のない密室でこそ真価を発揮する蹂躙じゅうりんの手が怪物たちをおかし、私の一部にくへと変えていく。

「「「■■■■■■■ッ!?」」」


 数をらすのが目的の狩りだから、標本サンプル綺麗きれいに残さなくてもいい。

 質量しつりょうつぶす。

 くちばしく。

 うごけなくなったところに、さらなる支配しはいいとす。


――明日あしたは鳥肉だな。犬肉よりはマシか。

 そんなことをぼやく陽彦の顔が、ふいに浮かんだ。

 思考を振り払って、攻撃の手をなおつよめる。


 私がしっかりしなければ。今この場には、

 愛海には護衛ごえいとして残ってもらっている。戦えない陽彦が、外敵フィンブル脅威きょういさらされないように。


 今朝けさからずっと、陽彦は目を覚ましていなかった。


 ※※※


 深々と積もった雪を無限軌道キャタピラで踏みつけながら、ひらたい箱のような雪上車せつじょうしゃうみ沿いのみちく。


 T市は日本海にほんかいがわに位置する、漁業ぎょぎょうさかんだった街だ。

 フィンブルの侵攻しんこうによって放棄ほうきされる前から既に過疎化かそかが進んでいたものの、さかえていた頃の名残なごりである大きな家屋かおくくらが残っている。


 夏季かきに乗っていた改造貨物車バンより広い後部座席――異変いへん察知さっちしたのは私だった。


 昨夜さくや――市に入って二日目の晩。陽彦は退屈そうに欠伸あくびをして、三人私たちとろくに言葉もわさないまま、いつもより早く眠りについた。

 いくらせがまれても煙草タバコを返さない私への当てつけだと思ったし、日中にっちゅうの狩りで引きずる様子もなかったので、それを問題とは思わなかった。


 日がのぼって、ネスト候補地こうほちに向けて聖二が運転を始めても、となりで眠る陽彦は微動びどうだにしなかった。

 私はふざけているのだろうと鼻をつまみ、口をふさいだ。


 一分ぐらいして、抵抗ていこうをみせない――どころか、表情一つ変えない様子に気付く。

 塞いだ手に、呼気こきの当たる感触かんしょくがなかった。


 猛烈もうれつに手を放す。運転席の聖二と助手席の愛海が、一斉いっせいに振り返った。

 

「ちがう、私はなにもやってない」

「いきなり何を言ってるんだ?」

「陽彦くん、まだ起きないんですか? 可愛い寝息ねいきですねー♪」

 見ると、陽彦はすー、すー、と静かな息を立て、タオルごしの胸はふくらみとへこみのリズムを取り戻していた。

 一瞬安堵あんどしかけ、そうじゃないと首を振る。


「陽彦が、目を覚まさない」


 ※※※


「陽彦くん、冬眠とうみんしちゃったんでしょうか……?」

「フィンブルの細胞は通常、気温が下がるほど活発化かっぱつかするもの」

 シート上で安らかに眠る陽彦をはさんで、愛海と意見をまじえる。

 ほほをつねる/耳元で大声を出す/顔に落書きする――何をしても陽彦は目を覚まさなかった。

 最初は能天気のうてんきだった愛海も、気遣きづかわしさが声に混じっていた。


「呼吸はあるんだろう? ……もし神経系の変調だとしても、僕らには再生能力がある。じきに治るさ……」

 ミラー越しに物憂ものうげな眼を向けて聖二が言う。

 私たちに対してというより、自分自身にそう言い聞かせているようだった。


「今すぐ戻って治療を受けさせるべき。なにかあってからじゃ遅い」

「僕もそう思う。でも、今すぐにはできない」

「なんでですかぁ?」

「この街のフィンブルが、増えすぎているからだ」

 窓の外を一瞬見る。はかったようなタイミングで、遠くの空をいくつかの影が滑空かっくうしていた。


 一定の規模きぼを超えたフィンブルたちの群れは人型ひとがたひきいられ、海峡かいきょうを越えて本土へと侵攻しんこうを仕掛けてくる。

 だからその前に、北海道内で数を減らす必要があった。

 燃費ねんぴ移動速度いどうそくどいちじるしく落ちる冬季とうきにおいても、私たちが戦うのはそういう理由だ。

 

 市内のフィンブルが増えている原因は明らかだった。狩る者がいないからだ。

 音信不通おんしんふつうとなったワイルドハントたちが、市に潜伏せんぷくしたまま政府への反旗はんきひるがえそうとしている可能性はほぼなくなった。

 もしそうなら、自衛じえい食糧調達しょくりょうちょうたつを兼ねて狩りをする方が合理的だからだ。

 

「今僕らが街を出れば、戻ってくるよりも早くここのフィンブルたちは本土に渡るだろう。だが今の内に人型あたまさえ見つけ出して叩けば、何匹いようが関係ない。次の人型が群れを支配するまでの時間を稼いで、応援を呼べばいい」

「でも、それってわたしたちが危ないんじゃないですかー?」

「危ないよ、だから期限を決めよう。三日以内に人型を見つけられなかったら本土に戻る。陽彦を飲まず食わずのまま放置ほうちしておくわけにもいかない」


 ※※※


 それから日が暮れるまで、ネストを回り続けた。

 公民館/デパート/倉庫/酒蔵さかぐら――愛海を陽彦のそばに残しながら、私と聖二で巣を制圧つぶしていく。


 日暮ひぐごろ、最後の狩りと決めてこの水産加工場すいさんかこうじょうに入った。

 大した敵ではない――きずを負うこともなく、ものの数分で殲滅せんめつ完了かんりょうする。

 けれど、何かが不気味ぶきみだった。重大な見落みおとし/不協和音ふきょうわおん歯車はぐるまわない感じがする。


深雪みゆき、敵が弱すぎると思わないか?」

 殺した肉をさばきながら待っていると、ようやく現れた聖二せいじがそう言った。

 確かに、と合点がてんする。行方知れずのワイルドハントたちは、つまるところフィンブルに殺された可能性が高い――この程度の相手に?


「人型が飛びぬけて強いとか、そういうことかも」

「そうだな――三日と言ったが、やっぱり早く帰った方がいいかもしれない。明日の朝、吹雪がんでいたら街を出よう」

「うん」


 私もそれに賛成さんせいだった。この街は何かおかしい。聖二が同じ気持ちでいてくれることが嬉しかった。


「そっかぁ、帰っちゃうんですねー……」

 雪上車くるまに戻り愛海に帰還きかんのことを話すと、少し残念そうな顔をされた。愛海あみには本土の空気があまり馴染なじまないから。

 けれど、納得はしてくれたのだと思う。


 明日になればこの街を出て、そのうち陽彦はるひこも目が覚めて――全てが上手くいくのだと思った。


 ※※※


 翌朝よくあさ、聖二は目を覚まさなかった。

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