『人造人間』の深雪
1
冷たく乾いた風の吹く、冬の日のことです。
「深雪、たくさん会いに来るからな」
お父さんが優しげな声で、そう言いました。
私は頷きます。お父さんの『良いパパ欲』を満たしてあげないと、とても面倒くさいからです。
お母さんは顔を伏せて、私の方を見ようとしませんでした。
学校と病院を組み合わせたような、不思議な雰囲気の建物が幾つも建っていました。
草が伸びっぱなしの庭を、子どもたちが笑顔で駆けていきます。
広大な敷地を、有刺鉄線つきの高くて分厚い壁が囲っています。
真ん中の建物に通じる舗装路を、銃を持った職員さんたちに囲まれながら、私たちは歩いていました。
この場所は陰で色々な呼び方をされているそうです。心ない人たちに、ではありません。ここに住む人たち自身によって、自嘲するように。
刑務所、牧場、奴隷収容所――どれもしっくり来ませんでしたが、代わりにピッタリの名前を思いつきました。
ここはリサイクルショップ――不要になった私はここに
私の頭の中には悪い腫瘍があって、ワイルドハント社の施術でなければ治せないそうです。
けれど、それだけではないのを私は知っていました。
お父さんの会社が事業に失敗して、我が家はお金に困っているのです。
ワイルドハント社の手術は、人によって適性が違うそうです。私はとても珍しい適性を持っているので、他の人には受けられない手術が受けられます。
高級そうなスーツを着た人が何度か家に来て、お父さんはそのたびに機嫌を良くしていたのでした。
それは渡りに船、日照りに雨だったことでしょう。
お金のことだけではありません。
命が救われるのが第一だ。辛いのはみんな一緒なんだ。
そう言い訳して手を汚さないまま、娘を売ることができるのですから。
そんなことを考えている間に、建物の玄関口に着きました。
中で手続きを済ませれば、私はここの住人になります。
ふと思いつき、口にしました。
「お父さん、私、他の子たちとお話ししててもいい?」
嘘です。本当はお父さんたちと少しでも離れていたかったのです。
私のサインは事前に取ってあるので、手続きに同席する必要はないとも知っていました。
「うーん、一人でかい? いくらなんでも危ないんじゃないかな」
「話すだけなら大丈夫だと思いますよ。いい子たちですから」
渋るお父さんに、女性の職員さんが言いました。
私の意図を汲んでくれたのかもしれないし、そうじゃないのかもしれません。
「なら良いかな。でも、気を付けるんだよ。さ、いこうか母さん」
そう言うとお父さんは、さっさと背を向けて中に入っていきました。
お母さんは年老いた犬のように、トボトボとその後ろに続きます。
「ありがとうございます」
私がそうお礼を言うと、職員さんはなんとか作ったような苦々しい笑みを浮かべました。
「大したことじゃないわ。時間が来たら呼ぶから、好きにしていてね」
自分にはこれぐらいのことしかできないと、どこか諦めの影が落ちたような表情でした。
私はお辞儀して、どこという宛てもなく歩き始めました。
――数分後、私は錆びたブランコにじっと座っていました。よく考えると、私は知らない相手に話しかけるのが苦手です。
しかもよく見れば、遊んでいる子たちはすごい運動神経です。
私が混ざってしまうと、肩をぶつけただけで骨が折られてしまうかもしれません。
かと言って何もしないでいると、後でお父さんに「どんな子がいた?」とか余計なことを聞かれるかもしれません。
何かでっち上げてしまおうか……なんて考えていると、前から誰かが歩いてきました。
つんつんと逆立った髪の、男の子です。歳は九か十歳ぐらい
――私と同じか、少し下でしょうか。
「お前、普通の人間だろ。ワイルドハントじゃないな」
第一声から、ちょっと乱暴そうな子だなと思いました。
「どうしてそう思うの?」
「おれ、鼻がいいんだ。変身しなくても、それぐらいわかる」
なるほど、と思いました。男の人が毛むくじゃらに変身するのを、テレビで見たことがあります。
この子もきっとそういうことができるのでしょう。
「明日、手術を受けるの」
「ふうん。じゃあこれから顔を合わせること、結構あるかもな。おれ、
「
自己紹介を済ますと、男の子――陽彦君は隣のブランコに腰かけて、みんなが遊ぶのを眺め始めました。何か言いたいことがあるわけではなさそうです。
もしかしたら、私が所在なさげなのを見て話しかけてくれたのかもしれません。厚意を無駄にしたくなくて、なんとか話題を探しました。
「みんな笑ってるね。ここでの生活って楽しい?」
「楽しいフリしてるだけだ。じゃないとやってけないから」
思った以上に重くて深い答えです。話題を切り替えます。
「陽彦君、ご両親は?」
「死んだ。事故で。その時の怪我で、おれはここに来た」
踏んだり蹴ったりです。もしかして私は、お話しするのがとても下手なのでしょうか。
「えっと……ごめんなさい」
「別に、大したことじゃないぜ。どうせ親が会いに来てくれるやつなんて、ごく一部しかいないんだから」
「そうなんだ……私のお父さんとお母さんも、きっとそうだよ」
自分で言葉にしながら、なんだか泣き出しそうな気持ちがこみ上げてきました。
ここでは――いいえ、世の中ではこれが当たり前なのです。
なんとか
「泣かないのか、深雪?」
陽彦君が、そう言いました。
私の顔をまじまじと見て、鼻をくんくんと揺らしています。
よく利くという嗅覚で、人の気持ちを読み取れるのかもしれません。
「だって、ここにいるみんなは、あんなに前向きに笑ってるのに」
辛いのはみんな一緒なんだから、私だけが泣くなんて、きっと許されません。
「言っただろ、フリしてるだけだって」
陽彦君が、年下の子を諭すみたいに言います。
「辛いのはみんな一緒なんだから、泣いたってみんな分かってくれる」
その言葉で、涙が溢れ出しました。悲しいから、辛いから、だけではありません。
良く分からない暖かさが胸の中で膨らんで、弾けました。
わんわんと泣きました。周りの目も気にせずに。
食器を割って、お父さんに怒られた時よりも。
転んで帰って、お母さんに抱きしめられた時よりも。
陽彦君は私の手を、そっと握ってくれました。
繊細で壊れやすい、ガラスのブローチに触れるみたいに。
手の中の熱を離したくなくて、力いっぱいに握り返しました。
それからしばらくして、少し胸が落ち着いた頃。
「深雪さん、そろそろ行きましょう」
職員さんがやってきて、私に手招きします。手続きが終わって、宿舎に案内してくれるようです。
「はい。……ありがとう、陽彦君。どうして優しくしてくれたの?」
目元を拭きながら、私は尋ねました。顔の筋肉が自然と笑顔を作ったのが分かりました。
「別に、優しくしたつもりはないけど……」
陽彦君は頭を掻いて、ほんの少しだけ照れくさそうにします。
「
ぶっきらぼうにそう言って駆け出し、あっという間に子供たちの中に紛れて消えていきました。
私は手を振ることもできませんでした。
それから、私はずっと彼のことを考えていました。施設内を案内されている時も、美味しくない夕ご飯を食べている時も、ベッドに入って寝る時も。
去り際にお父さんが私を抱きしめて「愛してるよ、深雪」とかなんとか言うのも、お母さんがお父さんに聞こえないように「ごめんね」と呟くのも、どうでもいいことのように思えました。
気が付けば手術台にいました。「怖いかい?」と医師の先生が尋ねます。
私はとても穏やかな心地で、「いいえ」と答えました。
もちろん、色んなことが不安なままだけれど。それよりも、大きな目標ができたからです。
私がワイルドハントになったら。戦えるようになったなら。
いつか、陽彦君を助けてあげるのです。
麻酔がもたらす重たい感覚に身体を委ねて、私は眠りました。
※※※
私が見る夢にはいつも新規性がない。過去の記憶を振り返るだけ。
それも、手術前の――在りし日の、『人間』灰川深雪の記憶だけを。
薄汚れた白の天井/黄ばんだ壁紙/少ない家具――本土に戻ってきたワイルドハントに与えられる、プレハブ寮の小さな個室。
備え付けの鏡を見る――鏡の中の少女に、問いを投げかける。
私はこの世界から、陽彦たちを守れてきた? これから先、私は彼らを守れるの?
答えはない。オブシディアンの両目は、私の疑問をただただ跳ね返す。
あの日以来、この瞳が涙を流したことはなかった。
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