寒風の吹く曇り空の下、林立するクリーム色の建造物――研究棟、事務棟、開発棟、医療棟、訓練棟、プレハブ寮、その他諸々エトセトラ

 子供たちが今なお遊ぶ、遊具を備えた広大な庭。薄く積もった雪を負けじとばかりに突き破る、伸びっぱなしの雑草たち。敷地を囲う、有刺鉄線つきの高い壁。


 訓練棟の屋上――落下防止の金網に寄りかかってその景色を見下ろしながら、陽彦は煙草をふかしていた。


 某県郊外の寂れた平野――ワイルドハントの駐屯基地は、都市部から遠く離れた場所にある。周りにあるものといえば、褪せた葉を生やす根菜畑ぐらいだ。


 束の間の狩りの休みですら、戻ってくる場所はここだった。羽を伸ばすにはあまりにもいろどりのない、少年兵たちの灰色の箱庭。

 娯楽といえば裏で回る酒と煙草、図書館に置かれたふる音楽オーディオ映像ビデオ程度だ。


 都市部の居住区画とて、そう豊かなわけではない。僅かな資源パイの取り合いに人心は荒み、犯罪発生率は厳冬以前と比べ物にならないという。

 それでも、こんな刑務所のような生活を送っているわけではなかった。都市むこうに立ち入る機会などほとんど無いが。


 カツン、カツン――鉄の階段を昇る音。陽彦は一瞬身構え、すぐにそれを解いた。足音のパターンから、見知った相手であることを察せたからだ。

 屋上の入り口ドアが開き、人影が二つ現れる。陽彦は気安く声を掛けた。

「よお、クソ野郎ども」


「うわっ」

「ちょっ、陽彦くん一人っすか?」

 筋骨と脂肪をどちらもむっちりと蓄え、口髭を生やした革ジャケットの青年。

 ぎょろりとした目つきを光らせる、パーカーを着た猫背の少年。

 とおる康弘やすひろ――どちらも陽彦の煙草仲間だ。


「どうしたお前ら、なんかよそよそしいな」

「ふざけんなよクソ陽彦。テメーんとこののポイント稼ぎのせいで、取り上げられたんだ。なんでテメーが平然とモク吸ってんだよ」


 委員長――聖二のことだと分かった。彼は時折素行不良者を見つけては報告し、心証を稼いでいる。そのため一部のワイルドハント達から、蛇蝎だかつのごとく嫌われていた。


「ああ、そりゃ災難……草?」

「知らないの? 北海道には生えてるんすよ、野生のハッパが。透くんそいつを持ち帰って、乾燥させて楽しみにしてたんだけど……」

 さすがに呆れ返って絶句する。透はそれに気づきもせず、鼻息荒くなお憤っている。


「うまくできたら、お前にも配ってやろうと思ってたんだぜ」

「……そりゃさすがにアウトだろ。バカか」

 陽彦の冷めた言葉に、透が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「ハァ~? お前、宗像むなかたの手先になったのか? 煙草と何が違うんだよ」

「ラリったまま戦えるかっつーの」

「どうすかねえ。言い切れないと思いますけど」

「そうだぜ! 毒薬変じて薬となる、だろが!」

「お前、バカのくせに妙な語彙ボキャだけは有んな。まあいいじゃん、煙草はチクられなかったんだろ?」


 言いながら陽彦は短くなった煙草をプッと吹き出し、転がったそれを踏み消した。

 新たな一本を箱から抜いて咥える。火を点けようとしたところで、掴まれる感触。

 胸ぐらを上に引っ張られて、踵が地面から浮いていた。


「やっぱ納得いかねえな。宗像あいつの代わりにぶん殴らせろ」

 こめかみに血管を浮かべた透が、陽彦を持ち上げて睨みつけていた。

 ワイルドハント特有の情緒不安定さと本人のヤンキー気質が化学反応ケミストリィを果たした、鬼のごとき形相。

 とても聖二と同じ十七歳には見えなかった。


「……好きにしろよ。それで気が済むんなら」

「ひゅ~、陽彦くんカッケェっす。それに比べて透くんは器小さいなあ」

「うっせーぞ、ヤス」


 何かが駆け上がってくる音を、陽彦の耳が捉えた。二人はそれに気付いていない。

 他人事だと思って康弘がはやす。悪態をつきながら、透が握り拳を固める。


 陽彦は歯を食いしばり、眼をつむらないようにぐっと見開いた。

 歯の一本や二本、すぐに再生する。ビビったりしたら格好悪いと思った。


 がしゃん、と金網が揺れる音。透が振りかぶり、そこで止まった。


「そこまで」

「ウヒャあっ!?」

 透が情けない声を上げる。黒髪をなびかせた少女――深雪が透の背後に立ち、肩に手を置いていた。

 胸ぐらを掴まれる陽彦を偶然見つけ、急いで壁を昇ってきたのだろう。音は聞こえていたが、まさか間に合うとは思わなかった。


「陽彦に危害を加えたら、殺すから」

 冗談の色を一切感じさせない、凍り付くような声音。

 咄嗟のことに何も言えない透や康弘に代わり、陽彦が応えてやる。

「いーじゃねーか、一発ぐらいやらせてやれよ。それで聖二のこと、全部水に流してくれるんだから安いもんだ」


「はあ!? そこまでは約束してねーよ!」

「気が済むんならやれ、っつったじゃん」

「まずは陽彦を降ろして」

 深雪の指がジャケットの肩にぎゅっと食い込む。

「あ、おう……」

 言われるがままに、透は手を離した。


 なんとも居心地の悪い雰囲気だった。康弘だけは面白がってニヤニヤしている。

 今度なにか息が臭いとか適当に理由をつけて殴り返しておけば大体イーブンになったのに、計算が狂ってしまった。

 透は馬鹿で、人に当たるどうしようもないヤンキーだが、それでも深雪や聖二や愛海より波長の合う相手だ。険悪なままにはしたくない。


 淀んだ空気を仕切り直そうと、煙草に火をつけようとした。ライターの火が虚無を炙る。

 陽彦の煙草を、深雪のうなじから伸びた白い繊維がかすめ取っていた。


「何しやがる、返せ」

「健康に悪い」

「ざけんな、おい。北海道むこうでは我慢してんだぞ、こっちでまでいちいち口出しすんじゃねーよ。何様のつもりだ」

「私は、陽彦のお姉さんのようなもの」


「ひ、ひひっ、えふっ!」

 康弘がついに声を上げて笑った。透も震えながらこらえている。

「頭大丈夫か? 貧乳女」

 最大限、侮蔑的に聞こえるように言った。

 次の瞬間、陽彦の顔面に深雪の膝がめり込んだ。


 そばで見ていた二人に美しさすら感じさせるほどの、完璧な飛び膝蹴りが炸裂していた。

 体重を感じさせない軽やかさで、すとん、と深雪が着地する。

 猛烈に鼻血を噴き出しながら仰向けに倒れる陽彦の懐をごそごそと探り、煙草の箱を抜き取った。

煙草これは預かっておく。五年後ぐらいまで」


 深雪はそのまま振り返ることもせず、屋上入り口の扉から去っていった。


「……信じらんねえ。人には危害を加えるなとか言っときながらこれだよ」

 むくりと上半身を起き上がらせた陽彦が、折れた鼻の位置を弄りながらぼやく。


「陽彦をぶっ飛ばしていいのは私だけなんだからね! ってやつでしょ。お熱いなー」

「冗談でも勘弁してくれ、ヤス……んで、お前もやんのか? 透」

「いいや、もういい。どうでも良くなったわ」

 透は至極ぼんやりと返した。目の前で起こった出来事が、脳の少ない許容量キャパシティを超えたようだった。


「そうか。煙草くれ」

「ん」

 透は箱から煙草を二本抜いて、一本を指でピンと弾いた。

 陽彦は片手で器用にそれをキャッチする。

 康弘も自分の箱から一本抜いて咥えた。


 握ったままだったライターで先に二人の分を点けてやり、それから自分の分に着火する。

 胸を満たす多幸感。少し苦いが、贅沢は言えない。


「ふう……灰川あいつ、機械みたいで怖ぇよな」

 長々と煙を吐いて、透が呟いた。理解が及ばないものに対する諦念の瞳。

 フィンブルの手足をいで殺す時に、十体に一体ぐらいこういう目をすると思った。


「別に、怖かねえよ」

「俺はイカスと思ったっすけどね、彼女」

「それはもっとない」

 素直じゃないなあ、と康弘が笑う。陽彦は軽く肩を殴った。


「堅物委員長がなんであんな色物イロモノ集めてるのかも、お前がなんであのチームにいるのかも、さっぱり分からん」

「一つ目の方は簡単だ。あいつ友達いないから、組んでくれる相手を選べない」

「あー。二つ目は?」

「……さあな」

 陽彦はそう言葉を濁した。屋上から三つ立ち昇る煙が、風に流れて霞んでいった。

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